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『記録』と『記憶』そして『絆』。父の残した限りある作品と母の父を想う心のアトリエとして…

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『記録』と『記憶』そして『絆』。父の残した限りある作品と母の父を想う心のアトリエとしてnoteを活用して行きたいです。管理人は娘(50代)。

記事一覧

無題/F20

一年間それまでの人達から離れ、自分の耳と目で確かな事を探り当てる為、絵筆を持たず思考を続けてきた。 私に対する非難が正しいものかどうか 私の考え方が正しいかどう…

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1日前
5

伝統絵画と現代絵画、それぞれの集中の方向

現代絵画ほど、直感力(エネルギーの集合)を必要とするものはない。私の場合、写実においてもそれは必要であったが、現代絵画はそれ以上に必要であり、それ以外の事は考え…

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4週間前
6

法則

何か私の胸の中に、ぎゅっと感じるものは時として瞬間的に悟る事が多い。 絵画には確かに法則がある。 それは自分だけの法則であって 他の誰のものでもない。      …

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1か月前
5

1984年7月

もう芸術とは何かという問題を探る必要はない。 ただ行動のみ 全てからの解放              July4.1984 見る事により描き~ 思索することにより描く 表象か…

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1か月前
6

描きたい動機

このところ、私の作品の制作は最初の段階でとにかく描きたい“動機”がある。 でもその時点では、まだ具体的なイメージは出来上がっていない。 ここで2つの方向がある。 …

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2か月前
5

本来の自分

たぶん変わったのではない。 少し気づき始めたばかりだ。 ほんの少し本来の自分に目覚め始めたばかりだ。                21.Jun 1984

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2か月前
4

1984年6月

美しい物と芸術性は全く関係ない 写実と    〃 芸術性とは、色そのものであり、形態そのものであり、線そのもので、それらの総和でなるということではない。 芸術と…

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2か月前
7

瞬間の連続性/F30

あれから5日間が随分と時間がたったように思うのに、あれこれ構想をねっていた。 どういうものを描くかではない。 それは、結論が出ていた。 すなわち 〝ずばり〟のもの。 …

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2か月前
8

何を大切にするか

私はキャンバスとの間において、まわりくどい会話や奥歯に物が挟まった様な、あるいは原則論とかetcなどもちたくない。 私は『私のプリンシプル』を信じている。 だからこ…

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2か月前
4

赤い衝撃/F50

イメージの中での両サイドの黒にインディゴブルーを混ぜ塗り込んだ。 中にはグレーの他、色々な混色を重ねる計画である。 今までは一気に書き込んだが、今回はマチエール…

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3か月前
6

自分の自由な作品に向けて

苦労した17日間は終わり、やはり自分の作品を作りたいと思っていた。 私自身の作品を・・・・イメージはできているが、キャンバスに描くにはまだまだ早すぎると思い、毎日…

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3か月前
4

裸婦

初めて裸婦らしい裸婦を油彩にしている。 5月20日 AM9:30〜PM4:30まで 固定のポーズだ。F20号は、その後2枚、後に3枚のキャンバスで毎日描いた。毎晩だ。 初めてなので…

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3か月前
5

自由な時代

これ程自由のある良い時代はかつてなかっただろう。 そうだとするなら、 『私にはこういう事もできる。』という言葉を尊重してはどうなのだ。 少しぐらい、はみだして良…

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3か月前
4

思いのままに

私は自由にやる。 もう誰にも束縛されない。 26.Feb.1984に描いたアプルを私の自由に基づいて生き生きとしたものにする。 やってやる。                …

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3か月前
5

自由な考え方と真の芸術

抽象絵画もコンテンポラリーアートも現在描かれているから現代的であるということだけで、人々が貴族の為に制作された当時、美術の時点では制作者は解放されておらず古典と…

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3か月前
8

2×2×4=16回描いた

忘れていたが5月6日(日)晴れ “川辺に下る道”を写生で描いた。 対象で見るとどうしても自分の作品が作れない。 帰ってから2枚のキャンパスで6日~9日まで一日2回 2x2…

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3か月前
5
無題/F20

無題/F20

一年間それまでの人達から離れ、自分の耳と目で確かな事を探り当てる為、絵筆を持たず思考を続けてきた。

私に対する非難が正しいものかどうか
私の考え方が正しいかどうか。
・・・どちらも正しい。個々人のリアリティーは各々違う。

やはり私は私の道を行く事が最善であると思うし
今日描いた作品は、妻の評価では
“何も感動しないが、邪魔にはならない”

題名はまだない。F20

“何も感動しないが、邪魔には

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伝統絵画と現代絵画、それぞれの集中の方向

伝統絵画と現代絵画、それぞれの集中の方向

現代絵画ほど、直感力(エネルギーの集合)を必要とするものはない。私の場合、写実においてもそれは必要であったが、現代絵画はそれ以上に必要であり、それ以外の事は考えられない。
ということは、とりもなおさず核心にふれなければならないし、他の雑事は一切必要ないのである。
だから、追求するという言葉は遠い昔の伝説であると思う。
だから、間接的に対して直接的である。
又、伝統的な作品は、追求に追求を重ねるので

