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笑いのカイブツ


きょうは映画館へ「笑いのカイブツ」を見に行きました。
この作品を拝見した感想は、
どんなに人間関係不得意でも、不器用な人でも、
どん底に落ちてしまった人でも、
こんなにもストイックで、
自分のやりたいことや、
夢に向かって歩み続けることができるのを、
再認識させてもらいました。
社会からは厳しい言葉や態度を取られるかもしれない、
一般的な仕事やアルバイトはできないのかもしれない、
何気ない会話も、挨拶さえできないのかもしれない、
心とからだの調子を崩すかもしれない。
けれど、憧れや夢に向かって歩き続けていると、
ふと、ひとりふたりと、
手を差しのべてくれる人が現れるのだと思いました。
それは、同じ境遇や経験、想いを抱いた人からのもの。
一般的な企業で働いたり、友人を作ったり、恋人ができたり、
家族を築いたりということはできないかもしれない。
でも、この映画の主人公ツチヤには野心がありました。
自分がいちばんおもしろい、おもしろいが正しいというもの。
そこから夢や目標に向かって、ただひたすらにペンを走らせて、
ネタを書いたり、テレビ番組に投稿する姿は、
応援したいという衝動にかられました。
悲しいことやつらいことがある世の中で、
それでも、愚痴を言いながらでも、
ただひたすらにネタ帳を書いて見てくださいと提出したり、
行動したり、悩み、もがきながら葛藤するさまは、
僕もつらい経験をしたことがあるので、
見ていてつらい、けれど、わかるよと伝えたい映画でした。
劇中で岡山さん演じるツチヤが、
「しあわせってなんですか?」と問うシーンがあります。
こんなに世間から叩かれて、うまく社会になじめずに、
アルバイトでも何回も怒られて、
好きなお笑いのネタを書いていても、
自由だったはずの居場所さえも失い、
途方に暮れて、
それでもネタを書くためにペンを走らせる。
好きな笑いの世界で、嫌になることもあるし、
愚痴をいうこともある。
けれど、主人公ツチヤはネタを書いているときが、
なによりもしあわせなんじゃないかと思いました。
作家活動をしていくと認めてくれる人が現れ、
少しずつ仕事がもらえ、
アパートが借りられるようになったときはうれしかった。
たぶん、ツチヤは大きな目標を掲げているから、
だめだだめだと、自分を肯定することができない、
他人を攻撃するのではなく、
自分を責めるのではないかと思いました。
それは、向上心があるといえば、いいのかもしれませんが、
あまりにもストイックで見ていてつらい。
何がしあわせなんだろう、どうしたらしあわせになれるのだろう、
どうしたらツチヤは笑ってくれるのだろうと思いながら、
映画を見ていました。
この作品を見ていて、
不器用で、コミュニケーションもできない、
感情がない、
けれど、どこか憎めない、
憎めないんです。
それは、ツチヤが好きな芸人のネタをすべて覚えていたり、
たくさんの芸人のネタを書くことができたり、
いつもペンを持ち、ネタを書いている姿を、
たくさんの人が見ているから、憎めないのだと思いました。
その、どうしようもないかもしれないけれど、共感し、
ほっておけないのだと思います。
たぶん、ツチヤを嫌ってしまったら、
過去の自分さえも嫌いになってしまうからかもしれません。
仲間なんだと思います。
失いたくないんだと思います。
あまりしゃべらない、けれど、
ツチヤが書いてきたネタがどこの誰よりも好きだし面白いから、
手放したくないのだと思いました。
この作品は、きらきらした世界とは反対に、
人間のどろ臭いところをリアルに描いたところに共感し、
悲しいことやつらいことがたくさんある世界だけれど、
それでも前を向いて歩み続けるツチヤに感動しました。
ツチヤは、
ただひたすらにネタを書くことが好きなだけかもしれない、
けれど、
ツチヤが書いたネタ、ツチヤという人が、
世界から受け入れられてほしい、
ひとりでも多くの人に認められますようにと思いながら、
映画館のスクリーンを見ていました。
ツチヤの書いたネタが読まれ、
少しずつ、
ツチヤの笑いが評価されていったシーンがうれしかった。
そして、ツチヤも自分のネタを好きでいてくれる人に、
少しずつ心を開いていく場面は、
見ていて心にじーんとあたたかいものが灯るものがありました。
ずっとひとりで、ただひたすらにペンを走らせて、
自分のことを受け入れられたり、
認められたときはうれしかった。
世の中は悲しいことやつらいこともあるかもしれない、
けれど、それだけじゃないんだよと、
なぐさめてくれるようなシーンに感動しました。
ツチヤが書いたネタが芸人により披露され、
たくさんのお客さんが笑ってくれたときはうれしかった。
僕も一般の会社では働けない、
職場の人の思考とは違うと気がついたとき、
世界がまっくらになったのを覚えています。
そのときの僕は、ずっと悲しいままでした。
けれど、ツチヤは、ただひたすらにペンを走らせ、
ネタを書いていきました。
そして、行動に移していきました。
なので、ツチヤから、
いい意味で、
苦いけれどいい薬をもらったような気がしました。
多くを語らないけれど、刺激をもらいました。
これからもどん底の道を歩んでいくのかもしれない、
でも、苦しくて苦しくて苦しい経験をしていたのは、
僕だけではないんだと知ったとき、
ああ、ひとりじゃなかったんだと思いました。
悲しくてつらい経験をしても歩み進めていく人が、
少しでも、これをやってよかったんだと思いますように。
そう、願わずにはいられませんでした。

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