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日本三大住吉の荒魂「住吉神社」厳重な物忌み「忌宮神社」はセット【山口シリーズ】

 大阪・住吉大社、博多・住吉神社とともに日本三大住吉の一つとされ、大阪・住吉大社が和魂を祀るのに対し、下関・住吉神社は荒魂を祀る由緒ある神社で「長門国一之宮」である!
 住吉神社忌宮神社の例祭は、境内に注連縄を張り巡らし、一般の人の参拝をできないようにし、神職も境内の外へ出ないという厳重な物忌みが行われる。

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▼HP、アクセス、祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽住吉神社:山口県下関市一の宮住吉1丁目11-1

 大阪・住吉大社、博多・住吉神社とともに日本三大住吉の一つとされ、大阪の住吉大社が住吉三神の和魂を祀るのに対し、ここは荒魂を祀る。
 例祭は12月15日で、その前の12月8日から15日の朝までは「御斎祭」として、境内に注連縄を張り巡らし、一般の人の参拝をできないようにし、神職も境内の外へ出ないという厳重な物忌み(https://kotobank.jp/word/%E7%89%A9%E5%BF%8C%E3%81%BF-398337)が行われる。

→参道

 大阪・住吉大社やそのほかの古社と同じく、参道に橋がある。本当は川が流れていたのかもしれない。橋を渡ると杜が生い茂っている。この日は地元の子が七五三で来ており、地元に愛されている神社である。

 その昔「住吉坐荒御魂神社」と記され、今でも「長門國一宮」でもある古社。

→楼門

 楼門前は階段になっており、両脇に最近に奉納された狛犬が置かれていた。なかなか愛くるしい狛犬なので、楼門と杜をセットで写真におさめた。

→拝殿@重文、本殿@国宝

 拝殿は重文で、本殿は国宝ある。祭神が五柱あるので、拝殿には五本の鈴が垂れている。創建の由来は、神功皇后の三韓征伐の際、新羅に向う皇后に住吉大神が神託し、渡海の守護を約束。無事の帰還後、「我が荒魂を穴門(長門)の山田邑に祀れ」という神託をうけ、その場所に祠を建てたのが始まり。

 第一殿は「住吉大神・荒魂」、 第二殿は「応神天皇」 、第三殿は「武内宿祢命」、 第四殿は「神功皇后」、 第五殿は「建御名方命」を祀り、住吉系と八幡系が混在した神様を祀るが、出雲系でオオクニヌシの次男坊である諏訪大社の祭神・タケミナカタはなんでだろうか・・。
 五殿並んだ本殿は国宝で、本殿を右側から斜めに見ると奈良・吉野水分神社(私のNOTE)を思い出す。

 ちなみに、大阪・住吉大社(2025年正月公開の私のNOTE)は四柱で本殿が別々だが、こちらは五柱で、本殿は破風を一列に並べた様式。

 「住吉開基造営等之覚書」によると、応神天皇・武内宿祢・神功皇后は、聖武天皇の時代に筑紫・宇美から勧請し、そのあとに、タケミナカタを勧請したそうな。
 ちなみに下の写真より住吉大神は一番左に祀られていますね。中央じゃないのが面白いって、宇佐八幡宮(2024年夏に公開する私のNOTE)と同じだ・・・。

 本殿後ろも忘れずに回りましょう。

 拝殿は毛利元就が寄進しているようです。

 参道、楼門、拝殿・本殿の雰囲気などから香椎宮を思い出す。

→摂社・末社

 〇高元社・若宮神社、田尻社・蛭子社・七社

 高元社・若宮神社と田尻社・蛭子社・七社がある。
 高元社はスサノオを祀り、一の宮小学校の近くに鎮座していたそうな。
 若宮神社の祭神は「穴門直祖踐立命」と「大歳神」で、穴門直祖踐立命は、神託により神功皇后が長門国に住吉神社を創建したときの初代宮司とのことで、もともとは秋根上町の公民館近くに鎮座していた。

 田尻社は宮司・大宮司家祖神としており、861年に鎮座!?って古社です・・。
 蛭子社は、事代主神・蛭子神の両エビスを祀る。鎮座は若宮神社より古い84年!?住吉神社がこの地に鎮座する前の地主神とのことなので、海が近くまであったのだろう。ちなみにコトシロヌシの本宮とヒルコの本宮をどうぞ!

