変わらないのか 変われないのか

ツイートはnoteを再び書き始めようと思い、
過去の投稿を読み返していたときに思ったこと。

2年前にnoteで吐露していた内容について、今も基本的に考え方は変わっていない。 ただし、あの頃に比べると少し俯瞰して物事を捉えることができるようになったようだ。

まず、他人にあまり期待しなくなった。
やりたいことは自分で動いて少しずつ積み重ねていく。

もちろん、ひとりでは成し遂げられないことばかりだが、他人は思うように動いてはくれないし、いつまでも側にいるとも限らない。

2年の間にも、さまざまな出会いと別れがあった。 自身が成長していると、所属しているカテゴリーや変わる。身を置く場所が移り変わる。

Jリーグが3部までカテゴリが設けられているように、同じサッカーという競技で勝敗を競っているのだが、プレイのレベルが違う。

今まで、3部でプレイしていたとしたら、2部に上がればレベルの差を感じるだろう。

そこで怖気付くのか、負けん気を見せてくらいついていくのか。

そして、雲の上の存在とも思える1部を目指し、チャンピオンの座を虎視眈々と狙うのか。

選ぶのは自分自身だし、どの目標を持つのかは自由である。

変わりたい気持ちというのは「向上したい」「成長したい」と
いう言葉に置き換えられる。

人は変化を嫌い、安定を求める。

しかし、実は安定なんてユートピアを夢見てるだけの
幻想であることに気づいた方が良い。

一寸先は闇。この言葉を聞くも「絶望の闇」が
待ち構えていると感じる方もいるだろう。

決してそうではない。

絶望か、希望か、それすらもわからない「闇」が
そこに、ただ存在して漂っているのみだ。

一歩踏み出さねば状況は変わらない。

逆説的にいうと、

一歩を踏み出せば状況は変わる。

どちらを選ぶのか。それも自分次第だ。

結局、目の前に起こったもの全てが自身が
選択した結果であることを知ると成長につながる。

人は他人との関わりから、自分を知ることができる。
よって、他人が及ぼす影響によって受けた結果を受け入れられるかどうか。

まず、ここから変革が始まる。

自分自身を見つめ直した時に、変わったことはなんだろうと考えてみると、
自分が体感したものを客観的に捉えることが少しできるようになったこと。

衝撃をダイレクトに受け止めずに、一度呼吸をおいて感情の動きを観察する。
ちょっとしたアンガーマネージメントなのかもしれない。

少しは俗に言うところの「大人になった」のだろう。
多様性を受け入れて、個性を尊重すると見えなかったものが見えてくることもある。

信じていたもの、信じていたことが覆されることもある。
ただ、それは果たして「本物」であったのか「真実」であったのか。

考え方を改めるチャンスである。変わらないのか。変われないのか。


それでは、今回はここまで。

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