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【自己紹介】ママになっても自分の価値は諦めない。


はじめまして!
はるティと申します。



私の簡単な自己紹介をすると、


・1993年生まれの30歳女性、関西生まれ

・1歳になった娘が1人いる
 時短勤務中ワーママ


・中学時代のいじめを見返したくて、
 死ぬほど勉強して、
 いい大学、いい会社入った、
 元・バリキャリ。


・時短で収入激減し、副業での起業を決意。

・ネットの力を使ってビジネスを自動化。
 育児して働きながら、
 寝る前に1〜2時間コツコツ作って
 2ヶ月で完成させる。


・知識投資は3か月で70万越え



つまり、会社員として
ゆるっと時短で働きながら、
ウラで、がっつりネット起業している。


そんなWワーク中のママ。です。




「そんな時間あるの?」

って思うでしょうか?

「副業なんか、忙しかったらムリ。
 時間ある人しかできないでしょ」って。





それが、可能なんです。
スキマ時間で少しずつ、作業して
「資産」を積み上げていく。


そして、その資産に、
インターネットで、
私の分身として働いてもらう。

私がやっているのは、
そんなビジネスモデルだから。



普通の人が8時間働いているとすれば、
「起業家としての私」は、


タダ働きしてくれる
インターネット君のおかげで、
むしろ、24時間
働き続けていることになります(笑)



実働時間は、子どもが寝た後1~2時間とか、
日中に確保できたスキマ時間のみ。
仕事のお昼休みとか。



今のところ、本業は会社員ですが、
このあと第二子を考えているので、


2回目の育休明けから、
副業⇒独立するのを目指して
日々コツコツ、農業のように地道に、
資産となるコンテンツを蓄えています。

・・・こうビジョンを聞くと、

「自分に自信ありそーだな…」

「仕事×育児でもフツーに忙しいのに、
 それで起業とかアホ?笑」

「どーせ、ビジネス経験あるんでしょ」


こう思うかもしれません。




でも私は、もともと、

・とにかく自信なし。
 自分のすべてが受け入れられない。

・常にスクールカースト「中の下」。
 ギャルから目を付けられていじめを受ける

・自己否定拗らせて、パニック障害に。

・社会人キャリアはほぼ経理1本。
 ずっと計算してただけ。なのでビジネス経験0。



こんな感じで、むしろSNSで見かける
キラキラ起業家女子とは、
もう真逆もいいとこ。

コンプレックスこじらせてしまって、
プライベートのSNSなんて、
誰とも繋がってない見る専門でした。



そんな凡人。
いや、子持ちという点も加えると、
残念ながら、キャリア戦闘力は
もう凡人以下のワーママが、


ネットで起業した経緯、
お話します。


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 お前は絶対、役員になれる
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私は、兵庫県のとある街で
生まれ育ちました。


会社勤めの父、
専業主婦の母に生まれた1人娘。


両実家とも細く、
父の収入だけで成り立つ、
至って平凡な家庭です。




そこそこ名の知れた会社に勤める父、
実は大変苦労してきた人でした。




父方の実家は貧しく、
父は小学生の頃から
新聞配達などアルバイトで
家計を支えていたのです。




当然大学に行くお金もない。
父は家族を養うために働きながら
独学で勉強して、
夜間大学を卒業した身でした。



なんとか今の会社で
出世したものの、
あと一歩、部長には届かないまま
残念ながら定年を迎えてしまいました。



父は、自分が部長以上に
なれなかったのは、
学歴が良くなかったからだと言います。 


なので、昔から父は
ことあるごとに私に言いました。



「ちゃんと勉強して、いい大学に行って、
 いい会社に入って、女で新卒で。



 将来会社に残ってさえいれば
 お前は将来、絶対役員になれる。




 でかい会社の役員にさえなれれば、
 どんな辛いことがあっても、
 人生逆転や。
 とにかく勉強するんやで」と。


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 夢は大企業の役員。
 人並みに生きていくために。
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思春期真っ盛りの中学生の頃。
特に裕福でもなかったので、
地元の荒れた公立中学に通いました。


