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1200年の歴史アクロバット駈馬神事「藤森神社」刀剣鶴丸【京都伏見シリーズ】【京都伏見・山科シリーズ】

勝運と馬の神さまとしても名高く、馬主や騎手、競馬ファンからも広く崇敬を集めている。アクロバット駈馬神事!下鴨神社・上賀茂神社とは一味違う京都を代表する祭りを持つ神社。「ふじのもり」と読むのでご注意を。「松尾」は「まつのお」など、京都は結構ありますね。

変更履歴
2023/05/02 初版


▼HP

▼アクセス

京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
 ※表参道から車で入ると有料駐車場があるのだが、20分は無料
 ※北側にも駐車場がある

▼祭神・本尊と脇時

  • 素盞鳴命(スサノオノミコト)

  • 別雷命 (ワケイカズチノミコト)

  • 日本武尊 (ヤマトタケルノミコト)

  • 応神天皇 (オウジンテンノウ)

  • 仁徳天皇 (ニントクテンノウ)

  • 神功皇后 (ジングウコウゴウ)

  • 武内宿禰 (タケノウチノスクネ)

  • 舎人親王 (トネリシンノウ)
    日本書紀の編者であり、日本最初の学者

  • 天武天皇 (テンムテンノウ

  • 早良親王 (サワラシンノウ)

  • 伊豫親王 (イヨシンノウ)

  • 井上内親王 (イガミナイシンノウ)

▼見どころ

当社は、今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社です。本殿は正徳2年、中御門天皇より賜ったものです。特に当社は、菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、また、競馬ファンの参拝者でにぎわっております。

公式HPより
  • 「ふじもり」と読み、尚武・勝負の神を祀る

  • 菖蒲の節句発祥の神社

  • 1800年ほど前から鎮座し、神功皇后によって創建されたと伝わっている

  • 朝廷、武家共に崇敬されている古社

  • 781年、陸奥の反乱に際して行われた祈誓出陣の擬勢を象ったものが「駈馬神事」のはじまり

  • 京都でも「駈馬神事」は有名でニュースで必ず流れる

  • 馬の神さまとしても名高く、馬主や騎手、競馬ファンからも広く崇敬を集めている

  • 794年、平安京遷都に際しては、桓武天皇より「弓兵政所」の宝称を授けられる

  • その後、稲荷の地にあった藤尾社、東福寺の地にあった塚本社を合祀

  • 863年、「藤森祭」がはじまり「菖蒲の節句」発祥の祭と言われている

  • 「菖蒲(しょうぶ)」から「勝負」になったようだ・・好きだな日本人・・

  • 1711年、今の石造りの鳥居ができる

  • この鳥居には後水尾天皇の宸筆の額があったのだが、新選組・近藤勇が扁額を外す・・・

  • それが祟ったか、近藤勇は伏見墨染で銃撃され肩を負傷、鳥羽・伏見の戦いで敗北し、江戸に戻るが拘束され斬首された・・・

  • 1712年、中御門天皇より本殿を賜った

  • 1988年、タマモクロスというオグリキャップのライバル名馬の騎手が参拝したようで、そこから競馬も繋がったようだ


→拝殿・本殿

 一時期は有名な刀剣「鶴丸」が神前に奉献されていたと伝えられ、現在では、その写しが奉納されている。参拝後は宝物館に行きましょう!
 本殿には三つの座(中座、東座、西座)が設けられ、それぞれに神社の御祭神・全部で12柱が分かれて祀られている。

 本殿中央の御祭神はスサノオ、別雷命、ヤマトタケル、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、タケノウチノスクネの七柱。神功皇后が203年、新羅より凱旋後、藤森の地にお祀りされたのがはじまり。

本殿右
  • 本殿東殿(東座)の御祭神は舎人親王、天武天皇の二柱

  • 759年、現在の伏見稲荷大社(私のNOTE)周辺の深草の里・藤尾の地に鎮座

  • 1438年、後花園天皇の勅により、足利義教が山頂の稲荷の祠を三麓の藤尾の地に移し、藤尾大神を藤森に遷座し、東殿に祀る

  • 藤森祭は東殿に繋がっている

  • 「藤森祭」の際には氏子が神輿を担いで伏見稲荷大社の境内にある藤尾社の祠に向かうのだが、この際にも「土地返しや、土地返しや」と声をかけ、稲荷側の人々が「神さん今お留守」と返すやり取りがあるとか

