アスリートの言い分とスポーツ協会の言い分 -言い争いの原因-
スポーツセクターにおいて、選手と協会の言い分の違いと言い争いはよく話題になる。この仕組みと原因を見ていきたい。
報道をするのは選手視点のみ
スポーツセクターの構造として、基本的に報道の対象は日本代表などの選手である。ヒーローインタビューでお立ち台に上がるのも選手。運営にスポットライトが上がることはほぼない。ドキュメンタリーとかにならない限り。ということは、社会の視聴者は必然的にアスリート・選手側の視点で固定されていることになる。
さらに選手側の不満を訴えた先として、協会に会見を開かせるというヒーローが悪の親玉を追い詰める、というシーンのカットに見えなくもない。
メディア・スポンサーは数字を追う
大前提の原理として、メディアは数字が取れるような放送を行う。スポーツの業界において権力を持つのは協会側で、選手は替えが利くコマのひとつにすぎないといっても過言ではない。よって前者の方が強く、後者の方が弱い。
視聴者の共感や同情が得られる方が数字が伸びるのは言うまでもない。日本社会の中で、何かしらの決定権を持つ権力者と、持たないコマである人間はどちらの方が多いだろうか?いうまでもなく世の中は権力を持つ側と持たない側なら圧倒的に後者が多い。弱者を取り上げるほうが同情も得られる。だから選手の無念や心情側に立った方が数字が取れてしまう。印象操作もメディアの担当と言っても過言ではない。
アラジンって知ってる?
ディズニー版のアラジンの話をご存じだろうか?
オープニングすぐ、主人公のアラジンは、おなかをすかせた子供のために、市場のパンを取って子供にあげていた。見つかったアラジンは軽やかに追いかけてくるガードマンを警戒に振り切る。
ここで多くの視聴者はこう思うだろう。
「パンくらい、いいじゃないか。可哀そうだ。おなかをすかせてるのに。」
しかし、ここで客観的に見てみよう。市場でパンをお金を払わずにとったら、万引きですよね?客観的に見たら万引きして逃亡したら追いかけられますよね?さらに攻撃するのは、業務執行妨害でさらに罪が重くなる。
ここでもし、このパン屋が、アラジン以外の万引きにも悩まされていて、お店が潰れそうになっていたら?どうだろうか?それでもアラジンは正義なのだろうか。似たようなことを書かれている例はいくつもある。
状況を分からずに「選手が可哀そうだ」ばかりに目が行くのは、このアラジンの例と酷似している。
協会やスポンサーが企業で、選手は短期契約の非正規社員
現代版のスポーツの構造を考えると、協会やスポンサーと選手の関係は、人材派遣会社と短期契約の非正規雇用社員の関係になる。
非正規雇用契約で働いているのに、派遣元の企業を「ピンハネするだなんてひどい!」というだろうか?そもそも最初からそういう契約のはずである。嫌なら転職すればいい。
さらに日本協会は、国際連盟の決定には逆らえないことが多い。これはグローバル企業本社と日本支社の関係に近い。本社の決定に半ば植民地の日本支社は逆らうことが出来ない。日本支社の派遣社員の言い分なんて、本社は気にもしないだろう。「嫌ならやめたら?」となるのは自然である。
ここで、自分が活躍して目立ってきたからといって、契約は無効だなんて、虫が良すぎる話ではないだろうか?
まあできるとしたらその知名度を使って、Youtuberなどの知名度が生きる副業でもやるのが最もお得で、効率的なやり方であると感じる。逆に言えばアスリートの明確なキャリアの特典は、これだけかもしれない。
それでも協会が嫌なら、別のスポーツを新たに始めて、日本代表を目指してはいかがだろうか?今からサッカーの日本代表を目指したりなどもなれるかどうかは別として目指す権利自体は常に存在する。(かといって例えばバドミントンの日本代表を辞めて今からサッカーの日本代表を目指す、というのは結構厳しいかもしれない。)
(さらに協会もカツカツどころか回っていないレベルのところも多くある事実ももちろんある。)
「選手」という属性は守られても、各選手は取り換え可能
選手会などで選手の立場を守ろうという体制はよくある。しかしながらこれも「選手」という属性における地位が守られるだけで、選手個人個人は取り換え可能である。
一般社会で言えば「部長」の役割は守られる一方で、部長の役職に就く田中さんや鈴木さん個人の権利が守られる状況ではない。競争が存在する限り、この仕組みは無くならない。すぐに取って代わられる。特にスポーツのように毎大会ごとに優勝者が変わったり日本代表が変わるものに関しては、スポット派遣レベルに人が入れ替わる。極論日本代表の人数が競技人口よりも少なくならない限り(こんなのまず起きえないリスクだろう)、この構造は変わらない。
スポーツ大会の構造は古代ローマのコロッセオの時代から変わっていないが、奴隷は貴族に異議申し立てなどは出来なかったはずである。そう考えると異議を申し立て出来ているだけでかなり地位が上がっているという見方もできる。
仕組みが変わるのは、1人の選手のキャリアよりもずっと長い
仕組み的に問題があるという見方はよく分かる。しかし、人生は短いし、アスリートのキャリアなんてもっと短い。その短い現役アスリートの間に取り組むのは暖簾に腕押しレベルでほぼ効果が無い。こういう現状の構造を踏まえたうえで、アスリートは納得のいくキャリアを築いていただきたいものである。
運営から見た場合の安全な運用の視点
リスク管理と契約という面では、日本代表選手や日本選手権への参加権は、協会会員でなくてはならないのは、どの協会でも当てはまるだろう。その協会会員の規約に、個人スポンサーや代表派遣の規定を追加しておけばよい。99%の会員には関係のない話ではあるが、規約に追加するだけなので非常に簡単な運用になる。
納得感のあるキャリアを
ということで、仕組みを考えると、スポーツで一旗揚げるよりも、普通に受験勉強を頑張ったりする方が、確率と期待値は高そうである。それでもスポーツを目指すのであれば、上記の構造に納得して取り組むのが肝要である。
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