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あしかのエッセイ

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くだらないことばかり書いています。気が向いたら読んでみてください。
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#人生哲学

ザッツ・オール

ザッツ・オール

もはやここまで。

物事にはじまりもあれば、おわりもある。
人の命もしかり。

継続することは美しいこと。
それならば終わらせることも美しいことではないかな。

時々、ふとすべて手放したくなることがある。
何もかも取っ払って「何者でもない自分」になってしまいたい。
その衝動はふいに訪れて、心のなかでうごめいてキュっと締め付けてくる。

持っているから手放すことができる。

自分の意としないところで

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孤独を突き進む覚悟

孤独を突き進む覚悟

何かを始めるとき、ひとりではできない。

この文章を書き始めるついさっきまで、そう思っていた。しかし、それはどうやら違うようだ。

新たに挑戦を始めるのは不安だし、怖い。だから道連れが欲しいという気持ちになっているだけだということに気づいた。

不安で怖い道のりをわざわざ好んで付いてくる奇特な人、そういるもんじゃない。そんな人はひとりでもうとっくに目標に向かってひとりで突き進んでいるだろう。

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ちょっと立ち止まって考えてみよう

ちょっと立ち止まって考えてみよう

毎日、仕事をしていると、いつの間にか無意識でやり過ごしてしまい疑問を持たずに続けてしまうことがある。

そのような時は、ちょっと立ち止まって考えてみることも大切である。

忙しいと休みなく突っ走っていかなければならないという強迫観念に襲われて、周りを見回す余裕がなく人の意見に耳を傾けることもない。

うまくいかない時に無理して進めても良い結果が出ない場合は、一切の作業を止めて違うことをに着手する発

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みんな悩んでいるんだね

みんな悩んでいるんだね

最近、周りから仕事や恋の悩みを立て続けに受けている。

楽しい仕事やウキウキする恋の悩みなら、こちらも楽しい気持ちになるのだが、仕事でひどい仕打ちにあったり失恋して落ち込んでいるという話を聞くとこちらも気分が落ちる。

もちろん仲間が悩んでいたり、苦しんでいたりするのだから力になりたい気持ちはある。

とはいえども、問題とする事象は相手があることなので、結論としてはどうしようもない。

書き始めて

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おひとりさま時間

いつもバイクで移動をしているのだが、雨が降ると仕方なく電車で移動する。

ほぼドアtoドアで移動できるバイクは、道路交通社会に身を置く立場ではあるが、
自分一人の時間を過ごす観点からすると、自身の有意義な時間として捉えている。

電車は駅に向かう道のり、駅舎、プラットホーム構内、車内と人と関わり合いを
持つ場であるため、移動の時点で疲れてしまう。

とはいえども、移動中に読書をしたり文

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ルーチンワークと惰性

仕事をこなすという表現がある。
この「こなす」は本来「やりこなす」という意味だと思う。

やりこなすの意味は、ものごとをうまく処理する。

よって仕事をやりこなす。と表現した場合、仕事を完遂した。やり遂げた。という理解ができる。

しかし、仕事をこなす。という言葉にはどうもやっつけ仕事というイメージがつきまとう。

こなす(熟す)を辞書で調べてみると、

与えられた仕事などをうまく処理する。

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変わらないのか 変われないのか

ツイートはnoteを再び書き始めようと思い、
過去の投稿を読み返していたときに思ったこと。

2年前にnoteで吐露していた内容について、今も基本的に考え方は変わっていない。 ただし、あの頃に比べると少し俯瞰して物事を捉えることができるようになったようだ。

まず、他人にあまり期待しなくなった。
やりたいことは自分で動いて少しずつ積み重ねていく。

もちろん、ひとりでは成し遂げられない

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コミュニケーションと発信力

最近、挨拶しない(できない)人が増えている。
人と極力関わらないようにしようとしているようにすら感じる。

ひいては「自己中心的」、言い換えれば「思いやりのない」「やさしくない」世界がそこにある。それが現代の時流であるならば、私はその波には乗りたくない。

昨日のnoteで、抗うことが出来ないもの。という表現をしたが、これは抗わなくてはならない。決して受け入れてはいけない文化である。

昨日、

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とりあえず「やってみよう」

およそ2年ぶりにnote書きました。
月日が立つのは早いものですね。

最近、与えられた仕事というか職務というか、いわゆる「やらなくてはいけないこと」に対する嫌悪感と現実逃避の感情に捉われている自分に気づいた。

ここから脱却できていない自分を再認識することになったと言い換えたほうがしっくりくるかもしれない。

結局のところ、心の奥から楽しめていない状況があるのだと思う。

楽しければ、そもそも「

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自分の為にガンバっているからシンドイ。

人は基本的に利己的なものだ。

自分が生存していきたいという意識のもと、行動をするのは当然なこと。だからこそ、利他行為のような考え方をすることが大切である。

そこには利己的になる自分自身との戦いがある。尊い挑戦なのである。

もしかすると、利己的になっているので脳が身体に指示を出して、「利他行為の大切さ」を教えてくれていたのかもしれない。

体がシンドいと、まあ本当にうんざりするほど利己的な気持

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立場をふりかざす愚かな器の小さな人間

立場をふりかざす愚かな器の小さな人間

昼に投稿したムービーについて、アンサーのようなことを書きます。

自分の思い通りにならないからといって、罵詈雑言を浴びせてくる人がいる。なぜ、そのようなことになったのか、考えを及ぼすこともない。

物事は相対性を持っていることを知らないのか、それとも認めたくないのか理解に苦しむ。

いま起きている事象を相手の行動のみによってもたらされたものだと信じてやまない人がいる。

相手の行動は自分ありきのも

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実力や能力を推し量る指標と楽しむ工夫

実力や能力を推し量る指標と楽しむ工夫

自分に負荷をかけようとして、あれやこれやと新しいことを始めている現状があるのだが、キャパシティのギリギリにきている感じがする。

キャパシティという言葉は、受容力として理解していたが、もうひとつ「物事を受け入れる能力」というの意味も含んでいることを改めて認識した。

おそらく「ちょっと頑張ればできる」くらいの課題を自分に与えていると、小さな成功体験を重ねることができるようになる。

そして、挑戦

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すべての悲しみを力に変えて生きる

すべての悲しみを力に変えて生きる

週末、なにかと心がざわついていたので自分と向き合っていたら、ふと今まで起きた悲しいことを思い出して、今後の生きる指針にしようと思った。

オトナになったから、強く生きていかなくてはと心の奥底に無理やりしまいこんでいた過去と一度向き合おうと思った。

もともと、自分の中にある複雑な感覚や、色にも例えようもないつかみどころのない感情を文字にして表現したいという気持ちがあった。

だから、文章を書くとき

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スポーツのドキドキは人生感そのものである

スポーツのドキドキは人生感そのものである

僕はお笑いが好きでよくテレビや動画を観ているんだけど、ライブを観に行ったことは一度もない。

一方でスポーツも好きで、こちらもよくテレビやネット中継を観ているし、何度も観戦に足を運んでいる。

観客という立場から考えると、スポーツ観戦はリスクが高い。

試合結果に勝敗というものがつきまとうので、必ずしも「楽しい」結果が
もたらされるとは限らないからだ。

もしかしたら、ボロ負けして「時間とお金を返

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