街探シリーズ<14>西荻裏通りから女子大通り、宮本小路を経て吉祥寺まで歩く

西荻窪は荻窪と吉祥寺に挟まれているため、どこか影の薄い感じがする。しかし、何度か足を運ぶと、いたるところにサブカルチャーの空気が漂う面白い街だ。隣り合う武蔵野市吉祥寺とは、区部と市部の違いがあるため、遠い存在と思われがちだが、意外に関連性もある。今回はそんな西荻から吉祥寺までの裏通りを歩いてみた。
JR西荻窪駅北口の目の前の道路が、一番街商店街だ。この商店街も老舗のベーカリーや健康志向商品に特化した薬局、足指ケアの専門店など個性的な店舗が多い。しばらく行くと突き当りに2軒のバーが並んでおり、飲んべにとっては「さて、どちらに入ろうか」と悩まなければならない。また、この辺りまで来ると骨董屋や古物商や軒を並べており、骨董好きにとっては、いくら時間があっても足りない通りだ。

一番街に現れる赤い鳥居

しかし、今日の主役は一番街通りではなく、その一本裏側を走る通りだ。この通りでは、比較的に出店が早かった「天(あめつち)」のオーナーの話しでは、荻窪駅南側を走る神明通りが中央線の線路を超えて北側にまで入り込んでいるのではないかということだったが、確証はないので、とりあえず一番街裏通りとしておく。これも「天(あめつち)オーナーに聞いたところでは、この通りは住宅街の通り道であり、昔は店などなかったのだが、十数年前からポツポツと店が現れ始めて、現在のようになったということだ。
そして、この一番街裏通りにたどり付く楽しいルートがあるので紹介しよう。JR西荻窪駅北口を出ると、すぐ目の前が一番街商店街なのだが、そこを50メートルほど行くと、突然、立派な赤い鳥居が飛び込んでくる。これが西荻伏見通り稲荷社の鳥居になる。このお稲荷さんは東伏見稲荷神社を勧請したもので、商売の神様として信頼篤い様がうかがえる。
この鳥居を入って20メートルも行くと右手に西荻伏見通り稲荷社の本殿がある。本殿というと大層に聞こえるが、ホームセンターの神棚コーナーに売っている最大規模の社殿ほどの大きさで、思わず微笑んでしまうほどの可愛らしい本殿だ。
この左手に西友西荻窪店の稲荷社入口がある。ここを入って左へ行くと、雨の日など濡れずに西荻窪駅に行けるので便利だ。逆に右に行くと同店の裏口になる。そこを出ると変則三差路になっているので、その真ん中の道が、一番街裏通りになる。ふつうの商店街のように、商店が櫛比しているわけではないので、一見するとまだ居住者が職場や学校に通う通り道というイメージのほうがぴったりくる。

