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未完成のまままわり続けること −パース『連続性の哲学』と岩田慶治『コスモスの思想』を読む
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チャールズ・サンダース・パースの『連続性の哲学』に「われわれの探求の途(みち)」を「妨げる」、四つの「有害な思想の形態」という話が出てくる。
第一に「絶対的な断言」
第二に「いくつかの事柄は絶対に不可知である、と主張すること」
第三に「科学におけるあれこれの要素が根本的かつ究極的であり、他のものから独立であって、それ以上の説明を寄せ
文化「と」自然、文化「にとっての」自然 −岩田慶治著『コスモスの思想』を読む
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文化人類学者岩田慶治氏の著書『コスモスの思想』を読んでいる。読み進めるにつれて、岩田氏の論は核心へと入っていく。そして次のような一文がある。
「われわれの眼に写った自然、言葉に転化した自然はすべて半自然である」岩田慶治『コスモスの思想』p.121
半自然というのはどういうことだろうか?
文化と自然文化人類学では「自然」とい
コスモスとしての文化と、カオスとしての文化 −岩田慶治著『コスモスの思想』を読む
文化人類学者 岩田慶治氏の著作『コスモスの思想』を読んでいる。
文化人類学が研究対象とする「文化」というものは、「自然」との対立関係の中で存在するようになるものだ。
例えば、山に大きな石が転がっていれば、私たちはそれを「自然」のものだと言うけれども、もしその石の表面がなめらかに整えられて規則的なパターンで線が刻まれていたならば、私たちはそれを文化的な何かだと考えてみたくなる。
つまり、どこか
森と人、こころと魂−岩田慶治著『アニミズム時代』を読む
岩田慶治氏の『アニミズム時代』をひきつづき読んでいると、「森の思想・森の生き方」という章で次のような一節に出会う。
岩田慶治氏が、文明の袋小路を逃れ「やり直す」ために、「身体からこころへ、こころから魂へ」と戻っていく必要があると論じる下りである。そこに次の一節である。
こころと魂「こころの世界は二元的で、形がある。海と山、善と悪、子どもと老人、男と女の差違と葛藤がある。」(岩田慶治『アニミズム
「万物はそれぞれに自分自身を描いた画なのだ」ー岩田慶治『アニミズム時代』を読む
岩田慶治氏の『アニミズム時代』を読んでいる。
岩田慶治氏は文化人類学者であり、この『アニミズム時代』も岩田氏ご自身が調査した東南アジアの稲作農耕民族のアニミズム的な信仰や儀式のお話である。
天と地を媒介する儀式『アニミズム時代』の最初の方に「魂のトポロジー」という節がある。
そこでは「凧揚げ」「竜船競漕」「産髪」を残すこと、根を切った竹や樹木などを空に向けて立てることなどなど、いずれも、天と