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『記録』と『記憶』そして『絆』。父の残した限りある作品と母の父を想う心のアトリエとして…

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『記録』と『記憶』そして『絆』。父の残した限りある作品と母の父を想う心のアトリエとしてnoteを活用して行きたいです。管理人は娘(50代)。

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はじめまして

はじめまして、TSTMKです。 noteでは、38年前に他界した父が生前描き残した油絵と日記を皆さんに見ていただきたく発信しようと考えています。 よろしくお願いします。 【TSTMK family紹介】 父、母、兄、私(TSTMK)の平凡4人家族でした。 父は私が13歳(中学1年生)の時、43歳という若さであっけなく逝ってしまいました。 私にはその時の記憶はほぼありません。 あまりに辛すぎる出来事で脳が消し去ったようです。 しかし父が残した家や、油絵の作品はその時の

    • 法則

      何か私の胸の中に、ぎゅっと感じるものは時として瞬間的に悟る事が多い。 絵画には確かに法則がある。 それは自分だけの法則であって 他の誰のものでもない。            18.Aug.1984 ※ 『軌跡』〜父の日記より〜

      • 1984年7月

        もう芸術とは何かという問題を探る必要はない。 ただ行動のみ 全てからの解放              July4.1984 見る事により描き~ 思索することにより描く 表象から意識へ この分類は流派の違いじゃなくて、 歴史の必然的な過程である。 やっと目覚めたのでないか。              July.1984 ※ 『軌跡』〜父の日記より〜

        • 描きたい動機

          このところ、私の作品の制作は最初の段階でとにかく描きたい“動機”がある。 でもその時点では、まだ具体的なイメージは出来上がっていない。 ここで2つの方向がある。 1つは具体的なイメージができるまで頭の中であれこれ描く事。 他の1つはとにかく基本となる色か線をキャンバスにぶつけてみる。 その瞬間が本物である。 その2つのいずれか発展してタブロー化する。                22.Jun.1984

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        はじめまして

          本来の自分

          たぶん変わったのではない。 少し気づき始めたばかりだ。 ほんの少し本来の自分に目覚め始めたばかりだ。                21.Jun 1984

          本来の自分

          1984年6月

          美しい物と芸術性は全く関係ない 写実と    〃 芸術性とは、色そのものであり、形態そのものであり、線そのもので、それらの総和でなるということではない。 芸術とは、そのぐらい単純で明快で、その豊かな精神(本能)だけが芸術の基本で、それに達すれば誰でも描けるものである。 すなわち技術の一切は必要ない。 よってデッサンも必要ない。 能書を描き述べる必要もない。 よって文書力や構成も大して必要ない。 知識ももちろん、制作の場においては必要ない。              

          1984年6月

          瞬間の連続性/F30

          あれから5日間が随分と時間がたったように思うのに、あれこれ構想をねっていた。 どういうものを描くかではない。 それは、結論が出ていた。 すなわち 〝ずばり〟のもの。 単刀直入でまわりくどくなく、今の私を充分に表現できる方法を・・・だ。 アイボリーブラックを全面に塗る。そして速いスピードで、右下に中心にあるように、とぎれた円弧を描く。何度も頭の中で記憶させておいた。 5日間か・・・。 作品そのものは単純で誰にでもできる。 ・・・でもとても好きだ。 誰にでも書けるだけに、

          瞬間の連続性/F30

          何を大切にするか

          私はキャンバスとの間において、まわりくどい会話や奥歯に物が挟まった様な、あるいは原則論とかetcなどもちたくない。 私は『私のプリンシプル』を信じている。 だからこの関係は直線的な糸で結ばれており、最低限の材料、すなわち“絵具とエネルギー”だけで会話をする。 そして一切知性の介入は必要ない。                 16.Jun.1984 ※ 『軌跡』〜父の日記より〜

          何を大切にするか

          赤い衝撃/F50

          イメージの中での両サイドの黒にインディゴブルーを混ぜ塗り込んだ。 中にはグレーの他、色々な混色を重ねる計画である。 今までは一気に書き込んだが、今回はマチエールに複雑さがほしい。 13.JUN 白の中(チタニウム)に赤を下地に少し描き込んだ。 ところどころに黄 天気は良く、15日には下地は乾燥している。 丁度よい。 チタニウムホワイトで下地と同じに、下地の赤と黄を薄く出させて、全体に早いスピードで描き込んだ。 壁や柱は絵具が飛び散る。 この時の白は、両サイドの黒に

          赤い衝撃/F50

          自分の自由な作品に向けて

          苦労した17日間は終わり、やはり自分の作品を作りたいと思っていた。 私自身の作品を・・・・イメージはできているが、キャンバスに描くにはまだまだ早すぎると思い、毎日頭の中で描いた。                   12.JUN ※ 『軌跡』〜父の日記より〜

          自分の自由な作品に向けて

          裸婦

          初めて裸婦らしい裸婦を油彩にしている。 5月20日 AM9:30〜PM4:30まで 固定のポーズだ。F20号は、その後2枚、後に3枚のキャンバスで毎日描いた。毎晩だ。 初めてなので、自分ながら対象にとらわれすぎている事はわかっていたが、徹底して見る事につとめようとした。 自分の絵を描くのは、その後何度もチャンスがあるはずである。 少し残念だったのは、当日ボディーのラインと色彩の関係は良く見ていたが、顔までは至らず。 ただ、イメージは残っている。 それを頼りに毎晩毎晩苦

          自由な時代

          これ程自由のある良い時代はかつてなかっただろう。 そうだとするなら、 『私にはこういう事もできる。』という言葉を尊重してはどうなのだ。 少しぐらい、はみだして良いのではないか。 自由な時代なのだから。                18. May.1984 ※ 『軌跡』〜父の日記より〜

          自由な時代

          思いのままに

          私は自由にやる。 もう誰にも束縛されない。 26.Feb.1984に描いたアプルを私の自由に基づいて生き生きとしたものにする。 やってやる。                17.May.1984 ※ 『軌跡』〜父の日記より〜

          思いのままに

          自由な考え方と真の芸術

          抽象絵画もコンテンポラリーアートも現在描かれているから現代的であるということだけで、人々が貴族の為に制作された当時、美術の時点では制作者は解放されておらず古典というものがあったが、その後の実在主義を経過して人間自身が解放され自由な物の"考え方” この“考え方”が重要で、この結果必然的に現代の様式になったのである。 すなわち古代人は、自由な解放された人々が多かったことになる。 こうしてみると、古代は自由で個人が生き生きとした物の考え方に基づいて、真の芸術はそこにあったことに

          自由な考え方と真の芸術

          2×2×4=16回描いた

          忘れていたが5月6日(日)晴れ “川辺に下る道”を写生で描いた。 対象で見るとどうしても自分の作品が作れない。 帰ってから2枚のキャンパスで6日~9日まで一日2回 2x2✕4=16回描いた事になる。 F6川辺に下る道                  5.10.1984 ¥1200のチタニウムホワイト 1本使ってしまった。 ※ 『軌跡』父の日記より〜

          2×2×4=16回描いた

          相互の話し合い

          具象は絵が一方的に(見る者から自由を奪い)話しかけるが、抽象の精神である自由は、絵と見る者相互の話し合いである。・・・と思う。 絵の方も見る側の者も一体なんだろうと不思議がる。 これはいいもんだと思う。                  5.10.1984 ※ 『軌跡』父の日記より〜

          相互の話し合い