ザッツ・オール
もはやここまで。
物事にはじまりもあれば、おわりもある。
人の命もしかり。
継続することは美しいこと。
それならば終わらせることも美しいことではないかな。
時々、ふとすべて手放したくなることがある。
何もかも取っ払って「何者でもない自分」になってしまいたい。
その衝動はふいに訪れて、心のなかでうごめいてキュっと締め付けてくる。
持っているから手放すことができる。
自分の意としないところで、手放さなくてはならないモノや、コトもある。
手放したくないと強く執着するものほど、それは顕著なものかもしれない。
非日常を手に入れるのは簡単だ。
すべてを手放してしまえばいいのだ。
突然、目の前から消えることは「死」とあまり変わらないと思う。
20代の頃、何度も人の前から姿を消した。
突然、学校へ行かなくなる。仕事を辞める。
それは自分を保つための行為であると認識していた。
手を差し伸べてほしかったが、その手を見つけることはできなかった。
いや、そんなものはなかったのかもしれない。
今となっては知る由もないし、知ろうとも思わない。
高校生の時に「私が死んだら誰が悲しむだろう、何人がお葬式に来るだろう」みたいな作文を書いて担任が心配して母親に電話をしたらしい。
純粋にそう思っただけだし、自分の価値を知りたかっただけだ。
今、死んだらどうだろうね。
あ、今この場で死ぬことはしないので心配しないで。
なんとなく、今の舞台の幕が下りようとしているような気がしている。
「ながれもの」のような生き方をしてきたので、感覚として分かる。
やりたいことをやっている、やっていたつもりがいつの間にか「できること」をやっていて小さくちぢこまっている自分に気づく。
そして、同じことを繰り返していることにも。
これから先の自分自身の台本、どんなストーリーを書いてやろうか。
このまま終わってしまうような気もするけれど、終わらせてたまるかという気持ちもある。
いつ終わるかわからないから、楽しいんだよね。
積み重ねてきたものが報われる日が来るかどうかはわからない。
一体、何が正解なのだろうか。不正解だって別に構わない。
それでは、今回はここまで。
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