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日本とつながる(全100話)

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2020年5月の記事一覧

日本とのつながり19〜文字〜

世界各地で文字が誕生したのはいつ頃からだろう。

紀元前13世紀ごろから、地中海東岸でフェニキア人が海上貿易に従事していた。
彼らが使用していた文字は、ギリシア人に伝わり、やがてアルファベットとしてヨーロッパ各地に広がっていった。

紀元前1500年頃、インドにアーリア人が侵入した。
そして、彼らの社会の中で紀元前1200年頃から『リグ=ヴェーダ』という神々に捧げる賛歌集ができた。
これは

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日本とのつながり18〜仏教〜

インドネシアのジャワ島中部にボロブドゥールという仏教遺跡がある。
世界最大の仏教遺跡といわれてい流。
770年ごろから820年ごろにかけて、シャイレンドラ朝によって築かれた。

今でこそ、東南アジアは仏教・イスラーム教・キリスト教など様々な宗教が信仰されているが、当時は仏教が盛況を誇っていた。

シャイレンドラ朝は100年ほどで滅び、その後密林に埋もれていた。
そして、1814年にイギリス

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日本とのつながり20〜ペルシア〜

ペルシャ絨毯やペルシャ猫といった言葉は日本人に馴染みがある。
ペルシャは今のイランの古い呼び名であり、ペルシアともいう。

特に、ササン朝ペルシアという王朝は勢力を誇った。
260年にはローマ皇帝を捕らえた。
さらに、567年にはビザンツ帝国(かつてのローマ帝国の片割れの帝国)と抗争をくり返した。
ローマ帝国はヨーロッパの人々にとって世界そのものであった。
その国と争ったペルシアもまた、大国で

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日本とのつながり16〜同じ頃〜

1167年に平清盛が太政大臣となった。
武士として初めてのことだった。

奈良時代に天皇を中心とする律令体制が整備された。
そこには、貴族たちが上位の役職を求めて相争う官僚機構があった。
それは、これまで貴族間の争いだった。
しかし、ここに初めて武士階級が登場したのだった。

そして、平清盛は権力を振るい大輪田泊(現 神戸市)などの港を整備して、日宋貿易に力を入れた。

同じ頃、ヨーロ

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日本とのつながり15〜開拓精神〜

1492年にコロンブスは新大陸に到達した。
トスカネリが地球球体説を唱えていたが、それはまだ確定していない時代。
ヨーロッパ人にとって大西洋を西に突き進むことは未知への挑戦だった。
そこには、アメリカ大陸が存在し、アステカ王国やインカ帝国が繁栄していた。
これは、ヨーロッパ側では「地理上の発見」と言われる。

日本の北海道も最初から日本に組み込まれていたわけではなかった。
北海道の探査は18世

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日本とのつながり14〜彫刻力〜

スペイン南部にグラナダという都市がある。
ここには、アルハンブラ宮殿という世界遺産があり、そこにある「獅子の中庭」には圧巻の彫刻がある。
その装飾はアラビア文字や幾何学模様である。

ヨーロッパなのにイスラームの遺産?
そう思う人もいるだろう。
実は、このグラナダという都市はかつてのイスラームの王朝であるナスル朝の首都だった。
イスラーム勢力はかつてヨーロッパにまで侵入していたのだ。
このグラ

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日本とのつながり13〜相対化と安定〜

日本は鎌倉時代に元寇という事件を経験する。
1274年と1281年に元軍が日本を襲撃するも、失敗に終わる。
原因は暴風雨であるとも、鎌倉武士の奮闘であるともいわれる。
ともかく、日本は難を逃れた。

この元は、モンゴル帝国が南宋(現在の中国)を滅ぼしてからの呼び名である。
元はモンゴル人に支配されいてる国なのだ。
中国を支配した異民族はこれまでにもあったが、元が今までの支配者と違う点があった。

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日本とのつながり12〜日本とトルコの友好〜

オスマン帝国は1299年に建国され、1922年に滅亡する。
この長さは注目に値する。
日本で言えば、鎌倉時代から大正にかけての時代となる。

そんなオスマン帝国の衰退が誰の目にも明らかになった頃、1890年の話である。

1887年に日本の皇族がコンスタンティノープルに訪問し、それへの答礼としてオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が日本にやってきた。

しかし、帰途についたこの軍艦は和歌

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日本とのつながり3〜水の都〜

コロナウィルス感染拡大による観光客減少の影響で、イタリアのヴェネチアの運河は美しさを取り戻しつつあると話題になっていますね。

ヴェネチアは文化遺産の登録基準6個を全て満たす世界遺産です。

水の流れは人間が本能的に豊かさを感じるものなのかもしれません。

このような水の都でいえば、「東洋のヴェネチア」と讃えられる中国の蘇州も好例といえるでしょう。

運河や水路が迷路のように張り巡

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日本とのつながり11〜外圧〜

外国からのプレッシャーはいつの時代もあった。
1757年にイギリスはプラッシーの戦いでフランスに勝利し、ムガル帝国の(現インド)の支配を進めて行った。

国内の藩王国との様々な戦争を経て、1857年にインド大反乱が起き、1858年にムガル帝国は滅亡した。
この100年間のイギリスの粘りたるや、恐るべきものがある。
イギリスは実質的な直接支配を始めた。

清帝国(現中国)はどうだろう。
18

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日本とのつながり10〜巨大建造物〜

エジプトの古王国時代が紀元前2650年から約500年ほど続き、その間に数々のピラミッドが作られた。

中でもギザのクフ王のピラミッドの雄壮な姿は見るものを圧倒する。

テオティワカンもまた、紀元前2世紀から7世紀にわたって栄えた古代都市文明だ。

テオティワカンはメキシコシティの北東50kmほどのところに位置している。
この文明で作られたのが「太陽のピラミッド」で体積では世界最大。

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日本とのつながり9〜大都市〜

大都市を直感に従って挙げていきたい。
ヨーロッパはロンドン・パリ・モスクワ、サンクト・ペテルブルグ。

中国は上海、香港。
日本は東京、大阪。
東南アジアはシンガポール、バンコク。
インドはニューデリー、ムンバイ、コルカタ。
中東はイスタンブール、ドバイ。

アメリカはニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス。

南米はリオデジャネイロとサンパウロ。

オーストラリアはシドニー、メルボル

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日本とのつながり8~ロシア〜

ロシアは東西に広がる大国だ。
19世期にこの大国は、度々南下を繰り返し、世界の列強諸国と衝突した。

ロシアは極寒の地といったイメージを持っているのではないだろうか。
ロシアの港は冬になると凍ってしまう。
だから、南に不凍港を求めたのだ。

1853年に起きたクリミア戦争は衰退するオスマン帝国(現トルコ)を見て、ロシアがチャンスとばかりに南下しようとして勃発した。
ロシアが地中海への導線を

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日本とのつながり1

コロナウィルスの感染拡大によって人の移動が止まり、企業の活動が鈍る中、グローバル化の流れが寸断されつつある。

しかし、これからの国際社会において世界が連携しないと解決が不可能であろう問題は山積している。

環境問題のように多くの時間が残されていないものもある。

そこで、まず日本が世界との間に生み出す親和性を提示していきたい。

日本は特異な歴史を持っているとしても、意外な世界と

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