見出し画像

【おやすみ前に、お砂糖ひとさじ】自分ひとりで自己肯定感を高めるって

自己肯定感を高めようとする時、だいたい大切と言われるのは、周囲の力を借りることです。
でも、自己肯定感を高めたいと思っている段階にいるとき、「私なんかの個人的な都合のために相手をつきあわせてしまって申し訳ない」とか、「そんなことを誰かと共有したくない」とか、そんな感情が出てしまうんじゃないかなと思います。

ダメな部分も含めて受け入れてくれる存在

自己肯定感を高めるって自分のダメな部分も含めて受け入れることなので、一人で堂々巡りをしている中で高めていくことはなかなか難しいものです。
そこで有効になってくるのが自分のダメさを含めて受け入れてくれる人の存在になります。
"ダメな部分を含め受け入れてくれる人の存在"って、それはいてくれたらとても重要な変化のきっかけになるし、それによって自分自身への見方が変わってくるくらい、大きな影響力を持つものです。

でも、じゃあそんな存在はどうやったら手に入りますかという問題があります。
人と話す機会を増やして本音で話せる人を探したり、そういう存在と出会うためにコミュニティを増やしたり、ぱっと思いつくできることもあるのですが、ただそれが確実に実を結ぶわけでもありません。
それでも、そういう誰かに出会えなかったらじゃあ諦めようかということにはしないで欲しいなと思います。
今ある関係性の中でも今よりもう少し自己肯定感が高まったら、そういう存在が意外と近くにいることに気付くこともあるかもしれないとも思っています。

自己肯定感を高める必要性

自己肯定感が高まると、苦しさが減ります。
何か起こったときに「私のせいで」「私はダメなやつだから」と思い続けているところから、出来事と自分を切り分けて考えられるようになったり「そんなこともあるよね」と思えるようになったりするようになるので、自己肯定感を高めることは土壌を固めるようなイメージです。
その上でそれまで揺らいでいた色々な感情や傷つきを、土台をしっかりつくることで和らげていけるようになっていきます。

一人で取り組めること

そうなるための一歩として手始めにできることは、漠然とした「自分はダメな人間だ」を細分化して、"こういう理由から自分のことをダメだと思っていたんだな"、"でもこういうところは自分が誇りに思っている部分だよね"というのを明らかにしていくことだと思っています。
思考の解像度を上げるこの作業は、漠然と全般を覆いつくしていた苦しさの靄を晴らして、その元になっていた発生源を知り、その靄によって見えなくなっていた光を見つけ出すような、そんなイメージです。

それを頑張ってやる必要・価値があるだろうかと思われるかもしれません。
でも、それはやる価値があると私は考えています。
すぐに効果が出るわけではないし、やっても変わらなかったと感じることもあるかもしれませんが、少し長期的に取り組んでみてもらいたいなと思います。
そうすることで自分に対する感じ方が少し変わっていき、結果として人の力を借りられるようになったり、もう一段階上の課題に取り組めるようになっていける筈です。
最初の一歩として、一人で始められることの方が取り組みやすい方もいるかと思うので、ハードルの低いところから少しずつ積み上げていってもらえたら嬉しいです。


この記事が参加している募集

習慣にしていること

お読みいただきありがとうございます! サポートいただきました分はnoteを続けるエネルギーに変換していきます。