天才・手塚治虫の宗教観「ブッダ」「旧約聖書物語」
今回は、漫画の神様・手塚治虫先生のアニメについて書いてみたい。
「ブラックジャック」「火の鳥」「どろろ」など数々の名作アニメで知られる手塚先生だが、個人的にもっと評価されていいと思うのが映画「ブッダ」である。
・・いや、厳密にいうと原作漫画の方は先生の代表作のひとつに数えられてるんだよ。
ただ、アニメの方はそうともいえない。
正直、アニメ化のタイミングの問題があったと思う。
これの制作は2011年であり、70年代の手塚作品を何で今さら?という感じがしたんだよね。
それに↑↑のビジュアルを見てると、どこかの宗教法人の映画みたいに見えるじゃん?
「宗教映画」という先入観から、食指が伸びなかったという人も多分いるだろう。
あくまでブッダの伝記で、そっち系ではないんだけどね。
ただしその内容は、はっきり言ってかなり残酷である。
「弱肉強食」「カースト」「差別」「栄枯盛衰」といったところがテーマであるだけに、かなりドラマが重い・・。
ひたすら、悲劇、悲劇の連鎖。
しかし手塚先生は「重いドラマを中和するテクニック」を持っていて、それは昔から「かわいい子供を描くこと」である。
ほら、「ブラックジャック」でも医療がテーマだから当然ドラマは重かったんだけど、手塚先生はそこにピノコを投入し、場を和ませる配慮をちゃんとしてたでしょ?
もちろん、「ブッダ」にもピノコ的役割を担う子供の存在があったわけで、それがこのふたりといえよう↓↓
で、問題なのが2作目のアッサジなんだよね。
この子は、ブッダの従者。
とてもいい子である。
でも、彼の死に方というのがかなり凄惨で、なんと最期は飢えた狼の群れの前に横たわり、
「今、腹いっぱいにしてやるからな」と言って自発的に自分の体を食わせる驚愕の展開・・。
狼に体を食われていくアッサジの姿を見て、ブッダが発狂するくだりはマジで心が痛いです。
数ある手塚作品の中で、屈指の残酷さじゃないだろうか?
普通、エンタメの基本って「オトナは死んでも子供は助かる」でしょ。
でも、「ブッダ」はそうじゃなかった。
手塚先生って、恐いわ~。
で、「ブッダ」は興行的に大コケし、当初の予定は全3部作だったらしいが、3作目の企画はご破算になったようだ。
しかし誤解しないでほしいんだけど、アニメとしての出来は決して悪くないので、未見の方がいらしたら是非見てほしい。
思えば日本は仏教国なんだし、ブッダの生涯ぐらいは普通に知っておくべきでしょ?
なのに、ブッダの生涯を気軽に見られるコンテンツって、意外と少ないんだよね。
そういう意味で、本作は教材としての価値が非常に高いと思う。
さて、次にご紹介したいのが「旧約聖書物語」である。
これも「ブッダ」同様に教材としての価値は高く、何なら小学校等で教材で使用すればいいのにな、と思うよ。
みんな、「エデンの園」とか「ノアの方舟」とか「ソドムとゴモラ」とか「バベルの塔」とか「ソロモン王」とか、個々にイメージとしては知ってても、ちゃんと物語としては見たことないんじゃない?
それをありがたいことに、手塚先生は旧約聖書の流れを全26話にまとめて、ほぼ全網羅してくれてるんだわ。
これは一般教養として見とくべきでしょ。
多くの日本人はあまりにも聖書を知らなすぎるので、たとえば海外の映画やドラマを見ても、せっかく監督がメタファーにしてる表現を全然理解できてないんだよね。
読み解けないから「??」となり、結局「つまんない」のひと言で切り捨ててる人を今まで何人見てきたことか。
それは作品が本当につまらないんじゃなく、完全に見る側の情報不足という落ち度だろう。
で、旧約聖書を扱った映画で最も有名なのは、このふたつだね。
まぁ、一度も見たことないという人はさすがにいないと思う。
だけど、「十戒」以降のくだりを描いたものは意外と少ない。
逆に「新約」のイエス誕生以降のものはかなりたくさんあるんだが、問題は<モーゼ>⇔<イエス>、この繋ぎ部分である。
ここをちゃんとドラマとして見るには、はい、お客さん、実はいい品があるんですよ。
手塚治虫の「旧約聖書物語」ってやつなんですけどね、これって
実は監督/出崎統、作画/杉野昭夫という上モノですぜ?
