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「ブギーポップ」はどこから来たのか?

年が明けて新たな期に入り、さて今期の新アニメはどんな感じかなとラインナップを見たが、今なおラノベ原作の異世界ファンタジーが目立ってる気がする。
この流れ、一体いつまで続くのやら。
そもそも、ラノベ人気なるものは「ロードス島戦記」「スレイヤーズ」から始まったとされており、最初から異世界が舞台になることが多かったんだよ。
思えば、ファンタジーには異世界を舞台とした「ハイファンタジー」と現実世界を舞台とした「ローファンタジー」という分類があって、その分類なら少年漫画がどちらかというとローファンタジー寄りというのを踏まえ、敢えてラノベはハイファンタジー寄りにいったという棲み分け的なものが存在してたんじゃないだろうか。
とはいうものの、「ロードス島戦記」や「スレイヤーズ」は第1次ラノベブームの作品。
それに対し今の異世界転生作品群は、第3次ラノベブームに属するという。
じゃ、第2次ラノベブームとは?
それは「ブギーポップは笑わない」に端を発した、ローファンタジーブームということになるらしい。
この作品に触発され、やがて西尾維新(物語シリーズ)や奈須きのこ(Fateシリーズ)らが出てきたわけさ。
また、これは「エヴァンゲリオン」と並んで「セカイ系」の元祖ともされており、間違いなくサブカル界における偉大な金字塔といえよう。

ただ残念でならないのは、この「ブギーポップ」が「エヴァンゲリオン」や「物語」シリーズと比較し、アニメではいまいちヒットしなかったという事実である。
なぜ、ヒットしなかったのか?
実をいうと、この作品は2度アニメ化されてるのね。
最初は2000年、そして2度目が2019年、ともにマッドハウスが制作している。
問題は、最初の2000年のやつだ。
ちょうど小説が売れてて絶好の時期といえるアニメ化だったんだが、これは率直にいってメディアミックスの完全なる失敗。
実写映画とアニメを同時制作の大型プロジェクトだったところまではいいとして、小説の内容を映画の方で独占し、アニメの方はそれを補う後日譚的なアニオリの内容で制作してしまったのよ。
結果、映画は大コケし、頼みの綱の地上波放送アニメは後日譚的内容だから視聴者にはワケ分からんし、世間一般的には「ブギーポップって変な話」という印象だけ残して終わってしまったんだわ。
多分、小説ファンはブチ切れただろうね。
ブランドを汚したともいえる大失敗だったんだから。
興味ある人は、一度2000年版の「ブギーポップ」を見てくれ。
めっちゃ陰惨なホラー作品に仕上がってて、間違いなく鬱な気分になるはずだよ(笑)。

コケた実写版映画 見た人、少ないでしょ?
コケた00年版アニメ
まず、キャラがかわいくないのが特徴である

で、マッドハウスも「さすがにこれは挽回しなきゃ」と考えたのかは知らんが、何とか再アニメ化という運びになった。
ただ、その時期があまりにも遅ぎる。
前回のアニメ化から、19年後だよ?
明らかに旬の時期を逸してるわけで、昔から「鉄は熱いうちに打て」という格言があるけど、この再アニメ化は鉄が冷めるどころか錆びちゃったほどの遅れである。
とはいうものの、この2019年版はなかなかいい出来だったと思う。
このぐらいのクオリティのものが2000年にできていれば・・と悔やまれてならない。
もしできていれば、それこそ「物語」シリーズにも匹敵するほどのヒットシリーズになったのは間違いないだろう。
つくづく、2000年のメディアミックスプロジェクトを仕切った奴はアホである。
せっかくの金脈を、自らの手で葬ったんだから・・。

