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銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の④

 マネージャー会議にゲストの名前が上がることが増えた。普段ならホテルの業務をハンドリングする宿泊、料飲、ベルのセクションのトップだけが出席する場だったが、経理担当が顔を出すようになった。半年が経ち定期的ではないものの数回支払いが実行されたこともあって、催促するところまではいっていなかった。その頃はまだ上層部は、やんごとなき一族がホテルに住んでいる、そのことにステータスを感じていたのだ。

 外の店での売掛金が嵩んでいた。夫婦のスウィートルームにはブティックの店員が運んできたブランドの包みのまま積み上げられた箱がいくつも。スタッフの中には担当のような子も出てきた。ホテルでは完全な黒子のスタッフも長期の宿泊とになるとそういうこともある。出勤時間と夫妻が部屋にいる時間がたまたま一緒になることがあって、栓抜きを持ってきて、アイロンをお願い、なんてリクエストを受けているうちに、あら、あなたこの間の子ね、じゃあこのお菓子どうぞ、なんてことかもしれない。
 こういうことはなかなか本人は話さない。だから元公家の夫婦にそんなふうに心をかわしたスタッフがいたことは秘書の私の知るところになるのはずっとあとのことだった。

 清雅夫妻が最初に訪れてから一年半経った。未払いの宿泊料と部屋付にした金額は回収されないまま残っていた。その頃になっても夫妻の名前は時々都内のイベントのニュースなどで見かけ、華やかに活動していた。むしろ銀座東洋に移ってきてからの方が活発な気がした。そう、事実、福田さんの心配通り夫妻は別のホテルから移ってきたのだった。こうした情報は、あの頃は、どのホテルも守秘義務があるためか、決して教えてもらえなかった。長く滞在しているうちに、『自分は・・・ホテルを常宿にしていた』とスタッフにもらしたか、部屋付けの品物を運んできたブティックの店員が『去年は・・・に持って行ったのに、こっちに移ったんですねー』と軽口を叩いたか、いずれにせよそんな糸口から調査が進んだ。理由はやはりここでの問題と同じだった。同じことをして、ホテルを出されたのが事実だった。東洋銀座でも積極的に対応を取ることにした。

 まずは部屋の鍵を渡さないことにしたのだった。ホテルの鍵は、その頃からごく小さな、普通の自宅の鍵のサイズだった。それはホテルを自分の家のように感じてもらうためだった。それにターゲットにしている客層はそもそも鍵を持ち出すことがなかった。到着すれば誰かがついて先にフロアに上がり、鍵を開け部屋の明かりをつけ部屋を温め到着を待つ。

 「鍵はお出しできません。理由はご承知のおはずです。」

 そう言ったかどうか。しかし、レセプションルームのあのデスクに最初のチェックイン以来久しぶりに座った清雅氏は硬直したに違いない。
 その日、都内で開かれたギャラリーのオープニングセレモニーに夫妻が現れた。その様子を写真付きで新聞が報じていた。それを見ていたマネージャーが首を傾げた。
 
 「この帽子、そう奥様がかぶっているこれ、今朝まで部屋にあったけど」

さっそくマネージャーたちが呼ばれた。

 

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