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銀座東洋物語。9(未来を救う人)

 「僕 長銀のNといいます。一部屋予約したいんだけど」

 ホテルの予約システム上、ゲストならだれでもかれでもウェルカムではないことは説明してきたが、ここまではっきり勤め先まで名乗るゲストは珍しかった。
 長銀は、正式には長期信用銀行という。1998年に活動停止した銀行だが、ドイツの日系免税店で働いていた頃は同系銀行の中でもトップランナーだった。
 「Long-term Credit Bankっていうんだよ」
 政府の欧州視察団に参加していた客の一人が、緑色のパスポートを示して言った。土産品の領収書の宛名を英名称で書いてほしいのだという。

 だから、『長銀』と聞いたとき一瞬で時間はフランクフルト時代に戻り、あのとき出会った駐在員と視察に来ていた銀行マンの顔が浮かんだ。教わったことが時空を超えて、しっくりと自分の中に落ちる。その感覚、年月を重ねると感じるようになるコレ、実はこれはほど嬉しい感覚はない。これまでに五、六回はあったけれど、これが最初で、それゆえにすぐに思い出せる。

 「あのー、お客様、申し訳ありませんが、ご希望のお日にちを教えていただけますか? お調べして折り返しいたしますので」

 「そうですね。えっと長銀のNです。電話番号はXXX-XXXX。一部屋お願いします。ツインをお願いします。でも、泊まるのは僕じゃなくて、女性と小学生のお嬢さんなんですけどね。」

 ラクジュアリさ人気絶頂。しかも銀座にあるとくれば誰もが話題作りに泊まりたがるけれど、グループ企業の迎賓館でもあり、正直だれでもウエルカムとは言える予約のシステムではなかった。しっかりと敷居があり、宿泊以外のビジネスユースで、レストランやカフェに立ち寄った、本来のターゲットにも信用される格調高いものにするために、この折り返しシステムは必須だった。しかし連絡先を尋ねただけで逆ギレしたり、そもそも連絡先を訊ねただけで電話がきれることもしばしば。 

 そういうことが日常茶飯だったというのに、このN氏は開口一番、長銀の名前を告げたから意外だった。コーポレートユースという会社との特別な契約があるとき、会社名だけですんなり予約が取ることもあったこともたしかだが、このときはまだ長銀とも、Nさん個人ともその契約はなかった。しかもN氏は常連どころか一度も宿泊履歴がなかった。

 そのイレギュラーな予約電話からは緊張感を感じた。予約ルールのマナーを守りながら、どうしても部屋が欲しい、それも今日、今晩泊まる部屋が必要なのだというのが切々を伝わった。実際の宿泊者は、自分ではなく女性とその子供で、しかし宿泊者名は予約している自分の名前にしてほしいというところからも事情があるのは必然だった。
 しかし想像するしかない。銀行のお偉いさんが、何か窮を案じる顧客をこっそり匿う、そういうことかもしれない。私はこういうことに目端が効く方だったからすぐにマネージャーに事情を話した。逼迫した空気を感じたことを伝えると、折り返しの電話はマネージャがしてくれた。

 規則はあっても、そもそもゲストの快適を守るためのものだから、学校や役所じゃない。ホテルはくつろぐ人のためのもの。ましてやN氏の示したものは完璧だった。希望通りの客室が用意された。そして、そこからは、フロントのコンシェルジュとマネージャーが担当した。
 
 ここからは担当した女性のコンシェルジュから聞いた。
 そのゲストは、割と早い時間にやってきた。到着直前にN氏から連絡があり、正面玄関から2階のレセプションへと続く、ホテルの名物にもなった優雅な階段を使わず、エレベータで上がるという。さらに、レセプションからそのまま上階へ上がる別のエレベータに乗り換えて、直接部屋へ向かいたいとの意向だった。この連絡のまえにセールススタッフが、ホテル近くの銀行の店舗へ向かい前受金をもらうという手筈と整えていた。そもそもホテルがこの地に建設されたのも、日本のメインストリートにメインホテルと建てるというのが目的だったから、レジャー・ショッピング・ビジネス・フィナンシャルの中心の銀座のロケーションは最高の利便性だった。

 さて、女性と娘さんの滞在は短期だったように記憶している。一週間はいなかった。早晩にアメリカへ飛び立っていった。初めの2晩こそはN氏の名前で宿泊していたが、Gで始まる名前に宿泊名簿をかえた。
 
 その親子が、のちに音楽の世界でトップにたつ一人になるとはその時は思いもしなかった。ときおりその活躍をネットで調べるが、海外での活動名がGからMに変わった理由が両親の離婚がきっかけだと知り、あのとき隠れるように偽名で宿泊し人目を避けたわけがわかった。

 あの時長銀のN氏がいなかったら、世界的音楽家は生まれなかったかもしれない。ネットでの情報だけでもM氏の音楽における成功は華々しい。が同時に壮絶な人生をいきてきたのもわかる。
 私のように昔出会った出来事に思いを馳せ、客船の丸い窓から海原を眺めるように傍観している人間には想像すらできない波にゆられ、自分の左右、天地すらわからないほどもみくちゃにされているのだろう。
 それを思うとすごい場面に居合わしたと思う。
 しかし、案外、そういった波乱はあるべき形に到達するための経緯の一つにすぎず、当事者たちには見やる余裕もN氏の存在やその奉仕に感謝する余裕すらないのかもしれない。
  
 どういうことでN氏がG親子の人生にかかわることになったか、どこにも現れない史実にいまはなっている。
 それも、しかし、G親子のその後を知ると、バイプレーヤーのN氏と同じ目線でいられる自分で良かったと安堵さえ感じる。やっとそう思える自分になった。
 

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