2019年版新アニメ
ブギーポップの美しさが格段に改善されている

さて、少し前置きが長くなってしまったが、今回は2019年版の「ブギーポップ」について少し書いてみたいと思う。
この原作は語り手がころころ変わる群像劇スタイルだけに、もともとアニメ化には適してなかったことは明らかである。
とはいえ、同じ群像劇スタイルで「デュラララ」や「バッカーノ」のアニメ化は成功したんだから、やってやれないはずはない。
一番の難関はブギーポップという正体不明の多重人格をどう表現するかだが、ここは悠木碧という天才を抜擢したことが功を奏していたと思う。
彼女は第一人格の宮下藤花と第二人格ブギーポップをうまく演じ分けており、あまりにもうますぎるもんで、最初は「声優ふたり起用してるのか?」と思っていたほどである。
この人って、ホント器用。
あと、キャラとしては藤花の親友の末真和子に注目である。
めっちゃ頭のキレる眼鏡女子という設定で、どう見ても「物語」シリーズの羽川翼そのまんまなんだよね。
実際、西尾維新は「ブギーポップ」のファンを公言しており、そのキャラも参考にしてるんだろう。
なのにアニメとしては「物語」の方が先にヒットしてるもんで、皮肉なことに元ネタの方がパクリっぽくなってる(笑)。

実質的なヒロインといえる霧間凪(右)と末真和子(左)

この作品は、主人公最強系にカテゴライズできると思う。
ブギーポップは、ほぼ無敵だからね。
そういう意味ではいまどきのニーズにも合ってるんだが、ただ彼が出てくる頻度がさほど多くないのと、第一人格の藤花が第二人格の彼をほとんど自覚してない設定が最後まで貫かれるので、そのへんを微妙に思う人は多いかもしれん。
宿儺を体内に取り込んだ虎杖、九尾の狐を体内に取り込んだナルトと違い、藤花はただの無力な女子高生だからね。
でも、私なんかは逆にそこが面白くって。
涼宮ハルヒのパターンじゃん。
聞けばブギーポップ自身、なぜ藤花の第二人格になってるのか意味が分からないという。
というか、彼は自分が何者なのかもよく分かっていない。
興味深いのは、彼が憑依霊みたいな人間由来のものではなく、もっと別の何かであり、世界の均衡を保つ役割だけは自覚してるということだ。

第一人格の宮下藤花は普通の女子高生で、主人公だけど案外出番は少ない

これ、多分あれだね。
このブギーポップの正体って、「地球」という知性体の端末じゃないの?
この表現だと分かりにくいなら、「エウレカセブン」のエウレカをイメージすればいいさ。
あの作品ではスカブコーラルという情報生命体の端末がエウレカの正体だったが、私はあれと同じで地球という天体そのものにも知性があると考えてるわけで、つまりブギーポップはその端末じゃないかと。
惑星はただの鉱物の塊で、そこに知性なんてあるはずない?
いやいや、天文学の権威であるフレッドホイル博士によると、この地球上に生命が誕生する確率は(10の40000乗)分の1という計算になるらしいよ。
これは明らかに第三者の関与がなきゃ絶対無理なわけで、その関与というのが、私は他ならぬ地球そのものという考えなのさ。
いってみりゃ、地球にとって生命体の発生と維持は、我々でいう生殖みたいなもの。
そうね、我々人類はさしずめ、地球の染色体といったところだろう。
情報を蓄積する役割。
仮にこの考え方を前提にすると、地球が人類に直接アクセスするにはブギーポップみたいな第二人格としての介入が手っ取り早いんだ。
受肉できて、尚且つ言葉も使えるんだから。
私はこういう介入が太古からあったと考えていて、でなきゃ猿だった人類がここまで文明を築けるわけないじゃん。

地球が一個の生命体である、という「ガイア理論」を提唱したジェームズラブロック博士

で、ブギーポップは誰と闘ってるのかというと、その相手は「世界の敵」だという。
その概念自体が難しいところだが、いうなれば彼はウィルスを潰す白血球といったところか。
なるほど、白血球だと考えれば、自分が何者かも知らないくせに役割だけは分かってるということのツジツマが合うわな。
何かさ、こういう設定を少し考察しただけでも「ブギーポップ」はそのへんのラノベとは次元が違うってこと、分かるでしょ?
だからマッドハウスさん、早いところ続編作ってくれよ。
原作ストックは十分にあるはずだし、初回のアニメ化でコケたことの責任をとる意味でも、新シリーズの継続はもはや義務だと思うぞ。

上遠野浩平は荒木飛呂彦のファンらしく、確かにブギーポップの衣裳は「JOJO」っぽいよな・・


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