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9月1日 引田香織さんに会いに行った。

Devaは緑に囲まれた昭和建築に住んでいた。
ジーンズブルーのビートルを繰って茨城の田舎から千葉の田舎に入ると起伏のある緑場に迎えられた。

人には磁場があるという。家はその磁場の渦であり、そこに入ることはサウナの熱波にやられた時の様にもう手も足も出ない。しかし熱波ではないから、私のその人に家に足を入れ借りてきた猫状態がおさまり、ふんわり解けてゆく自分がいるのに気づいた。ここでは遠慮をしなくていいよ、というその人の言葉で私は堰を切ったように胸の内ぶちまけた。

昨年突如襲った家人の病気から、自分を苛み続けてきた。それはその時必要な心の置き方だったが、生活にも仕事にも本人が完全復帰したあとも緊張感と自責の念は癖になって消えなかった。

人にはそもそも自分を治癒する力がある。心もその一つ。見えないけれど物理としての体の歴とした反応。その心が知らぬ間に彼女の『祝福セッション』に参加のボタンを押していた。引田香織さんはうたうたいである。歌は、トルコの回転舞踏と同じく、天と宇宙と、ひいては神と繋がる作法である。そんなことを思い出させる彼女の歌に惹かれた。導かれて出会ったと言っても言い過ぎではなく、その滑らかな声は天性のものかと思ったがそれだけではなかった。Deva、歌姫は、考える人でもあった。思う人でもあった。見えないものが心が導く今が何か必要な要素であるのを見極めようとしているようで。その過程で見つかった真理は、彼女が当たり前に自分と自分を取り巻く人たちを癒している。

長南ハウスにはその磁場があるのだと思う。本人に会うまで実際のところどんな人か何をしているいる人なのか、知ろうとすればするほど分からなくなっていった。古い民家はリノベーションすることなく今のインテリアにマッチしているし、台風後の湿度を含んだ空気はひんやりとしていて薄暗がりの和室に気持ちよかった。小さな女の子がいるため、その子のためのものとか、音楽にまつわるものとかそういったものが置かれているのに、そういうものも彼女の磁場を気持ちよく組成している。

本当ならボーカルトレーニングをしていたのよ、とコロナ前の仕事をさらりと教えてくれた。そうでしょう。あの声に魅せられない人はいないもの。ただ歌うだけじゃなく、その音階には気持ちよくなる要素があるもの。音楽のことは詳しくないけど、無理のない音運びで気がつくとちゃんと高音まで出る。そして喉に、脳に気持ちいのだ。今回はとにかくあの歌うたいの引田香織に会いたくて来てしまった。その経緯を話しているうちに、彼女は私の心のうちの存在を言い当てた。そしてだいぶ時間が経った頃、そっと席を立つと私の背中にまわり、温かい手を首筋に当てた。それでこの人がエネルギーの人であるのがわかった。みんなこの人に、エネルギーをもらいに、エネルギーの渦を整えてもらいにくるのだとわかった。

たくさん蓬茶をいただいた。我が家のは育ててみたらブタクサだったのよと笑話を披露した。彼女の庭のよもぎは乾燥してなおパリッとして茶は濃い。レモングラスの葉も、パピルスかと思うほどに元気なんだから。

 手が温かいですね、というと自分の手は元々冷たかったのよ、という。鏡みたいなものと言って見せてくれた手はあんな神がかりの音楽を奏でるにはあまりに小さな手だった。

 「力んでいると、最後のところでうまく循環しなくなっちゃう。だから自然体で、緩んでいないとダメなのよ」そう言われた。呼吸は吸って吐くものだけど、体一枚隔てるだけ。自分も空気の一部と想像するだけで大地に大気に繋がることができた。

 帰りの京葉道路は台風もどこへやら。地球が本来の季節を思い出したみたいに水々しくて、空には秋色も少し。数ヶ月前からのポチッと申し込んだ時点から変化は始まっていたのかもしれない。気づいたら、ごく自然に私は閾線を越えていた。


引田さんのnote  https://note.com/hikitakaori

https://note.com/hi

そしてDevaがDivaたる一押しの歌動画


↓そしてここでコロナ後の、次の一歩を考えている。↓
https://www.facebook.com/kaori.hikita.39

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