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[エッセイお仕事小説]銀座東洋物語。

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ホテルは幸せな仕事。二十代半ばで転職し続けたどり着いたホテルは働く人も泊まる人も幸せなホテルだった。著者が経験した仕事をエッセンスに、小説風にまとめました。昭和の仕事の仕方はこん…
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銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の⑥

銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の⑥

 ハウスキーピングマスターの邦康さんは、普段はポーカーフェイスで元ベルマンのチーフだったのが納得できる澄ました顔でゲストに対応する。業界の人や同じビルにある劇場に出演している俳優にホテルのバックヤードを案内している時は、少し様子が違う。声のトーンが上がるのだ。
 邦康さんの訳知りな感じの説明の声がうわずっていたから、振り返るとサービス業界とも芸能関係とも違う色合いの人がいた。その人に鍵交換の話をし

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銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の⑤

銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の⑤

 「吉田くんがね・・・」

 ホテルは幸せな仕事だ。お客様の笑顔のために働く。これほど清くて楽しい仕事はないだろう。残念なのは、その精神を間違った方向でゲストに利用されてしまうこと。

 清雅様に部屋の鍵を渡さない作戦の後、部屋の中にあるはずの未払いの帽子を身につけているところを撮影されていたため、マネージャーが部屋をチェックした。すると、何も聞かされていなかったスタッフが直接奥様から連絡をもらい

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銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の④

銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の④

 マネージャー会議にゲストの名前が上がることが増えた。普段ならホテルの業務をハンドリングする宿泊、料飲、ベルのセクションのトップだけが出席する場だったが、経理担当が顔を出すようになった。半年が経ち定期的ではないものの数回支払いが実行されたこともあって、催促するところまではいっていなかった。その頃はまだ上層部は、やんごとなき一族がホテルに住んでいる、そのことにステータスを感じていたのだ。

 外の店

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銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の③

銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の③

 想像してみてほしい。主たる世界の都市の華やかな表通りのそばに一流と呼ばれるホテルがある。そのホテルは、国賓を迎えたり、国際的スターが宿泊したり、我が家のように滞在中使う。途中、各地を飛び回ることがあっても滞在中のハブとして確保され、その間荷物を保管したり郵便物や品物の送り先になったりする。

 銀座東洋は日本一のショッピング通に面していた。河童橋や浅草といった江戸指物や調理道具の問屋街にも近かっ

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銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の②

銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の②

(まだの方は①に戻ってお読みください)
 話が外れた。
 銀座東洋のブランドルームには決まりがあった。思い出話はさておき、そのため清雅様というゲストのリクエストに応えることはできず、代わりに一つ下の階層にある全く同じ間取りの部屋を用意し納得してもらうしかなかった。
 部屋を替わったその日、大量の荷物が運ばれてきた。銀座通りから入ってきた車はホテル一階の切り込んだような入り口に入ると対角線上の奥で、

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銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の①

銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の①

 「鍵を換えるしかないんですよ」
 そういう声がして振り返ると、バックヤードにたった一つしかないエレベーターの列の後ろにハウスキーピングマスター、邦康さんがいた。彼はバレーボールのプロになるかホテルマンになるか迷った経験を持つ人である。ソフトなハンサムだが、タッパがある姿は威圧感がある。しなやかな筋肉を包んだグレーのスーツのユニフォームの腕がピンと張り詰めているから、いざとなったら泥棒や強盗に向か

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銀座東洋物語。9(未来を救う人)

銀座東洋物語。9(未来を救う人)

 「僕 長銀のNといいます。一部屋予約したいんだけど」

 ホテルの予約システム上、ゲストならだれでもかれでもウェルカムではないことは説明してきたが、ここまではっきり勤め先まで名乗るゲストは珍しかった。
 長銀は、正式には長期信用銀行という。1998年に活動停止した銀行だが、ドイツの日系免税店で働いていた頃は同系銀行の中でもトップランナーだった。
 「Long-term Credit Bankって

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銀座東洋物語。8(宵のホテル)

銀座東洋物語。8(宵のホテル)

