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エッセイ・コラム

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#大人

若いころと年を重ねた時とで夢の重みは違う

若いころと年を重ねた時とで夢の重みは違う

以前も取り上げた、お世話になっていた先生の話である。
先生に感謝の手紙をお送りしたとき、私は誤って便箋を2枚重ねずに送ってしまったことがあった。目上の人に対する手紙では失礼な行為のひとつだが、その際に先生からの手紙でお叱りを受けたことがあった。
そのとき、「君は記者であるから言っておくが、社会常識を知ってあえて踏み越えるのと、知らずに踏み越えるのとでは大きな違いがある。記者という仕事は社会常識を知

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仲間と、ともだちと。

仲間と、ともだちと。

それなりの学校生活を過ごしていた人であれば、幼稚園、小学校、中学校と時を重ねるなかでたくさんの友達がいたはずだ。

小さなころ、友達を作るのは簡単だった。なぜ・いつ友達になったのかわからないけれど、いつの間にか友達は増えていった。そして友達は、次第に増えていくものだと当時当たり前のように考えていた。

しかし現実は、年を重ねても友達は勝手に増えていくものではない。
むしろ、かつて友達だと思っていた

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自立と自律が大人の条件

自立と自律が大人の条件

子どもから大人になる過程は、依存から自立に向かう過程である。

小さな頃は食事から排泄から何から何まで親に依存していたわけだが、時間とともに食事や排泄を自らやってみたり(失敗もするが)、逆にすすんで手伝いはじめたりもする。そして次第にお金を稼いで、勝手に家を出て行って一人で暮らすようになる。
こんな風に具体的な行為について、ひとり立ちをすることは「自立」と呼ばれる。

自立を究極的に追求すると自給

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私たちは演劇の中に生きている――たぶん、夢以外は。

私たちは演劇の中に生きている――たぶん、夢以外は。

夢を見ることを愚かだとする風潮が、何となくある気がする。大人も大人で若者に「お前たちは若いから現実が見えていない」などと言う。

若者は夢を見ているから現実を見ていないのは至極当然である。しかし現実が見えているからといって何なのだろう、とも思う。

人はなぜ夢を諦めるのだろうか。それは、そこに現実があるからである。

夢ばかりを追っていたらそこには現実的なものが喪われる。
結婚とか育児とか介護など

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大人になると意外と子供の心がわかるものである(と思う)

大人になると意外と子供の心がわかるものである(と思う)

子供の頃、親と言い争いになって思うようにことが運ばないときに「なぜ俺のことをわかってくれないんだ」と憤り続けていたものである。
「『親の心、子知らず』なんてことわざがあるけれど、『子の心、親知らず』じゃないか」なんてことを真剣に思っていた。

しかし、いざ大人になってみると、意外と大人は子供の心というものをわかっていたのだなと感じるものだ。
電車で泣いていたりする他人の子でも、なんとなくではあるが

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子供、無情すぎ問題

子供、無情すぎ問題

先日たまたまABEMAで「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」を見ることがあった。2001年の作品なので、見たのは20年以上前だ。懐かしいなと思いながらしばらく見ていた。

子供向けの作品ではあるけれども、大人になってから見ても十二分に通用する名作だ。

「過去を生きる大人たち」と「未来を生きたい子供たち」の対比が極めて秀逸だ。「懐かしいにおい」に引き寄せられ、安心できる変わ

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