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街探シリーズ<18>多摩川水系入間川の幻の源流
三鷹駅からバスに乗り、三鷹通りを使って調布駅へ行くルートがある。三鷹市役所を少し行くと、JAXA(宇宙航空技術開発機構)の本社があり、青渭神社と深大寺を過ぎるとかつての布田五宿の一つ布田宿になる。今は深大寺植物公園経由で行く道路がメインなので、裏街道の感は否めない。
途中、青渭神社の手前に諏訪神社があり、「あれ、こんなところにお諏訪様があるとかねて気になっていたが、バスの窓から見る限りいかにも寂れ
「エコほど素敵な商売はない」ノート
第1回「棚池発電」
エコロジーをベースとした、スターための「アイデア」「コンセプト」などをまとめてみた。当然アイデアベースのため、それが実現できるかどうかについては、フォローしなければならないことはある。ただ、それにこだわりすぎるあまり、大筋を見失うとビジネスの方向性も見えなくなるため、技術開発が必要かも知れないところは、そのままにした。
新規連載の第1回として「棚池発電」を取り上げることにし
街探シリーズ<16>野川上流を歩く
私はかれこれ40年以上武蔵野市に住んでいる。ご存じのように武蔵野市に川はなく、流れといえば玉川上水のみ。隣の三鷹市には野川や仙川が流れているのと比較すると、何となく潤いにかけるイメージがある。三鷹の大沢まで足を伸ばすと、野川公園が整備され、広い河原を持つ野川が流れている。武蔵野市民にとって野川は玉川上水ほど身近な存在ではないど、気になる存在ではあった。まして、その源流が日立製作所中央研究所の中の湧
もっとみるマイフェイバリットフーズ/食でたどる70年第35回「シーフードパスタ」
人生には1回はモテ期があるといわれるが、私の場合それは25歳の秋だったのかなと、今は思う。大学受験で1年浪人し、大学で1年留年しているので私が働き始めたのは24歳の4月だった。一般の会社に就職するというイメージのわかなかった私は、ありがちだがマスコミ関係に行きたいと考え、新聞社、出版社、広告代理店など手当たり次第に受けた。
しかし、結果はあえなく全敗。中には役員面接まで行ったり、「申し訳ありません
マイフェイバリットフーズ/食でたどる70年第34回「偉人伝」
私は4人兄弟の末っ子として生まれた。女・男・女・男ときれいに男女別になっている。しかも年齢的には5歳刻みになっており、一番上と私では15歳も違う。両親は戦中に神戸で結婚、戦争が激しくなり、食料不足になったため、父親の出身地である淡路島に子ども二人を連れて一家を挙げて疎開、そのまま淡路島に住み着くことになった。したがって下の姉と私は淡路島生れの淡路島育ちだ。
父親とすれば淡路島に帰り、実家の援助を受
街探シリーズ<14>西荻裏通りから女子大通り、宮本小路を経て吉祥寺まで歩く
西荻窪は荻窪と吉祥寺に挟まれているため、どこか影の薄い感じがする。しかし、何度か足を運ぶと、いたるところにサブカルチャーの空気が漂う面白い街だ。隣り合う武蔵野市吉祥寺とは、区部と市部の違いがあるため、遠い存在と思われがちだが、意外に関連性もある。今回はそんな西荻から吉祥寺までの裏通りを歩いてみた。
JR西荻窪駅北口の目の前の道路が、一番街商店街だ。この商店街も老舗のベーカリーや健康志向商品に特化し
マイフェイバリットフーズ/食でたどる70年第33回「アジの酢の物」
私の田舎は淡路島の南西端で、すぐ目の前に鳴門海峡が見える海沿いの村だった。人口はせいぜい500人ほど。半農半漁の小さな村で、地名の由来は「網長浦」だったことからもわかるが、長い砂浜のある地形だった。このように、集落に住む人の生業は漁師か農家という中で、わが家は父親が小学校の教員だった関係もあり、日々の暮らしは、そのような生業とは無縁なところにあった。友達の家の田んぼで田植えを手伝うことはあっても、
もっとみるマイフェイバリットフーズ/食でたどる70年第32回「ペペロンチーノ」
さすがに50年近く前になるから詳細は記憶にないが、大学2年の秋、教養ゼミの友人と木曽路を回り、温泉に1泊したことがある。妻籠宿から馬籠宿を歩き、江戸の宿場の風情に浸った。そこそこ人出はあったが、最近のような大混雑ではなかった。老舗のお蕎麦屋さんも割と空いていて、食事もすんなり済ませることが出来た。
その日の宿は王滝川の支流のほとりにある「ランプの宿」を友人が父親から聞いていたので、そこを予約してい