私は特に優れた容姿でもなく、
男子からモテる要素も全くなく。



頭も良くも悪くもなく、
スクールカーストでは
せいぜい中の下。


最初は年相応にオシャレしてみたり、
恋をしたりしていましたが、



ある日を境に、日常が一変しました。




ガラッ


クラスの教室の扉が乱暴に開く。




「おい!!!
 はる どこやねん!!
 出でこいや!!!!」




私は、普段決してかかわることのない
ギャルたちから、
唐突に乱暴に名前を呼ばれました。




「どうしたの・・・?」

震える声で私は答える。


学年でもトップレベルの容姿の彼女。
私の胸ぐらを乱暴につかみ、
顔を近づけてこう言い放ちます。




「お前の分際で、調子乗るなよ。
 メンチ切ったん
 まじでタダじゃおかんからな。
 覚悟しとけよ。」




・・・・・・・。


・・・え?


私、何やらかした・・・?





後から考えて考えて
気付いたのが、
おそらく。




授業中に彼女のギャル仲間が
先生から注意されていたところ、
私がじろっと見た、ということ。




そんな理不尽すぎる言いがかり以降、
私の中学生活は一変しました。




「はるとか今すぐ死んでこいよ。」

「ころすぞ」

「お前に存在価値ないわ」

「息するな。空気読めよ、きしょ。」 





カーストトップのギャル女子軍団から
毎日、暴言を浴びせられ始めました。


当時一緒にいた友達からも避けられ始め、
居場所を失った私。


先生達まで、いつもギャル達の
機嫌をとり、肩を持ちました。



親も相手にしてくれませんでした。

父は当時、原因不明の体調不良。
母はうつ病を患っていて、
家庭はボロボロ。
私のことなんて、二の次だった。




私はひとりっ子で、孤独を分かち合える
存在さえいなかったのです。



「私のことなんて、
 誰も助けてくれない。」


「私なんて、生きてる価値ないんやろな」



もともと高くなかった自己肯定感は、
この時以来、地に落ちました。




自分に価値がないことが
悔しくて、恥ずかしくて。



周りは笑って過ごしている中で、
私だけ世界でたった1人、
存在すら認めてもらえない
透明な存在に思えました。



誰にも辛さを打ち明けられないまま、
毎晩毎晩、
涙で眠れぬ夜を過ごしました。





「ころすぞ」と言われるたび、

「いっそころしてくれ。」
と思った。



私が死んで、
悲しむ人がいてくれるのか。




ただ誰かの愛を確かめるために、
死にたいと何度思ったことか。




それでも、
怖くて死ねなかった。




私が今、こうして生きているのは、
動物の本能として、
死を怖がったからに過ぎません。




どうしても死ぬのは怖い。
だから、どうにか未来へ希望を
見出すしかありませんでした。




「でかい会社の役員になれれば、人生逆転や。」




お前には価値がない。
そんな辛い現実を突きつけられた私にとって、
昔からの父の言葉が、
よりどころになっていきました。



「私には価値がない。親も助けてくれん。
 大人なんか誰も味方になってくれん。」



「私は男子にもモテんから、
将来もきっと、お母さんみたいに、
誰かから養ってなんかもらえない。」



「1人で生きていかなあかん。
 強くならなあかん。」



その頃から将来の目標は
「大きな会社で役員になり、
 たくさん稼ぐこと」

になっていきました。 



みんなと同等に
生きていてよい存在になるために。


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 死ぬ気で頑張れば、将来きっと報われる
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暗黒の中学時代を過ごしていた私は、
「死ぬ気で努力して、
 価値のある人間になる」

