Fukumaru
馬には絶対乗るべきです。それを説く文章
まいにち書く。たまご
雑草というなまえの草はない。でもいらないんだから、名前なんか覚えないよ?草はぬくもの。それじゃあ、どうして抜くのよ。それがすてきな風景をつくっても? 庭仕事はいつも本音と建前の葛藤の連続。いろいろ考えながら試しながら、変わってゆく自分と庭を楽しんでいる記録
競走馬の厩舎をやっている夫の職場へもってゆく菓子の記録。 毎週木曜はスタッフのために菓子を焼く。その記録を残しました。
わたしは日本の海べりの小さな町にすんでいる図書館員。一緒に住んでいる彼氏は岬の水族館につとめている。ない音を拾う耳と見えないものを敏感に感じてしまう感覚が日々わたしをなやませるけれど、それはきっとこの町にうまれたことに所以がある。すこしミステリアスでHSPなわたしの、不可解日記。フワフワした中空感を味わって。
「お母さんはこの人生何度目?私は初めてなんだけど」 中学生だったかもしれない。気づいたら偉そうに言ってた。 目を白黒させる母。口をついて出たのが自分の本心なのかどうか、前頭葉で判別しない曖昧な感覚なまま私はそれが紛れもない事実だと信じて言っていた。 あの時の感覚、今もまざまざと思い出せる。自分に自分が知らない事実を突きつけていた。ああ、そうなんだと静かな納得が降りてきていた。 ああ、だからこの人は決めつけた言い方をするのか。 ああ、だから私はこの人が当たり前のように言うこ
小説家と読者の関係は、共通理解のトスとパスを延々とし続けているようなものだと思う。奇想天外の程度ですら理解の壁を超えてはいけないし、想定外であっても「想定できる範囲内」でありながら、あえて選ばなかった想定できる範囲の中の展開を大真面目に繰り広げることで読者がやっと楽しめるのである。 SFかその手のジャンルを謳わず、突然地面が頭上にある設定で話を広げたら誰もついてこないし、あまりの状況にストーリーを楽しむような余裕はないだろう。それは、そもそも小説をなぜ読むかという点に大きく
水曜はジムが休みだ。だから雨が降ったら困る。雨の中を走るか、今日一日下半身に溜まった血液を戻すためのランニングを諦めるしかないのだ。 午前の終わりギリギリに家を出て仕事場に向かった。途中コンビニによってためにためたお中元のお礼状の束と、次男に来た健康保険証を入れたレターパックをポストに投函する。この辺りはもう歩行者ベースにポストの位置は考えていない。ポストに用があるならまずコンビニを探せ、だ。 投函して車に戻ると携帯が震えていた。わずかな間に回復した日差しがややもす
物が捨てられない。アンティークに惹かれる。 例えば、この茶箪笥。 母が四十代に手に入れたもの 横浜から埼玉、茨城にお引越しして 今は我が家に居を構えている。 寝室に置かれた茶箪笥はもう茶箪笥ではなく、大事な書類とか、夫に贈った普段はしないネクタイとか、記念に買った腕時計の空箱なんかが入ってる。 それでも見るたび初代の持ち主だった母を思い出す。母は私の修学旅行のお土産の清水焼や兄が送ってきた九谷焼を並べ特別な時に出しては使っていた。箪笥は母の勲章の一つ。 同じような執着を
この時期庭はちょとしたサウナである。 早朝五時、まだ直射日光のささない日陰に蚊取り線香を吊るす。 煙は樹木に囲まれた庭に充満する。 ランニングに行ったままの姿に長靴に履き替え、笹を刈る、梅の小枝を落とす。 一度乾いた汗が吹き返すが、 構わず庭仕事を続けご褒美にスイカを食す。 旨し
さて神は誰かってことだけど、 脈絡なく語りかけてくる存在。 性善性悪説が流行った時状況によると考えたが間違っていた。たとえカンニバルが当然の世界でも心を痛める存在はおり、その感覚を決めるのは間違いなくその人の神。そしてその感覚は何生しても変わらない。 つまり君が君の神なのだ
夢を見ていた。 私は虫だった。秋口の、それでも忘れ物したみたいに突然暑くなった日、二階の私の和室で、私は黒い羽蟻になっていた。 虫なのに半分は人間だから体は人間のときと同じ大きさで、私は背中で勝手にブンブンいっている自分の羽がうるさくて機嫌がわるかった。 そばにだれかいれば、その裸の腕にかみついてやろうとイラついた。 背後に気配があった。 みると父も同じ羽蟻の姿でそこにいた。ずいぶんと疲れた様子で、体をよこたえている。閉め切った夏の窓辺に落ちている虫の死骸みたいに反り返る足