本殿右
本殿裏
本殿裏
  • 本殿西殿(西座)の御祭神は早良親王、伊豫親王、井上内親王の三柱

  • 早良親王は皇太子となられた後、蝦夷で反乱が起こったので征討将軍としてここに詣で戦勝を祈願して出陣しようとされた

  • これを伝え聞いた反乱軍は畏怖し、乱は戦わずして平定した

  • 785年、早良親王は藤原氏の謀略に巻き込まれ、淡路島に流刑される途中で無念の死を遂げる

  • 800年、飢饉や疫病が起き、富士山噴火と災厄が相次いだため、その怨霊を鎮めるために塚本社が建てられた

  • 826年、淳和天皇が伊豫親王、井上内親王を合祀

  • 1055年、近くの寺で出火して焼失

  • 1077年、再建

  • 1470年、藤森神社に合祀

本殿裏
本殿左

→不二の水、神鎧像、旗塚

 名水と名酒の地である伏見にあるこの神社の境内には、ご神水「不二の水」が湧き出ている。意味は「ふたつとないほどのおいしさ」という意味をなんだそうな。でも「藤」から「不死」から「不二」になったとも。
地下深くからくみあげられた水は、おいしいだけでなく、勝運を授けてくれる力があると言われている。

不二の水

 本殿右には、イチイガシの木があり、「いちのきさんと呼ばれている。参拝すると腰痛が治ると言われているとか。新選組の近藤勇も参拝して腰痛を治したと伝えられている。
 その右には「神鎧像」ですね。

神鎧像
神鎧像

→八幡宮社@重文

 八幡宮社の御祭神は応神天皇。後述する大将軍社と同じく1438年に足利義教の造営。

→祖霊社

→七宮社

 せっかく何で本宮も紹介しましょ。あっているか不安ですがw

→大将軍社@重文

 1438年、建築当時は本殿と並んで一列に建っていたとか。

 大将軍社の御祭神は絶世の美女であるコノハナサクヤヒメの姉「磐長姫命(イワナガヒメノミコト)」で、1438年に足利義教が造営。桓武天皇が平安遷都をされた時に、都の四方に大将軍社が祀られた。南方の守護神として祀られたのがこの社で、古来より方除けの神として崇敬を集めている。

→天満宮社

→舎人親王崇敬碑

 日本書紀の編者であり、日本最初の学者として知られるため、学問の神とも。

→藤森稲荷社、 七福神

→宝物殿

 1988年の建物。入館無料で刀剣などもある。鎧、刀剣、大筒、弓、銃などあります。基本、写真NGです。入口あたりのみ撮影OKでした。

 写真OKゾーンです。

 刀剣・鶴丸のゲームがあるようですね。

 ▽節分


 ▽藤森祭、駈馬神事

  • 藤森祭の5月5日に行されるのが駈馬神事

  • 今から1200年前にそのルーツがあり、東殿に祀られている舎人親王に由来している

  • 781年、陸奥の反乱に対して征討将軍の勅を受けて、藤森神社に祈誓出陣された際の擬勢

  • 860年、藤原良房が自身の邸宅に当時の清和天皇を招き、「深草貞観の祭」を行ったのが起源なのだそうです。
    駈馬の技は7種類の技があるそうな

    1. 藤下がり・・敵矢が当たったと見せて駈ける技

    2. 手綱潜り・・屋の降りしきる中を駆け駈ける技

    3. 逆立ち・・・敵前で敵を嘲笑いながら駈ける技

    4. 横乗り・・・敵に姿を隠して駈ける技

    5. 一字書き・・前線より後方に呪法を送りながらかける技

    6. 矢払い・・・敵矢が打ち払いながら駈ける技

    7. 逆乗り・・・敵の動静を見ながら駈ける技

  • 馬が目の前を走り抜けていくため、迫力満点

 ▽紫陽花祭り

 別名「紫陽花宮(あじさいのみや)」とも呼ばれている。毎年6月には約3500株のあじさいが咲き、2か所の紫陽花苑がある。
 ※紫陽花苑へ入るには、入園料が必要

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

京都10月!通常非公開の社寺公開の月★京都東山⑭中京⑨右京⑯伏見山科⑦下京③

▼セットで行くところ

▼仏像展


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