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ごちそうさまって言わないで

ごちそうさまって言わないで

肉や魚とはもちろん違うし、ジャガイモやにんじんのような存在感も桃やぶどうみたいな季節感もない。
夏も冬も春でも秋でもいつもそこにいるけれど、バナナほどには愛されない。
いなくても困りはしないし、なんなら大嫌いだって今まで散々言われもした。
それでもそんなボクのために案外みんなお金を払ってくれるのは結構自慢なんだ。

まわりのみんながどんどんいなくなっていく中でぷかぷかと海の中を小さなクラゲのように

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山のひと

山のひと

「そういう年頃だから」
そう言ってしまえば楽になるけれど、それを言ってしまったら最後か…

最近もりもり成長をしてきた豚トロのような腹周りをさすりながら鏡の前でひとりつぶやいた。
食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食べ散らかしているツケは中年になって確実に回ってきた。
そして少しでもツケの支払いの足しにと一大決心をして山登りを始めることにした。
頭のてっぺんからつま先までウエアやグッズを揃え、

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ボタン

ボタン

ゴーグルをはめて仮想現実を体験できるようになった時には、いつか映画で見た夢のような未来へとついにやって来たのだと世界中が興奮した。
そして今、世界はそこからまた一歩進化した。

コントローラーにはINとOUTのボタンが付いた。
仮想現実を体験中にINを押せば、実際に(身体を残した意識のみが)仮想現実の中へと入っていけるようになったのだ。
課金して得た装備を実際に自分が装着している感覚をリアルに体験

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ドーナツの穴

ドーナツの穴

「あの、ここですか?未来が見える穴のドーナツのお店って」
「未来が?穴から?ドーナツの?確かにドーナツはありますがここはただのコーヒー屋ですよ」

そのコーヒー屋さんは4丁目のビルの隙間に時々現れるコーヒーとドーナツだけの小さなお店だった。
いつの頃からだろうか、噂を耳にするようになった。そのお店のドーナツの穴から未来が見えるのだと。
「ま、そんな噂もあるようですけどね。僕はただコーヒーとドーナツ

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世界

世界

変な夢を見ているな。

薄暗い中をてくてくと歩いていたら、
コツンと何かにぶつかった。
ゆっくり瞬きをしなおして、前を見た。
その先には少しずつゆがんだ輪郭の風景が
どこまでも続いているように見えていた。
手のひらを伸ばしみると、
ペチンと音がして
やっぱりそこには何かがあった。
ペチペチペチ…
みぎひだり動かす手のひらは
ひんやりとした
壁のような何かを何度も叩いた。
ぐるりと向きを変え歩く。

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道端

道端

「さぁ、そいつぁどうかな…」

通りすがりにどこから聞こえてきた。
まるで俺が今考えていたことを見透かしたかのように、その声は後頭部の右斜め45度あたりをコツンとつついた。
その一瞬の刺激に俺はほんの今の今まで考えていたことをうっかり忘れた。
それが良いことなのか、悪いことなのかはわからないけれど、とにかく忘れた。
グズグズとずいぶん考え込んでいたような気もするけれど、うっかり忘れるくらいだから、

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灰

幼い頃に住んでいた家には、玄関の横に取って付けたような物置き小屋があった。

隣りのアダチさん家は子供が独立をして60代くらいのご夫婦二人でゆったりと暮らしていた。
アダチさんのおじさんは大工さんで、木で作るものならたいていのものはサクサクっと作ってくれた。ウチの物置き小屋もきっとアダチさんが作ってくれたんだと思う。
物置き小屋の手前はひんやりとした土間になっていて、家族の自転車や灯油のドラム缶、

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母の味

母の味

手の中でくずれず、
口の中に入れた時に
ほろほろとくずれていく
おにぎり。

甘すぎず辛すぎず
ほどよい味の 煮物。

ほくほくポテトサラダ。

じゅわりと甘いお揚げの
いなり寿司。

母が作ったものは
ぜんぶ美味しかった。

キッチンでカチャカチャカチャっと
ここちよい音が響いたあと
あっという間にごはんが
テーブルの上を埋めた。

母は料理の天才だった。

「私もできるようになるかな…」
「な

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庭

庭で小さなまあるいものをみつけた。
私にはそれが何かすぐにわかった。
急いで家の中へ入り、ゴミ箱の中からカップヌードルの空容器をさがして庭へ戻った。
容器の中に半分ほど土を入れて、真ん中にまあるいものをそっと置き、その上にふわりと土をかけた。そしてそれを縁側の下に隠した。
そんなものをみつけてしまったことを伝えれば、きっとみんな怖がるだろうから母にも姉にも家族の誰にも言わない方が良いだろうと判断を

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時空販売機

時空販売機

気が付けば、子供の頃にアニメで見ていたような時代に追い付いていた。
噂のあれがついにこの街にもやってきた。

スーパーの駐車場の一角を工事しているなと思いながらぼんやりと眺めて通り過ぎていた数週間。四方を囲んでいたフェンスが取り払われ、ピカピカ輝く真新しいゲート状のそれが姿を現した。『時空販売機』この街にもようやくそれがやってきた。
行きたい年代を決めて、必要ならピンポイントでの場所指定などのオプ

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影

「写真とか、やめてくださらない?」

用事があってでかけていった市役所の前で猫をみつけてかばんの中からカメラを取り出していると、どこからか声がした。
「え?」
しかし振り向いても、前に向き直しても右にも左にも人の姿は見当たらなかった。
喫茶店の入り口の横に置かれたプランターの後ろからひょっこりと顔をのぞかせて、じっとこちらを見上げていた猫と目が合った。
カメラのレンズからキャップをはずすと、
「だ

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春の夜

春の夜

コツコツ コツコツと足音が、暗闇の中から私をみつめるようについてきていた。

「またか…」
足音はそうやって私の背後に時々現れた。
気にはなるけれど振り向く勇気もなく、カチカチに力の入った膝でぎこちなく早歩きしているうちに、いつのまにかその音は闇の中に紛れて消えた。
ほっとして歩き出した私の背中を車のヘッドライトが照らした。私の前にすぅーっと伸びる影は私の歩調に合わせてゆらゆらとゆれた。
なんとな

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境界線

境界線

その日は確かに不思議だった。
小脇温め担当の小さな湯たんぽがなぜだか朝にはいつになく余所余所しかった。

100円ショップの湯たんぽに期待をしていいものか、そんなもんよと指先で笑っておいた方が傷付かずにすむのかの中間で私はゆらゆらとゆれていた。
私の期待とあきらめをちょうど裏切るように毎晩彼(か、彼女)は小脇から肩あたりを温めながら眠るまで、ちゃんと見届けてくれた。
うれしい裏切りだった。
その裏

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ザ・ナッツ

ザ・ナッツ

「見た目はそっくりなのに、中身は全然違うんだね」

10分違いの同じ誕生日のミユとマユ、私たちは双子。
ミユはいつもニコニコしていて周りの人をその笑顔に巻き込んだ。
私はミユのそばで影のようにいつもその様子を見ていた。羨ましいというわけではないけれど、羨ましくないといえば、少し強がりになるのかもしれない。
絵を描けば入賞し、作文を書けば大人に褒められ、陸上大会や水泳大会ではたいてい表彰台に上った。

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