「そのためには父さんの言うように勉強!
 勉強さえできれば!!!」




部活以外の時間を、
全て勉強に費やすようになりました。


テレビ、ゲーム、漫画といった
娯楽とはほぼ無縁。
テスト期間以外もずっと勉強していました。




すると、高校に上がってから、
周りの目が少し変わりはじめました。



周りより少しだけ「勉強できる子」になったら、
私はようやく価値を認められるようになった。



親も、勉強を頑張る私を
誇りにしはじめた。



この先は絶対に豊かで余裕のある、
幸せな毎日が待ち受けているはず。


決して元から
頭が良かったわけではありませんが、
国立である大阪大学にギリギリ滑り込み、


大学でも、入念に入念に就活準備をし、
大企業6社とベンチャー1社から
内定も得ました。




将来のために、
プライベートを全て犠牲にした結果、
なんとか手にした「エリート」っぽい肩書き。



人生をかけた
その場限りの努力。




とりあえず学歴を手に、
大企業にさえ入れば。
人並みの楽しい人生が待っているはず


…でした。


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 私を「エリート」から連れ去ったのは
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いざ入社して周りを見渡して見ると、
自分なんかよりも
すごいスペックの人が沢山いて、

当たり前のようにキャリア実現のため、
楽しそうに努力していました。



私はといえば、
特にやりたいことなんてない。


ただ楽になりたかった。



これまでは「そこに居て良い自分」
になるために、
走り続けただけだったから。



大企業に入れさえすればと思っていた私は、
大きく間違えていたことに
初めて気付いたのです。




私は入社早々、経理に配属され、
最初の2年は工場で過ごしました。





これまでの勉強は
全然役に立ちませんでした。


身につけてきた武器が全て奪われ、
培ってきたセーブデータが
完全にリセットされたような
感覚になりました。


繁忙期は夜中まで残業は当たり前。
そんな毎日の中で、
簿記2級の取得が必須でした。




あれだけがんばった受験勉強は、
暗黒の思春期に、
みんなが遊んでいる間に、
できていただけだったのです。




遅くに帰宅してからも、
フラフラになりながら勉強し、
何回も落ちて何とか簿記に受かりました。


私には時間が足りなさすぎる。
ヨーイ、ドンで
みんなが同じ時間をかける環境では、
凡人の私には、とても無理でした。



同期どころか、
1〜2年下の後輩と比べても
完全に落ちこぼれ。



その後、本社に転勤となりましたが、
業務のレベルはどんどん上がっていき、
すごい先輩の姿も多数目にします。



「若いうちにしっかり勉強した方がいいよ」

「本社経理なら簿記1級まではやっとかないと」

「海外赴任のチャンス掴むためには英会話」

「○○先輩は米国会計士取ったんだって」

「俺も今は米国会計士勉強してるんだよね」



こんな会話が、決して誇張でもなく、
毎日のように飛び交っていました。


意識の高い会話を聞きたくなさすぎて、
同期とランチに行くのを辞めた。



「私、いつまで頑張れば、
 人並みになれるんやろう。」



当たり前に見えていた将来への希望は、
だんだん霞んで見えなくなってきました。


頑張りが足らんのや。



もっと頑張らないと。



そんなある日。




会社でコーヒーを飲んでいると、


ドクン!!!


