コミュニケーションと発信力

最近、挨拶しない(できない)人が増えている。
人と極力関わらないようにしようとしているようにすら感じる。

ひいては「自己中心的」、言い換えれば「思いやりのない」「やさしくない」世界がそこにある。それが現代の時流であるならば、私はその波には乗りたくない。

昨日のnoteで、抗うことが出来ないもの。という表現をしたが、これは抗わなくてはならない。決して受け入れてはいけない文化である。

昨日、こんなnoteを書いたので早速ネガティブツイートなんじゃない?と自問自答したりしたけど、まあ、問題提起ということで。

個人が取り沙汰される昨今、自分ひとりで実現できることが増えた。直接的に人と関わらなくても利益を上げて商売を営むこともできる。

しかし、それは実感できる範疇のハナシであり、実際はひとりでは何も出来ないことを知っておく必要がある。

知るとは、知識として持ち合わせているものではなく、実感して腹落ちしている状態のことであると私は思う。

ただ、TwitterなどのSNSでは人とのつながりを求めているように思える。その側面から見ると、私もそのひとりであるだろう。

オンラインで人とのつながりが簡単になった反面、オフラインではなるべく関わらないようにしよう。というような意識があるのだろうか。

ネット上の関係は、双方向のやりとりであるように見えるが、実際は一方的なものである。簡単に連絡をとらずにその場から立ち去ることができる。

不特定多数に発信するSNSや、note、ブログはコミュニケーションというよりは、街頭演説のようなものかもしれない。

興味がある人は、その声に耳を傾ける。立ち止まってじっくりと演説の内容を聞いてみようと思う人もいるだろう。

Twitterではリプだったり、いいねだったり、noteやブログのコメントがそれに当てはまるのかなと思う。

以前、noteを毎日書いて更新したころ、#読まれなくても構わない というタグをつけて投稿していたことがあった。

発信力を身につける練習や訓練のようなものだから、特に誰に読んで欲しいわけでもないし、読まれなくたって構わない。書くことが大切だと思っていた。

ただ、続けていくうちにだんだんと多くの人に読んでもらいたい、共感を得たい、注目されたいというエゴや欲がふつふつと湧き上がっていることに気がついた。

そして、たいした力もないのに影響力を恐れて、だんだんとアウトプットから遠ざかっていた。

特に毎日なにか新しいことが起こるわけでもない、単純で平凡な毎日。

日常から切り取る話題がなく、自分が感じたことや考えていることを書き綴るうちに、自分の器が小さく狭い世界観で生きていることに気づく。

背伸びする必要はない。

とにかく、また毎日書いていくことを続けてみようと思う。然して目標もない。ただ、アウトプットして発信力に磨きをかけたいという願望はある。

読まれなくても構わない。自分のために書こう。

それでは、今回はここまで。

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