 あれは今から10年以上まえのことだから、ホテルをやめてから20年以上経っていたことになる。銀座東洋で仲良くなった子から連絡がきた。

 その子を、Sさんとしよう。彼女はホテル学校をでていくつか都内のホテルを経験したあと、東洋に就職した。個性の塊のような子で気の回るサービス業にピッタリの女性だ。この職業は最初に配属された部署の専門になることが非常に多かったけれど、このSさんは野心家だった。客室の管

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銀座東洋物語。7(幸せと冒険)

銀座東洋物語。7(幸せと冒険)

 クーリエサービスで大枚の現金を送ろうとしたポール氏のことは、私が地下一階の電話交換室から異動になってから起こったの出来事だ。地下にいてはクセ強めの宿泊客とゲストの快適だけを追求したいホテルマンの攻防を近くで見ることはできなかった。

 テレフォンオペレータとして入社したのが、地下の電話交換室にはわずかの期間しかいなかった。当時転職を繰り返していたけれど、契約期間の途中でやめて帰ってきてしまったと

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銀座東洋物語。6(幸せな仕事・I)

銀座東洋物語。6(幸せな仕事・I)

 いつのまにか私の体験談になってしまった。しかしなぜ、30年も経った今、あのホテルのことを書こうと思ったか、それを説明させてほしい。
 端的に言って、ホテルは私の仕事の経験のなかでも、一番幸せだったからだ。それは多分、ホテルの最大の目的が顧客の幸せというところにあったからだと思う。
 こんなことがあった。 
 もう時効だとおもうからはなそう。

 そのころ、ホテルは北米のホテルグループを皮切りに、

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銀座東洋物語。5(地下の影の仕事人)

銀座東洋物語。5(地下の影の仕事人)

 入社してすぐ配属されたのはテレフォンオペレーターだった。縦長のビルの地下二階だっただろうか、日本料理の老舗と、ホテルのイタリアンレストラン、それからホテルの軽食喫茶の厨房がそれぞれならんだフロアで、オペレーター室は防火扉かと思うほど何気ないドアの奥にあった。電話交換というから、スイッチボードがずらりと並んでいて、そこに女性のオペレーターが何人も座っている絵を想像したが、それは簡単に裏切られた。

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銀座東洋物語。4(忘れられない面接)

銀座東洋物語。4(忘れられない面接)

 そんなこんながあって、私の就職活動の方向性は当初のものから180℃変換した。というより、帰国して二年近くがたち、そろそろ本気で正社員のポジションにつかなければと焦ったところに、例のごとく、Japan Timesの求人欄に銀座東洋の求人欄が舞い降りたのだった。
 あの頃の求人広告といえば、ラフなのはフォントも変えることなく、新聞記事と同様にすらりと書かれているものがほとんどで、数字の幅寄せもなくア

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銀座東洋物語。3(あのころの海外駐在)

銀座東洋物語。3(あのころの海外駐在)

 そもそも2年半の契約だったのに、10倍以上の競争率で合格しそのころまだ西ドイツだったフランクフルトのその店に仕事を始めたら、どうしたことか虚無感にとらわれてしまった。
 最初の数ヶ月は慣れることに一生懸命になって何も感じなかったが、だんだんと仕事になれました。しかしこれは天性というか、決定的に数字に弱いという特性を発現させたのもこの時期。生来の商売人の才能は発揮して一日の担当部門売上100万円の

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銀座東洋物語。2(昭和60年代仕事探し)

銀座東洋物語。2(昭和60年代仕事探し)

「ご要望はお伺いしました。空き状況を確認いたしまして、折り返しお電話差し上げますので、恐れ入りますがお電話番号を頂戴できますか?」
 銀座東洋での仕事の始まりは、このやりとりだった。当時ホテルといえば、泊まる日を伝えれば即座に用意できるかどうか回答があり、ルームタイプの希望や人数、到着時間へとトントン拍子に話は進むものだったが、そうはいかないのがこのホテルの特徴だった。

 私はドイツの日本企業に

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