急に心臓が痛いほどバクバクし始め、
溺れるように息ができなくなりました。



目の前の景色は色を失い、
手はブルブル震えていました。
頭はクラクラして立っていられない。


「助けて…!」



やっとの思いで近くの人に助けを求め、
真っ青になった私は、
会社の保健室へ運ばれました。


私に何が起こったのか。




これがパニック障害との
長い闘いのはじまりでした。



発作は衝撃的で、
本気で死ぬかもと思いました。



それからの日々、会社に行っても、
すぐに発作が起きそうになって
服薬してを繰り返す。



服薬すると発作からは楽になるけど、
どんどん私から生気は失われていく。


「ころすぞ」


中学の頃に、毎日かけられた言葉が、
フラッシュバックする。




いっそ、死んだ方がラクだ。
ころしてくれ。
これだけ心も体も辛いのに、
なんで死なせてくれないんや。


それでも、休めば私の全てが終わってしまう。
人生が終わってしまう。
私は頑張りを止める
勇気がありませんでした。



診断書がおり、産業医から残業を制限され、
勉強なんて手がつかなくなりましたが、



働くこともやめてしまっては、
これまでの全てが無駄になる。


日に日に生気がなくなっていく中、
それでも無理やり仕事を続けようとする私に、
会社の人事担当が私にこう声をかけました。



「自分をもっと大切にしなきゃ。」
「「あなたはとっても大切な存在なんだから。」」



親でさえも気付いてくれなかった、
こう声をかけてくれなかった。


誰も、私を大切なんて言ってくれなかった。


私が今まで、1番欲しかった言葉でした。
13年背負ってきた肩の荷がおりる、
そんな優しい言葉でした。


私は会社の保健室で、その言葉に涙を流し、
会社を休職して、
治療に専念することを決めました。


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 ただ、フツーに生きた5年間。
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電車にすら乗れなくなった私は、
約1年、休職することになりました。



毎日起きるだけで、息をするだけで、
精一杯の辛い日々でした。

なんとか復職しても治療は丸3年かかり、
その間はただ仕事をするだけで精一杯の日々でした。


長い長い闘いでした。

ダイエットなんて、
これまでうまく行った試しがないのに、
たった1年で10キロ痩せた。


食事が文字通り、
喉を通らなかったのです。



完治しても、癖のようにすぐに再発するので、
もはやストッパーのように
ストレス耐性がなくなりました。


治療中、家族の大切さに気付いた私は、
必死の婚活の末に結婚しましたが、

↓(夫にブログばれたら真っ先に消す記事。笑)


治療が終わってすぐに子どもも授かり、
またすぐ、出産育児で
休職することになりました。


傷病休職1年、治療期間2年、
妊娠中は長期のつわりで満足に働けず、
またさらに1年育児休職。


強制的にストップがかかったあの日から、
気付けば5年。


特に何も頑張れることなく、
でも、ただ目の前のやるべきことに、
一生懸命、生きてきました。

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 子ども生んで仕事さえすれば、
 出世するやろって思ってた…
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育休が明け、子どもが小さいうちは、
なるべく側にいてあげたいと思い、
私は時短勤務をすることにしました。


ただ、同期の女の子の状況をきくと、
私以外の子は全員海外赴任を経験しており、




なんと、仕事の傍ら大学院に通い、
MBAを取得中の子もいたのです。


「この子達は、私がもうどうにも
追いつけない場所にいるんだ、、、」



2個下の後輩ですら、
私よりもうすでに
良いお給料を貰ってるらしい。


自分はといえば、子ども優先で、
通常の勤務時間すら削った
時短勤務の状態。
2人目も欲しい。

同じ1歳児を持つママさんでも、
フルタイム復帰は当たり前というだけでなく、


会社の飲み会も夜遅くまで参加したり、
ゴルフコンペにまで顔を出して、
上司に顔を売っているバリキャリママも
いると知る。



単なる共働きではなく、
キャリアを追うママなら当然、
最低でもフルタイム。



私は、専業主婦の母のもとで育てられました。
そんな私でさえ、鬱病になった母から
冷たくされ、軽くあしらわれ、
もっと私を見てほしいと思ってきたのに。



ただでさえ、パニック障害の
爆弾を抱える私が、
キャリアを優先した瞬間、
娘にはきっと無理させてしまうだろう。



私よりも辛い思いなんて、
娘には絶対にさせられない。


私はここで、
本当に諦めるしかなくなりました。


私は、会社で出世できないだろう。



会社キャリアを完全に諦めた私は、
出世の王道とされていた経理のポストから
自ら抜け出すことを選びました。




月70時間残業が当たり前の環境から、
定時基本の
定年前のオジサン達が集う部署へ。




とりあえず、会社員として最低限のレベルで、
ゆるーく働くことを決めたのです。


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 やっぱり、自分の価値を諦めたくない。
 突然変わった私の未来。
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一方で、毎日頑張って生きているのには
変わりないのに、
気がつけば、時短勤務で収入は激減しました。
その時間分働いてないから、当然です。



