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よしなしごと

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心にうつりゆくこと
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2018年7月の記事一覧

ゴールド免許の取り方

ゴールド免許の取り方

「150キロ、200キロ出せる人が上手いのではなく

事故がないひとが上手いのだ」
僕が小学生の頃、
「ゴールド免許はそうやって取るんだぞ」
と教えてもらった。

じいちゃんより
#免許 #運転 #車 #じいちゃん #エッセイ

将棋で勝たせてくれない祖父とそのときの孫の気持ち

将棋で勝たせてくれない祖父とそのときの孫の気持ち

小さい頃。

両親が共働きだったこともあり

よくじいちゃんに遊んでもらった。

中でも一番遊んでもらったのは

将棋。

小学校高学年頃までは一緒にやってたかな。

将棋以外、たとえば腕相撲とかは

何回か負けてくれたことがあったけど

将棋だけは負けてくれなかった。

小学校高学年くらいのとき、
「また負けたー!」と思って

対局直後に風呂で浴槽に浸かりながら

ぎりぎりと一人で悔しがっていた

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戦争はするな ケンカは1対1でやれ

戦争はするな ケンカは1対1でやれ

97歳のじいちゃんがいる。
僕は昔からじいちゃん子だった。

特に小さい頃。親の言う事には反発しても
なぜかじいちゃんの言う事だけは素直に聞ける
そんなことがよくあった。

一度も怒られたことはないけれど
「これは守っておけよ」
ということはいくつかあった。

・靴は揃えて脱ぐこと
玄関は色々な人や気が出入りするところ
家の顔でもある
その家族を映す鏡
年齢も滞在時間も関係なく、
靴を脱ぐときは必

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子ども部屋、どうしてますか?

子ども部屋、どうしてますか?

現在、家づくりの真っ最中。
設計・施工ともに僕たち夫婦の好みにピッタリのパートナーも無事見つかり、
頻繁にやりとりしている。

その中でひとつ、思ったこと。

「子ども部屋をはじめから複数つくるべきか」

結婚時は、子どもは3人欲しいかなー、言っていたし
今もその気持ちは変わらないけれど

いまから仕切りがある部屋を3つも作るのは
予算的にも間取り的にも厳しいし、
正直そこまでの必然性も感じられな

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「父になる」を自覚したとき

「父になる」を自覚したとき

奥さんの妊娠がわかったとき、
心の底からうれしかった。

とにかくずっとにやけてるくらいうれしかった。
けれど。正直、どこか他人事みたいで
まだ実感がもてない自分がいたのも事実だった。

本当に自分が父親になれるのだろうか?

そんな思いが一気に晴れたのは

はじめて赤ちゃんの心臓の鼓動を聞いたときだ。
奥さんの定期検診。先生がエコーを見せながら赤ちゃんの心臓の音を聞かせてくれた。
よくわからない

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97歳のおすすめ本

97歳のおすすめ本

97歳のじいちゃん。

今日は久しぶりにじいちゃんとゆっくり話せたので
おすすめの本を聞いたら2冊紹介してくれた。

①宮本武蔵/吉川英治
②太閤記/吉川英治

<理由>
・何回読んでも飽きない。人間にとって大切なことが書いてある。
・読むと実際に行動しようと思える。
・偉人のようだがあくまで一人の人生の例。自分自身に置き換えて読むと共感できることがたくさんある。
・中には作者の名前だけ売りたい浅

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臨月の妻のホンネ

臨月の妻のホンネ

臨月の妻。
僕の帰りが遅い日も、いつも優しく、明るく出迎えてくれる。

・今日は通販で赤ちゃん用のかわいい服を買ったよ
・新居の間取り、こんなのはどうかな
など、いつも楽しげに話してくれる。
その時間は僕にとってしあわせなひとときだ。

ただ。
6月〜7月上旬の僕は本当にバタバタしてしまって、
帰宅時間が遅い日が続いていた。

そんなある日の夜。
ふと妻が「今週末に両親学級があるんだけど、行かない

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小さい頃、シャンプーとリンスの違いについて自分なりに考えた話

