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「愛を伝えない事」が大事で。

恋愛においてまだ22年しか生きていない僕が思うに、人間には追われる側の人間と追う側の人間の二種類しか存在しない。

追われる側の人間はポジティブシンキングで何事にも執着せずに、ただ毎日が楽しいと感じてしまう天性の才能を持った人間であり、追う側の人間は寂しがり屋で世の中を生きていく上で常にネガティブな思考をかけ備え、毎日生きている中で常に他人と自分との距離を考え、考察しながら生きている人間である。

僕はかなりクセのある後者であり、そのことについていつも考え、僕も何も考えずに恋愛を楽しみ、人生を楽しみ、生き様を楽しみたいと常日頃から考えて、そうするためにはまず信頼できる彼女や信頼できる仲間がいないといけない。なんてことを考えているわけで。

追われる側の人間はその考える行為さえもやめてしまっている。のらりくらりと人生を設計して、今が楽しければいいやと思っていて案の定相対的にみたときに人生は楽しかったなーと言える人である。彼らは理想を持たないし、自我も何もなく他人から影響されたものに対してすぐ吸収する。

そんな彼らを僕は、空洞人間と呼ぶことにしている。

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空洞人間は我々の考え方を窮屈に感じて、いつも台所の換気扇を回しながらタバコを燻らせているため、人には関心がない。私はそのことを今までの約20年間羨ましくもあり、かなり嫉妬していた部分でもあった。

私は空洞人間になれないのである。いくら頑張っても、彼らの周りには人が集まるし、彼らの世界と僕の世界では完全に壁ができているため、交流をいずれ持たなくってしまう。

この考えをもとに恋愛に置き換えてみると、恋愛で相手のことを嫉妬したり、相手を監視したり、携帯をみたり、相手に愛していると言われたいがためにわざとちょっかいをかけたり、それは相手は求められるからやっているだけであり、彼らにその愛への執着はまるでない。だから別れる時も、僕らはいつもふられる側で、それは彼らにとっては人生の通過点でしかないからである。

だから、何が言いたいかというと、愛を伝える行為そのものをやめてみることである。愛さえ伝えなければ、僕たちは彼らと同等の立場にいられるし、長い目で見たときに彼らと共存できるのである。そしていずれ来る、彼らからの愛のアピールを真摯に受け止めて、私たちも初めてそこで愛を伝える事ができる。

とにかく待つこと。

恋愛においてうまくいくか、いかないかは待つ事が大事で、それができない人たちは一生彼らの連鎖からは抜けられない。

以上。

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