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【児童福祉】ネパール~君がくれたもの~①【ユーラシア旅行記】

ネパール顔の男、故郷へ

今後は極力30代の琴線に触れる題名にすることを心掛けたいと思う。

インドを旅していた時の話。
20m置きにインド人に話しかけられます。
インド人「ジャパニ?」(日本人か?)
インド人「ネパリ?」(ネパール人か?)
どうやら私の顔はネパール人に似ているらしい。
当時は日本人=お金持ちのイメージ。
ジャパニと答えると高額な旅行商品詐欺に巻き込まれたり、絨毯屋や謎の宝石店に連行されるリスクが増えます。
一方ネパリと答えれば彼らは早々と退散する。ネパールは貧しい国なので。
だから私はこれからインド人にどこから来たのと聞かれると胸を張って
「アイム ネパリ」と答えるようにすることにした。
自分のルーツを感じるネパール。
私は日に日にネパールへのバイブスとシンパシーを高めていくのであった。

ネパールではフルタイムで働いても日給は1000円程度。
でもビールは500円位します。産業が脆弱なネパールは多くの商品を
インドから輸入しているため、国民の収入の割に物価が高め。

2023年夏。
私は遂に憧れの地、雲の向こう約束の場所ネパールに足を踏み入れた。
ネパールはインドの隣国。文化的にはインドから強い影響を受けています。
しかし強烈なインド人とは対照的にネパール人は控え目で穏やかの性格の人が多い。
日本人のように程々の距離を保ってくれます。
私は一撃でネパールのことが好きになったのでした。
そして観光業従事者もしつこく外国人に付き纏ってきたりすることはありませんでした。
私がネパール人として認識されているという可能性は否定できませんが。

バックパッカーの聖地として有名なタメル地区にあるマッサージ店
スタッフは全員視覚障がい者(全盲者)。施術も会計も全て彼等自身で行っている。
売上の保管場所もすぐわかる。平和な国の証拠だ。
フライト疲れで1H利用。3000円(たけぇ)

今回のネパール旅では、最貧国と言われるネパールの子供達が置かれている状況を深く理解するため、現地ガイドを雇うことにした。
そこで私は現地のガイドとコネクションを持っている高校時代の後輩、フルート奏者のYUKIを頼ることにした。

YUKI
https://instagram.com/flutist_yuki?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==

彼女は若かりし頃(今も若いぞ)フルート奏者として訪ネパした経験がある。彼女には心から感謝をしたい。

簡単な日本語を話せるガイドのサロジュ。
ネパール人の技能実習生を日本に送る会社を経営している。
「儲かってまんな」と私が弄るとハニかむ彼。

ネパールの児童福祉施設とは

ガイドのサロジュと合流し、バイク2ケツで首都のカトマンズ近郊にある孤児院へと向かった。
途中でスーパーに寄って寄付する用の食料やお菓子、ジュースを購入。

カトマンズ近郊の孤児院 PABITRA SAMAJ SEWA NEPAL
寄付の様子。列に並ぶ子供達。かわいい。

世の中には絶対的に尊敬すべき人が存在する。
この施設の長、彼女ディクシャーさんはその一人だ。
孤児院とは聞いていたがこの施設では子供たちの他、障がいのある人、身寄りの無い高齢者、65人が互いに身を寄せ合って生活している。
日本では身寄りの無い子供は正式な手続きを経て施設に預けられるし、その運営費はほぼ公金によるだろう。
だが最貧国ネパールでは福祉や社会保障の仕組みが整っておらず、ここには政府の援助は1円たりとも入っていないということであった。
役人に支援を求めても高額な賄賂を要求され、渡したとしても支援が約束されるわけではない。よって運営は全て個人からの寄付で賄われている。

ディクシャーさんと子供達

彼女は「社会的弱者を助けたい」その志一つでこの活動を20年以上続けている。
どのようにして子供がこの施設に辿り着くのか聞くと、朝起きたら、ホームの入り口に見ず知らずの子供(赤ちゃん)が置かれているのでそのまま預かり育てているそうだ。警察が彼女を頼って孤児を連れてくるケースもあるそう。
言葉が出ない。本当に頭が下がる。

日本と同じく子供達は18歳になったら施設を出て自活をしなければならない。
左の少女スミタは食料品店で働き、右のメッシが好きな少年アヌルはPCショップで働いている。
二人はこのホームの卒業生。私が来るということで遊びに来てくれた。
真ん中の少女二人はまだこのホームに住んでいるが、高校生なので小さい子達の面倒を見ている。
6か月前からここで暮らす彼女。(名前忘れてしまいした。)
母は出産時に亡くなってしまい、施設に預けられることに。
父親は不明。

ここに住む子供たちには教育の機会は提供されており、みな近郊の公立学校に歩いて通うことになるけれども、学校までが非常に遠く、歩いて1時間弱かかるそう。1台施設の車が欲しいが高額な為手が出ない。
何か学校でトラブルがあって迎えにいくときも往復に2時間がかかる。
そして施設にはガスが無く、食料も慢性的に不足していてとても困っているとのこと。
また、ネパールには特別支援学校が存在しないので歩いて学校に通うことができない子供は基本的に家で過ごすことになる。
優しい人が多いネパールだからか悪い大人に騙されるというようなことは無いそうだ。
更にネパールにも脆弱ながら年金制度はあるが、ここに住む高齢者には戸籍が無いので受給することができない。
年齢も様々な人が共同生活をしているため、色々問題があるのでしょう、やはり子供は子供、高齢者は高齢者で分けた施設にしたいといつも考えていて
富山型のような施設形態の難しさを感じているとのことであった。

富山型デイサービス

「中には大学にまで行った子供もいる」と屈託のない笑顔で話すディクシャーさんはネパールの母だと思う。心からそう思う。ここで育ち巣立ったスミタとアヌルはカトマンズで働き、国に税金を納めている。なんと素晴らしいことか。

ここでは国に頼らない(頼れない)独自の支援コミュニティーの在り方を見た。
助け合い。護り合い。本来人は数十人のグループで何千年も生きてきたはず人と人との関係が希薄な現代。
年々増大する社会保障費の問題を解決するヒントになるかもしれない。私はアホなので思いつかないけれども私が総理大臣になったら子供家庭庁の頭の良い局長以上にはここでの1週間の研修を義務づけたいと思う。(たくさんお土産持たせて)
政府間合意で何百億バラまくよりきっと良いよね。

今の私は職が無いと書いて無職であるため車を寄付することはできないが少しばかりのお金を置いてサロジュと施設を後にした。
そして私は近い将来寄付する車に乗ってここに戻って来ようと誓ったのであった。

頂いた写真。彼女と子供達、施設の人達に幸あれ。

ネパール編、まだまだ続くんじゃ。


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