でも、出崎統っぽく過剰な演出があるわけじゃなく、比較的真面目に聖書をドラマ化してます。
基本、これはユダヤ民族のサーガである。
サーガという意味でも、手塚先生の代表作「火の鳥」に少し近いニュアンスがある。
「火の鳥」では謎の鳥が長い歴史をずっと俯瞰してるイメージだったが、「旧約聖書物語」では、その鳥の役割はキツネになっている。
このキツネが、アダムとイヴの時代から最終章に至るまで、ず~っと歴史を見守ってるという趣向。
このキツネ、やたら長寿というだけで、特に何の能力もないんだけどね。
多分、「ブラックジャック」でいうところのピノコ的立ち位置。
ところで、皆さんは「ユダヤの父」とされてる人物を知っていますか?
それが↑↑の画の人物、アブラハムなんです。
この人、めちゃくちゃ偉大な人物である。
なぜ彼が偉大なのかというと、
アブラハムが100歳の時、彼の妻サラ(90歳)は、彼の子を妊娠したんですから(笑)。
どう考えてもアブラハム、凄いです。
モーゼより凄いかも?
いやいや、この「旧約聖書物語」見てると、ユダヤ人のタフさにはつくづく感服してしまうよ。
割と手塚先生は、ユダヤのことを好意的に描いてると思う。
博識な先生のことだし、「日ユ同祖論」というのを少し意識してたかもしれないけどね。
<日ユ同祖論>
ちなみに、「日ユ同祖論」というやつは、イスラエル「失われた十支族」(紀元前700年前後ぐらいの出来事)が捕囚を逃れて古代の日本に来たのではないか、という仮説で、もしもそれが事実なら、紀元前660年の日本建国(神武天皇即位)にも何らかの形で関わってるのでは?という話さ。
その論拠とされてるのが、上の日本語⇔ヘブライ語の近似性だったり、他にもそういう偶然の一致(?)が結構たくさんあるんだよね。
これは、ユダヤの祭司と日本の山伏の装束の近似性である。
このへんのビジュアルから、
鞍馬の天狗=鞍馬に隠れ住んでたユダヤ系民族
という説を唱える人もいるっぽい。
まぁ、こういうのは「都市伝説」程度にハナシ半分で聞いとけばよかったのに、最近は本場イスラエルから調査団が来ちゃったみたいで・・(笑)。
結局、調査結果はどうなったんだろうね?
ただ真偽はともかくとして、やっぱ我々日本人もユダヤ史を多少は押さえておく必要があるのでは?
一般教養としても。
で、「旧約聖書物語」に話を戻すが、本来の聖書はどちらかというとバッドエンドなんだよね。
アッシリアやバビロンに国を滅ぼされ、一度はペルシャに救われたけど結局はローマ帝国に支配され、ユダヤ民族の歴史というのはひたすら受難の連鎖である。
だけど手塚先生は、あえて「旧約」にはない、「新約」福音書の冒頭をこのドラマの最終章に設定していて、バッドエンドではない希望エンドにしてるんだわ。
「俺たちの戦いはこれからだ」的な締めくくり。
割と後味がよく、「あぁ、見てよかったな」という構成になっている。
ホントいうと、手塚先生は「新約聖書」の漫画を描く構想ももってたそうだ。
実現しなかったけど。
それにしても、「ブッダ」&「旧約聖書物語」、こうして仏教とキリスト教の両方を描いた作家なんて、世界でも手塚先生ぐらいじゃない?
さすが、自ら「神様」と呼ばれるだけのことはある。
これは凄いことだと思うし、またその両方をアニメとして見ることができる我々日本人は、間違いなくラッキーといっていい。
逆に見ないのは、アンラッキーさ。
なお、「旧約聖書物語」はYouTubeで無料動画がアップされてるので、興味があれば是非ご覧になってみて下さい。