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映画『横道世之介』

『横道世之介』は見たことある?
高良健吾が主役の映画で、なんの特技もない人がいい、普通の青年の話。
映画マニアでも毎週映画をみるのをノルマにしているオタクでもないけれど、『台風クラブ』に始まって振り返ると人生の節々に、くるりと回るターンテーブルのように思い出す映画たちがある。
 この映画も、そういう映画の一つ。
 最初に見た時は、主人公みたいに、生きてきた間に関わった人に、ストーリーのように思い出してもらえたら最高だなと思った。すごいとか、ありがたいとか、そういう影響を与えまくった存在というより、背景の一部として、でも独特でそれがその人たちに記憶される、そういう人に。

 この話は新宿にまだスタジオアルタがあって、携帯は二つ折りのガラパゴスで、学生アパートにはクーラーがないのが当たり前の時代の話。それを映像にしているから記録的映画でもある。
 そして、オムニバスっていうの? 一つの視点で描かれているようで、現在と過去、現在は主人公がいない、登場人物それぞれの延長線上の未来で、そこから過去を追憶で描いている。
 の、だけど、過去は一貫して、主人公・横道世之介の視線として描いている。どこにも力みのない学生生活が緩慢に進むのに、彼は将来大きなことをしでかすのだ。

 そしてこの映画には、当時の社会問題もうまく織り交ぜられている。ボートピープル、枕営業でのしあがるとか、性嗜好とか、今となっては『人権』という一言で十把一絡げで語られてしまう諸々の社会背景を、主人公が生きた時代舞台の緞帳としえ重くぶら下げた。ーそうだ、そうやって暇だった学生たちは、社会問題の波に呑み込まれそれまで持たなかった視野を持つんだよな、と思い出したりする。それもまた、その時にしかまみえない荒波だし、感じられない感情。できないとか、理不尽とかじゃなく、問題は常にぶら下がっていて、目を背けるのかどうか。見てほしいかどうか、放っておいてほしいのかもしれないし、それにどこまで踏み込んでいいのかもわからない。そういう話もまた、この映画は、微妙なニュアンスで羅列していて、主観的な押し付けがないのがいい。

 似た構成の映画を思い出した。これもまた時々思い出す映画『Life』2013年公開のアメリカの映画で、オムニバス的構成をとりながら、北欧と北極海をフィルム探して旅する編集者の話だ。視点の交錯、当時の社会問題を踏み込みすぎることなくサラリと触れているところがセンスがいい。またLifeはグラフィックの観点からも、最初のイントロダクションの文字も抜群にハイセンスなのが注目すべきところ。

 こういう公共の娯楽には、作る人の工夫がある。私ごとだが、昨年我が家に大事件が起きた。生きるってことを考えた。一生懸命生きるのは何かを達成させるためと考える世代だったが、実は自分はもう死んでいて少し前の自分の過去を振り返っているとしたらという仮定で物を考えるようになった。そして、もし自分の体を抜け魂として生死の境を浮遊した時、最初に思い浮かべる現世はいつか? そう考えると、私の残念は、過去の日々の出来事の思念にすこずつこびりつくように残っていて、何をしなかったかじゃなくて、どう感じていたかだと、思うようになった。それからは、いつでも、この瞬間に、死んだ後戻ってきて追体験していると感じてようになった。その感じにこの映画は実に親和性がある。
 
 原作は読んでいない。だから再現がどうかは知らないし、必要ないと思う。この映像は十二分に説明は足りていたし、今は押しも押されぬ一流になった人たちが、ニュアンスある演技をしている。言葉が大事、主張するものが最終的に欲しいものを手に入れる時代だったあの頃に、そうでない人たちが優しい。
 少し前に映画『重力ピエロ』を褒めちぎろうと思ったら、設定がエグいと酷評する人があって参ったが、事実がどうであれ作品はそれで出来上がった世界である。小説になくても必要で入ったものはそれで成立するし、逆にできたものを丸ごと楽しめない視聴者は、何を求めているのだろうと思うのだ。

 横道世之介は、ただの心優しい、普通の青年の、過去のこと。それを友人や知り合いの記憶で遡るノスタルジックな作品なのだ。でもすごいのだ。
それがすごいと見出すかどうか。どうでしょう。


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