「こんなに頑張って生きているのに…
 私の価値って、所詮こんなもんなんだな。」


ぐずってなかなか寝付かない娘を揺らしながら、
今月の給料明細を見て、
ぽろっと、本音がこぼれ出る。


キャリアを諦め、
凡人ワーママとして生きていく。



「それなりにお金もらって、それでいいじゃん。
 それが子どものためだから。
 これが女の幸せのはずだから。」


家庭が幸せならそれでいい。
あの頃、孤独だった私はもういない。
だからそれでいい。


そう自分に言い聞かせながら、

「ホントは価値ある誇れる自分でありたい。」



中学で悔し涙を流したときから
ずっと変わらない、
そんな想いに蓋をした
毎日を送っていました。


そんなとき、
Youtubeをぼーっと眺めていると、
こんな広告が目に留まりました。


”時間とお金の自由、両方を手に入れる働き方”


「は?どゆこと?」


最初、自己紹介見たとき、
めちゃくちゃ怪しんだ。


だって、稼ぐ系の発信者なんて
信用しちゃいけないって、
色んなところで聞くから。



それでも、その人の
色んなコンテンツを見るうち、
どんどん惹きこまれて行って、


いつしか、私は、
好きだった某アイドルよりも、
その人の発信ばかり見て
生活するようになっていました。


私はほぼ、隙間時間のすべてを
その人に捧げていましたが、
その人は、いつもこんなことを言います。



「ぼくのいまの稼働時間は、
 1日1~2時間くらい、
 好きなタイミングでパソコン
 カタカタやる感じです」


その作業量で、開始1年で月110万。
起業4年目となった今は、月500万を
ほぼ自動で稼いでいるのだと。


そしてそれは、
素直に学んで実践さえすれば、
本当に誰でも再現できるんだ、と。


・・・それくらいの時間なら、私にだってある。
時短で働き、育児に忙しい私でも、
1日1~2時間くらいはある。


怖い。
けど、このまま希望のない未来の方が怖かった。


私は、震える手で、
意を決して、その人にお金を払いました。


目に見えない情報に対して、
旅行に行けるような金額を一気に投資。
怖くて仕方なかった。



でも、騙されたと思って。
この人みたいになれるなら、と。


結果、
スキマ時間で2ヶ月コツコツ作業し、
自動で売上が立つ仕組みも
完成させました。


確かに、育児仕事の合間に行動し続けるのは、
それなりに気力は必要でした。



ただ、教えてもらった
レシピ通り作ったらあとは、
それが副収入を生み出し続ける
「資産」になっていく。



だから、いまやる作業が、
どんどん先の自分を楽にしてくれる。


今までの人生、これからの人生において、
何を頑張っても、
頑張り続けて終わらない世界にいた
私にはへっちゃらでした。




最後に


ここまで読んでくださり、
ありがとうございました。


生まれ持った資産は何もない、
さらには頑張る馬力も、
満足にできる時間すらない。
あるのは、普通に一生懸命生きてきた過去だけ。



そんな私のような凡人でも、

・正しい知識を身に着けて、
・一定期間、実践し続ける


この2つさえできれば、誰とも競争せず、
大きなリスクも負わず豊かになれる。
それが、私が教わったコンテンツビジネス。



私はさらに、パニック障害持ち、
子持ち×会社勤め。

かけられる労力に大きく制限がかかりますが、
それでも実践できました。



だから、本当に誰でも
スキマ時間での起業は実現できます。


そして、その方法論は行動さえすれば
誰にでも出来るのです。
その通りに行動さえすれば。です。



まるで、美味しい料理を作るレシピは、
既にあるように。。。


ここまでの長文を読んでくださているのだから、
きっと人生を変えたいと思っているはず。
あなたにも、必ずできます。


数あるブログの中から、
私を見つけてくださってありがとうございました!


この出会いが、あなたにとって
人生が変わるきっかけになりますように。



あなたの人生、心から応援しています。
一緒に一歩ずつ、進んでいきましょうね!


はるティ


追伸

今回は自己紹介ということでしたが、

「ビジネスについてもっと知りたい」

と思ってくださった方は、
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