西荻裏通りのユニークな店舗

この通りでまず目に飛び込んでくるのは美容院だ。かなり大規模に営業している。その次が宝飾店の「Ryui」だ。この店舗は宝飾ブランド「Ryui」の直営店として2015年にオープンした。同ブランドは、漆器のデザインをしていたご主人とプロダクトデザイナーだった奥さんが共同で開発したものだが、使い捨てではないずっと大事にしてもらえる、ブライダルジュエリーを作ろうということが、そもそもの切っ掛けだった。この店舗の三日月をモチーフにしたドアを見るだけでも面白い。
次に目に付くのが一文字「天」の文字が浮かぶ店舗だ。「?」と思って近づいてみると「あめつち」と読みが入っていた。扱っている商品は袋物を中心にした雑「この通りは神明通ではないか」と教えてくれたのは、この店舗の御主人だった。「昔は住宅街だったんだけどね」つぶやいていたのが印象に残った。
「天」を過ぎて少し行くと雑貨の「ギャラリーカドッコ」と「ネコソダテ」の2店舗が並んでいる。このうち「ネコソダテ」は、犬と違って首輪が定着しなかった猫用の画期的な首輪を開発し、それを軸に猫と人の豊かな暮らしを提案している店舗だ。飼い猫だからと安心していると、猫はふらっと家出してしまう。その時、基本的な情報を書き込んだ首輪をつけていないと、行方不明のままになってしまうこともある。そこでこの「ネコソダテ」では、猫が嫌がらない首輪を開発し、着実に使用ユーザーを増やしている。
そこから少し行くと角地に「DON'T」という美容室が出てくる。ここが面白いのは、お客様は自分が好きな音楽をかけてもらって、髪をカットしたりトリートメントしてもらえること。さらに最近は、それに加えて「壺焼き芋」をオーダーすれば、髪の毛を調整してもらっている間に、サツマイモを焼いてもらい、最後に焼き芋でお茶できること。裏通りの入口にスタッフを多く抱えた美容院があるためワンオペの「DON'T」はアットホームなサービスを行っているのだ。
ここを過ぎると、地域に需要を満たすうなぎ屋などがあり、ビジュアルに凝った「吉祥天」という中華総菜の店が現われる。同店は街角饅頭店と銘打たれている。ここを過ぎると、住宅街になるが、時間帯によっては若い女性の姿が目だつようになる。なぜだろうと思いながら歩き続けていたら、眼前に雰囲気のあるクラシカルな門が現われてきた。東京女子大学だった。

女子大通りから宮本小路を歩く

東京女子大学前の通りは、通称「女子大通り」といわれており、吉祥寺の四軒寺交差点から青梅街道までの短い通りだ。ここを左に行くと、吉祥寺東町ふれあい公園にぶつかる。この横の道路を少し行くと、武蔵野美術大学の開学時に使用した校舎がある。今も専門学校として使われている。また、道路横の公園下には、耐震貯水槽などの防災機能が備えられている。
ここから少し行くと、武蔵野市立三中があり、その隣に石造りの稲荷神社があるが、今は祀る人もなく、廃神社と化している。鳥居も玉垣もすべて石造りで、かなり資金を費やして創建されたのではないかと思われる魂が抜かれたような抜かれたような廃神社の佇まいはいかにも寂しい。誰が植えたのか境内には数本のつつじが植えられており、4月中旬から5月にかけては、咲き誇る真っ赤なつつじと朽ちかけた神社のコントラスト、際立っている。
そこを過ぎ、吉祥寺東町1丁目のバス停には、東町駐在所が現われる。ここで女子大通りと細い通りが交差している。この通りが宮本小路で、女子大通りを間に挟んで1100メートル余の小路だ。この交差点で「松の木鍼灸院」の角を左に行くと400メートルほどで五日市街道にぶつかり、そこを右に取ると吉祥寺サンロードの出口になり、吉祥寺の中心地になる。
ところで、今回女子大通りから、あえて左折して宮本小路の道を取ったのは、江戸時代の吉祥寺の街づくりの雰囲気が宮本小路には残っているからだ。万治2年(1659)から始まった吉祥寺村の、開発は五日市街道を起点にして移住者一戸に付き間口20間、奥行き634間の長細い土地を割り当てるところから始まった。坪数に直せば1万2449坪、4町歩強の土地が与えられたのだ。それを道路沿いに居宅を構え、真ん中は長細いにして大麦や野菜を作り、最後方のブロックは薪などの燃料を確保する雑木林とした。つまり、吉祥寺村の開拓は、幅36メートル、奥1100メートルの長大な区画が続く、開拓農民の集落だったのだ。
さすがに今は、奥行き1100メートルを一戸で所有するような事例はなくなり、小さな区画に分け、ところどころに巨木が生えるなど、江戸時代から続く面影が垣間見える。また、他の小路は時代の変化とともに、どこかで筋違いになっていたりするが、宮本小路は入口から出口まで、今でもまっすぐ見通せるため、開拓が始まった時の雰囲気が何となくわかるようになっている。


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