小さい頃、シャンプーとリンスの違いについて自分なりに考えた話

小学生になるかならないかの頃。

座って生協のカタログチラシを読んでいる母の背におぶさりながら
「なんでシャンプーはしなさいって言うのに、リンスはしなくて良いって言うの?」
「お母さんはしてるのに!」
「シャンプーとリンスの違いってなに?」
と聞いてみた。

母はその時、生協に夢中だったのか
少なくとも僕が納得する回答はしてくれなかった。

何と言われたのか細かくは覚えていないが、
とにかく母親の

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醤油団子さえあればすべてのおかずが手に入った話

醤油団子さえあればすべてのおかずが手に入った話

中学生の頃。給食導入前夜の話。

昼ごはんは弁当を持ってきてもランチボックスを注文してもコンビニで買ってきても、何でも良かった。

その頃僕は、醤油団子にハマっていた。

とろける蜜の味やモチモチの食感がすきで、よく「弁当の一部」として持ち込んでいた。

不思議なことに、そうするとほぼ100パーセント、
「醤油団子と〇〇(一軍のおかず)交換しない?」と友だちからトレードを持ちかけられた。

最初は

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練習は試合のつもりで 試合は練習のつもりで

練習は試合のつもりで 試合は練習のつもりで

小学校のときの野球チームの監督のことば。

練習の一球は公式戦の一球と同じくらいの集中力をもて。
試合の一球は気負わずに普段やってきたことをそのまま出せばいい。

結局、「一球の重み」を身に染みてわかっているチームに
気まぐれな野球の神様は微笑みがちだ。

野球を教えてくれてありがとう、服部監督。

空のうえから、見てますか。

8月に息子が生まれる予定です。
野球選手になれとは言わないけれど

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小学校の卒業式。先生が最後に黒板に書いた言葉。

小学校の卒業式。先生が最後に黒板に書いた言葉。

「どっちに転んでも しめた」

〜〜〜

体育も音楽もバツグンに上手かった斎藤先生。

もともとピアニストになりたかったけど、
挫折して先生になった。
でもいまは、この道を選んで良かったと。

何かに一生懸命なひとは、魅力的だ。
どこかひとを惹きつける、雰囲気がある大人はみんな
夢中で頑張っているひとだ。

どんな道を選んだとしても、一生懸命その道を切り開いていくひとだ。

それは
こどもにも、い

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「この公式はいつか君たちがバラの花束を送るときに役立つかもしれない」

「この公式はいつか君たちがバラの花束を送るときに役立つかもしれない」

高校生の頃。
数学者の秋山仁先生が僕の高校で特別授業をしてくれたことがあった。

その時の話がとにかく面白くて
何より話している秋山先生がキラキラしていて、
振り返ると、その後も数学がきらいにならなかったのは、あの授業のおかげなのかも。
っていうくらい面白かった。

そのとき。
秋山先生が講演中に放った強烈な一言。

「この公式はいつか君たちがバラの花束を送るときに役立つかもしれない」いやいや、い

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東京で暮らしたい?問題

東京で暮らしたい?問題

東京に数年間住んでいた。

その後、地方に戻ってきて思ったことは
圧倒的な「暮らしやすさ」だった。

東京時代は転勤で来ていたこともあり
家賃補助が相当出ていた。
当時の年齢を考えれば、だいぶイイところに住まわせてもらっていたと思う。

独身で給料もそのまま自由に使えたので
相当東京を満喫していた。
夜遅くまで働いて、そのまま明け方まで飲み会
そして一瞬家に帰ってシャワーを浴びて
2〜3時間仮眠し

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校長先生の朝礼で唯一覚えている話

校長先生の朝礼で唯一覚えている話

校長先生の話で唯一覚えているものがある。
中学生のとき。たしか。

銀座のママに「どんな男が魅力的なのか。成功・出世しているか」
と聞いたところ(本とかの引用だったかもしれない)、こう応えたそうな。

「どんなに良いスーツを着ていても、ズボンのポケットにお菓子の包み紙が入っているひと」

曰く、「どんな年齢・立場になっても遊び心、少年の心を常に持っている人」
そんな意味だったと思う。

なるほど

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