 最後の七社は①伊勢神宮(私のNOTE)②石清水八幡宮(私のNOTE)③下鴨神社(私のNOTE)&上賀茂神社(私のNOTE)④春日大社(私のNOTE)⑤松尾大社(私のNOTE)⑥平野神社(私のNOTE)⑦伏見稲荷神社(私のNOTE)のようで、969年に京都の船岡山より遷座したと伝わっている。
 これに2柱を加えると仁和寺の九所明神になる。と思ったが、少し神様が違うな・・。ただ、皇族が関わっているとしか思えない社のセットだ。

 〇大楠(武内宿禰)

 本殿を巡り、社務所で御朱印を預けて、本殿右側へ行くと古代祭祀上と思わせる空気の場所があった。京都亀岡・出雲大神宮(私のNOTE)、京都宮津・籠神社奥宮の眞名井神社(私のNOTE)と同じ空気を感じた。

 三韓征伐の出陣の際、武内宿禰がこの地に立ち寄り、このクスノキを植えたようだ。

 古代祭祀上と思わせる場所に背後には御神木があった。根元に迫力があり、樹齢1800年だそうです。祭神「武内宿禰」が三韓討伐の際に手植えしたとされる。

 〇稲荷神社

 1839年に総本山である京都・伏見稲荷大社より勧請した。もともとは勝山村楠乃字上山に鎮座していたそうです。

 〇女社

 本殿裏は隠れスポットが多い。代表的なのは出雲大社、下鴨神社、熱田神宮(私のNOTE)などだろうか?ここにはアメノウズメが安置されている社があった。住吉系にアメノウズメって面白い組み合わせに感じた。

 〇検非違使社


 住吉神社の鳥居をくぐり石造りの小さな太鼓橋を渡ると右手に宝物館があります。事前予約が必要だそうです。

▽忌宮神社:山口県下関市長府宮の内町1-18

 長門國二宮にして式内社「忌宮神社」に比定される古社。仲哀天皇が、西国平定のためこの地に豊浦宮を設けられた跡といわれ、祭神は、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇の八幡神。
 先に言うと、忌宮神社の左側にある宝物殿をそのまま抜けると「乃木神社」がある。それは次のNOTEで。

→石鬼

 豊浦宮に攻め寄せた新羅の武将を倒しその首を埋めたとされる場所です。武将の顔が鬼のようであった事から「鬼石」と呼ばれているらしい。
 毎年8月7日から13日までの毎夜この鬼石を中心として「数方庭」が行われる。男子は幟を、女子は切籠と呼ばれる灯籠を吊した笹竹をもち、鉦や太鼓の音色に和して鬼石の周りを踊り舞う。

→拝殿、本殿

 住吉神社と同じく12月8日夕刻から15日の朝までは「御斎祭」として、境内に注連縄を張り巡らし、一般の人は参拝できない。神職も境内の外へ出ないという厳重な物忌みが行われる。

 なんか、住吉神社と忌宮神社は廣田大社と西宮神社の関係に感じてしまうのは私だけか??つまりのところ、元々は1つです!!

→京都三大祭「時代祭りin下関」

 京都も行われている「時代祭り」が行われていた。そのため、神社の駐車場近くの中学校を臨時駐車場にしていた。神社を後にしたとき、祭りを終えたコスプレ学生を見た。ちなみに、時代祭りは昔の日本の着物などで練り歩くお祭りです。京都の「時代祭り」は京都三大祭りだけど、明治から始まった新しいお祭りです。

→摂社・末社:八坂神社

 日本三大祭りの一つ「祇園祭」は八坂神社ですね。時代祭りもあれば祇園祭がある。ということは賀茂氏の葵祭も、どこかにあるのかな・・。

 祭神多し・・・時代とともに合祀した歴史がありそうだ。

→神鶏、宝物館

 社務所で御朱印待ちしているときに、鳥のエサ@50円が売られていた。小さい子供がキャッキャ言って、鳩にエサやりをしている。鳩のエサを売るって珍しいと思ったが、八幡系の神様なので神使いは鳩だから、正しいかと思っていたが、その後に日本鶏発見!!本来は、こちらのエサなのだろう。日本鶏は奈良・石上神宮(私のNOTE)や大分・宇佐八幡宮など古社に多いが、ここもそうなのかな。

 宝物館です。誰もいない・・。

 ↓おお~なんか違う・・・。

 収蔵の資料は、古文書・刀剣・武具・能面・祭器具・楽器・絵馬などが展示されていた。最近、流行りの刀剣があった。私の身長ぐらいの長さでびっくりしたが、この剣は2人で持ち、騎馬隊の馬の脚を切るらしい。

→数方庭祭


▼旅行記


▼セットで行くところ


▼仏像展


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