結局、神様との対話なんだね。 感情は全ての行動の原動力だけど揺さぶられてる反応が正しいかどうか比較で確認するのはやめるべき。言語化する時点で是と非のニュアンスが生まれてしまう。 全思考が打ち上がるなら、言語化をやめ、ただすべきと信じることをするのみ。そこに自分と神しか存在しない。
パリ5区の石壁に囲まれた路地を歩いていると、赤い木の扉の前に気持ちのいい笑顔で立っているおじさんがいた。おじさんと言っても、つい8年ほど前のこと、私の方もしっかりおばさんなのだけど、東洋人は若く見えてお得だ。 「中を見てゆくかい?」 誘われるままに中に足を入れた。パティオがあるようで、そこまでも石畳の通路が続いている。明るさに誘われて足を進めると入り口にガラス窓のはまった小部屋にぐるりと囲まれた野外に出た。部屋一つひとつに派手な展示がなされていて、何かイベントの最中の
ルーマニア出身の知り合いから、ブドウの葉を取っておくといいと入れ知恵された。祖国では葡萄葉にひき肉を詰め煮込む料理があるという。 うんうん、わかったと言っておきながら、気がつくと葉ぱはすでに穴だらけである。カナブンか、カメムシか、未だ正体をつかめてはいないけれど、落とし物は盛大にビートルのボンネットに落としてゆく。そしてぶどうの葉っぱは穴だらけ。 どうにかできないか。 一昨年は葡萄が豊作でたくさんビネガーを作った。今年は、管轄を私に移管しちゃんと管理するつもり。それで・・
民主主義は戦後、経済を主導する人の手によって推されてきた(そうでない社会構造との対比として)けれど、 今の日本で起きている変化は、「だれか一人が言い出すことで”よく”なっていく」という、これまでの資本主義でも社会主義でも民主主義のどれとも線引きできない新しい形なんじゃないかしら
あなたのお住いの土地に、馬が登場する古い言い伝えや昔話はありませんか? きつねやたぬき、ハクビシン、白蛇はいろいろあるのに、馬はあんまり。私が知らないだけなのかもしれません。三春駒の伝説もありますし、銀狐のような話もあるかもしれないのに、しらないのは淋しいですから、ご存知でしたらぜひ。 とはいっても、馬は、母屋で一緒に暮らしていたくらいですから家族なのかもしれませんね。しかし馬を持つことはあまり普通ではありませんでした。村で馬を飼っていたのは少数だったようです。馬と暮ら
もう何年前になるだろうか。 美浦村の中心には大きな公園がある。入ってすぐに大きな草地があり、霞ヶ浦に向かって開けている。そこで馬のイベントが開かれた。 説明のいらない美浦は中央競馬会のトレーニングセンターがある。中央競馬会の肝いりのそのイベントは日本の馬の行事をそこへ持ってきて一斉に披露したのだった。 日本は昔から馬を農耕につかってきた。農耕機がなかった時代、馬は大事な労働力で同時にパルであった。季節ごとの神事にも使われている。 昔々でいえば、鎧兜の甲冑を点けていた時代
これが甘いと感じるならば、あなたはすでに七十パーセントの渋みを知っているかただ。ほんの二、三グラムのクリームパウダーを室温にまかせなじませたあと、わからなくなるくらいかき混ぜたら、使用前後の判別ができない程度の白味が加わった液体になる。 落ちるタイミングを液体の粘度にゆだねシェーカーを傾けるとゆっくりとチョコラーテは銀色の細口からお目見えになって逆三角の繊細なグラスに落ちた。 「これこれ、これがいただきたかったのよ」 グラスの前に陣取った客は、高く組んでいた細い足をするり
chapter XII : また会う日まで その日の朝あたたかくて悲しい夢を見ました。 私はどなたかのお葬式にいました。簡素な祭壇には立派な白い菊が覆い隠すようにかざられています。古い日本家屋の真ん中らしく、ふすまに囲まれたその部屋には私のほか誰もいません。細く開いた襖のすきまから、お葬式に集まったひとたちの活気が流れてきます。悲しみながらも忙しくたちはたらく空気とアルコールや食事の匂いがします。どなたのお葬式かしらと祭壇に近づきました。大人になれば、近親の方のじゃないお
馬乗りの気質は総じて天邪鬼だ。 あるいは次男坊気質。 あるいは実証主義。 簡単に人の言う事を信じないし、迎合しないし、 確かめないと首を縦に振らない。 実証した上でそうだと認めたとしても、 能書きがついてきて、 さらにそれは自分がもともと考えていたことだと いつのまにか自説にしてしまう。 埼玉の社交的な倶楽部で部班から始めたときも 山梨の乗馬倶楽部に通い詰めたときも 首都圏で乗馬倶楽部ジプシーをしていたときも イギリスで乗ったときも かならず言われるのは、 『思うように馬が