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法則

法則

何か私の胸の中に、ぎゅっと感じるものは時として瞬間的に悟る事が多い。

絵画には確かに法則がある。
それは自分だけの法則であって
他の誰のものでもない。
           18.Aug.1984

※ 『軌跡』〜父の日記より〜

1984年7月

1984年7月

もう芸術とは何かという問題を探る必要はない。

ただ行動のみ 全てからの解放
             July4.1984

見る事により描き~
思索することにより描く
表象から意識へ

この分類は流派の違いじゃなくて、
歴史の必然的な過程である。

やっと目覚めたのでないか。
             July.1984

※ 『軌跡』〜父の日記より〜

描きたい動機

描きたい動機

このところ、私の作品の制作は最初の段階でとにかく描きたい“動機”がある。

でもその時点では、まだ具体的なイメージは出来上がっていない。

ここで2つの方向がある。

1つは具体的なイメージができるまで頭の中であれこれ描く事。
他の1つはとにかく基本となる色か線をキャンバスにぶつけてみる。

その瞬間が本物である。
その2つのいずれか発展してタブロー化する。
               22.J

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本来の自分

本来の自分

たぶん変わったのではない。
少し気づき始めたばかりだ。
ほんの少し本来の自分に目覚め始めたばかりだ。
               21.Jun 1984

1984年6月

1984年6月

美しい物と芸術性は全く関係ない
写実と    〃

芸術性とは、色そのものであり、形態そのものであり、線そのもので、それらの総和でなるということではない。

芸術とは、そのぐらい単純で明快で、その豊かな精神(本能)だけが芸術の基本で、それに達すれば誰でも描けるものである。

すなわち技術の一切は必要ない。
よってデッサンも必要ない。

能書を描き述べる必要もない。
よって文書力や構成も大して必要な

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瞬間の連続性/F30

瞬間の連続性/F30

あれから5日間が随分と時間がたったように思うのに、あれこれ構想をねっていた。
どういうものを描くかではない。
それは、結論が出ていた。
すなわち 〝ずばり〟のもの。
単刀直入でまわりくどくなく、今の私を充分に表現できる方法を・・・だ。

アイボリーブラックを全面に塗る。そして速いスピードで、右下に中心にあるように、とぎれた円弧を描く。何度も頭の中で記憶させておいた。

5日間か・・・。

作品その

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何を大切にするか

何を大切にするか

私はキャンバスとの間において、まわりくどい会話や奥歯に物が挟まった様な、あるいは原則論とかetcなどもちたくない。

私は『私のプリンシプル』を信じている。
だからこの関係は直線的な糸で結ばれており、最低限の材料、すなわち“絵具とエネルギー”だけで会話をする。
そして一切知性の介入は必要ない。

                16.Jun.1984

※ 『軌跡』〜父の日記より〜

赤い衝撃/F50

赤い衝撃/F50

イメージの中での両サイドの黒にインディゴブルーを混ぜ塗り込んだ。
中にはグレーの他、色々な混色を重ねる計画である。

今までは一気に書き込んだが、今回はマチエールに複雑さがほしい。

13.JUN 白の中(チタニウム)に赤を下地に少し描き込んだ。
ところどころに黄

天気は良く、15日には下地は乾燥している。
丁度よい。

チタニウムホワイトで下地と同じに、下地の赤と黄を薄く出させて、全体に早いス

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自分の自由な作品に向けて

自分の自由な作品に向けて

苦労した17日間は終わり、やはり自分の作品を作りたいと思っていた。

私自身の作品を・・・・イメージはできているが、キャンバスに描くにはまだまだ早すぎると思い、毎日頭の中で描いた。

                  12.JUN

※ 『軌跡』〜父の日記より〜

裸婦

裸婦

初めて裸婦らしい裸婦を油彩にしている。
5月20日 AM9:30〜PM4:30まで

固定のポーズだ。F20号は、その後2枚、後に3枚のキャンバスで毎日描いた。毎晩だ。

初めてなので、自分ながら対象にとらわれすぎている事はわかっていたが、徹底して見る事につとめようとした。

自分の絵を描くのは、その後何度もチャンスがあるはずである。

少し残念だったのは、当日ボディーのラインと色彩の関係は良く見

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自由な時代

自由な時代

これ程自由のある良い時代はかつてなかっただろう。

そうだとするなら、
『私にはこういう事もできる。』という言葉を尊重してはどうなのだ。

少しぐらい、はみだして良いのではないか。

自由な時代なのだから。
               18. May.1984

※ 『軌跡』〜父の日記より〜

思いのままに

思いのままに

私は自由にやる。

もう誰にも束縛されない。

26.Feb.1984に描いたアプルを私の自由に基づいて生き生きとしたものにする。

やってやる。
               17.May.1984

※ 『軌跡』〜父の日記より〜

自由な考え方と真の芸術

自由な考え方と真の芸術

抽象絵画もコンテンポラリーアートも現在描かれているから現代的であるということだけで、人々が貴族の為に制作された当時、美術の時点では制作者は解放されておらず古典というものがあったが、その後の実在主義を経過して人間自身が解放され自由な物の"考え方”
この“考え方”が重要で、この結果必然的に現代の様式になったのである。

すなわち古代人は、自由な解放された人々が多かったことになる。

こうしてみると、古

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2×2×4=16回描いた

2×2×4=16回描いた

忘れていたが5月6日(日)晴れ

“川辺に下る道”を写生で描いた。
対象で見るとどうしても自分の作品が作れない。

帰ってから2枚のキャンパスで6日~9日まで一日2回
2x2✕4=16回描いた事になる。

F6川辺に下る道
                 5.10.1984
¥1200のチタニウムホワイト 1本使ってしまった。

※ 『軌跡』父の日記より〜