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みんな悩んでいるんだね

最近、周りから仕事や恋の悩みを立て続けに受けている。

楽しい仕事やウキウキする恋の悩みなら、こちらも楽しい気持ちになるのだが、仕事でひどい仕打ちにあったり失恋して落ち込んでいるという話を聞くとこちらも気分が落ちる。

もちろん仲間が悩んでいたり、苦しんでいたりするのだから力になりたい気持ちはある。

とはいえども、問題とする事象は相手があることなので、結論としてはどうしようもない。

書き始めて200文字ほどで結論を述べてしまったので、この話題ふくらむのかなと思うけど、まあ気が向いたら読んでみてください。

自分のものさしに当てはめる

人はみんな自分のものさしを持っていると思います。

そのものさしを、自分の都合で押し当てて物事を推し量ります。そして、長いだの、短いだの言ってわーわー騒いでいます。

もう、そういうのやめません?

相手がどうだとか、共感できないことなどに焦点を当てて文句を言っている姿、あまり素敵とは言い難い。

相手に歩み寄る努力は当然必要なものだけど「それを良しとしない」一定数のカテゴリは存在するわけです。共感すべく無理をして心身疲れ果てるほどの努力をして付き合う相手に価値はあるのだろうか。

もちろん、利害関係が生じるところでは多少の我慢を強いられることは仕方がない。それすら嫌ならひとりで生きていけばいい。

私はなるべく相手が言うことは基本的に正しいと思うようにしている。なぜなら、その方のものさしで測っている物事は正しいはずだから。

じゃあ、どうして自分自身はおかしいと感じるのか、納得がいかないのか。それは、不利益を被るからである。損をしたくないのだ。

とは言えども、到底理解ができないことや受け入れがたいことを相手からされたり言われたりすると、正直しんどい。

逃げたくもなるし、率直に言うとブチ切れたくもなる。

怒りをぶつけて高圧的な態度を取るのはただの脅しだし、クレバーではない。歯に衣着せずに言えば低能である。

じゃあ、そんな低能な相手に自分が立て膝ついて目線を合わせてあげる必要がどこにあるのだろうか。

まっすぐ背筋を伸ばして前を向いていれば、そもそも気にならないのではないか。

相手の行動で心乱されていたら、それこそ相手の思うツボ。

ビールでも(下戸の人はコーラでも。炭酸が苦手な人はおーいお茶でも)飲んで忘れちゃいましょう。それが一番じゃない?

悔しい思いをした。悲しい思いをした。気持ちはわかるよ。

ツラかったよね。でも、もう諦めなよ。次に行こうよ、次に。

あなたが怒りを向けているその人は、本当は可愛そうな人なんだから。


それでは、今回はここまで。

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