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展覧会の思い出

二十一歳とか、そんな頃、先生からのご紹介で、はじめて展覧会というものに出展した。六本木に当時あった、ストライプハウス美術館。大規模の美術展で、たぶん40名くらいの作家の作品が展示されていたと思う。

紹介していただいた先生は、日本ではシュールレアリズムの巨匠と呼ばれる方で、恩師とはいえ、当時の私からすれば、ただのおじいちゃんだった。

その先生をはじめとして、巨匠と呼ばれる方から、私のような者まで、いろんな方が展示していた。私は最年少出展者で、当時は、そんなんで遠慮もしまくっていた記憶がある。


しかし、若さの為か反骨精神のような感覚もあったので、当時の私は、現代アート全体に対するアンチテーゼを全面に出して「ANTI ART」という名称で作品を出展した。裏の裏は表だ!!みたいな、今でも、そういったひねくれた面が、私には残っている。

きっと誰よりも、一番、ふざけたモン創ってやる!って、誰よりも、クソ真面目に考えてました。(ふざけたモンと言っても、お笑い的な意味ではないですからね)

ある意味で、それは若さなのかもしれないが、学生時代でも他にはそこまでやるやつは、自分以外いなかったと思う。学生時代でも入学当初の自由課題で、ある意味でやりすぎて一部の教員に怒られたりしていたが、今となっては、あの教員に能力がなかっただけだというのもわかっている。

芸術の世界にもそういう方もよくいるもので、型に則った範囲で美も物事も判断する種類の方々だ。どの社会にももしかするとそういう思考が秩序を生み出しているのかもしれないが、大袈裟に言えば、芸術界や開発などの業界ではそんな方々が日本や世界すべての進化を止めているように思えていた。

だけど、他の教員からの評価はよかったですけどね。展示などに誘っていただいたのも、その時に評価をいただけた先生だった。


展示期間は真夏で、大体、六本木自体も当時の僕には、訳の分からぬ都会の街だった。坂がやたら多いし、夏でやたら暑いし、外国人多いし、なによりも僕がまだ幼いし。そう、あの頃はまだ、いまの「私」は「僕」という一人称だった。将来への計画などもないまま、ただ目の前の制作に没頭する。夏だからただ半袖を着て、次に冬の来ることなんて考えもしていないような僕だった。

エアコンもない暑い実家に籠ってずっと制作をして、ギリギリまでかかり、急いで車で運び搬入した。作品タイトルは「夕涼み」。電動式のからくり人形で、全体は一立方メートルくらいのオブジェ。

薄紅色に染めた浴衣を来た女性の人形が、畳の上に寝そべり、バックには夕焼け空。女性の横には、大きな缶詰があって、缶詰からは、大きな桃に似たハート形の半円の形のものが出て、その中央からは、煙の形を模した曲線と渦巻きの形状が、上に延びている。言葉では説明がつかないが、今となれば、ただただ笑える。

つまり、缶詰からお尻が出て、おならが出てるオブジェで、夕暮れと女性までは、風景として綺麗なんですけどね。

前方にスイッチがあり、それを押すと動き出すんです。女性の人形は口をパクパクさせて、横の缶詰の前方が開き、その中から小さなおなら缶がたくさん行進して出てくる。小さなおなら缶は、色鮮やかな和紙を巻き付けてあり、見た目にも可愛い。

そして、人形の浴衣の裾がスーっとめくれて、人形のおしりからおならが吹き出す。霧状で直線に強い勢いでシューッと、霧は芳香剤でもあるので、香り付き。(なにがしたかったのでしょうね私は…)

仮にも美術界へのアンチテーゼのつもりが、蓋を開けてみたら、なんと大好評で、名だたる大先生達から質問と激励の嵐でした。こっちから現代美術界をバカにするつもりが、むしろこっちが大歓迎されてしまうという結末でしたが、それはそれで嬉しいものでしたね。


正直な話、面白い!でも、スゴイ!でも、美しいでも深みや意義なんかでも、本音はなんでもいいのですが、その時の様々な展示作品の全てを客観視して観た中で、なんかどれも教科書に載っているようなもののように思えてしまい、私が良いと感じる作品は4作くらいだと思っていました。無論、その中に自分も入れています。(ほんと正直に)

展示期間中は、何度か、からくりの部分が故障したりとトラブルはありましたが、故障中は、大きく「故障中」と張り紙をしておきました。また、それはそれで、これも面白い!だとかなんとかと、大先生方は褒めてくるんです。

そんなこんなで、どうにか最終日まで乗り切り、最年少として好評の内に終わることが出来たのは、恵まれていましたね。


さて、ここからがやっと本題なのですが。私の作品は記述のとおり、動くし、カラクリの音もあるし、その上、香りも出るものです。

すでに初日の時点で、美術館中が僕の作品の香りで満たされてしまったんです。計算外だったのですが、たぶん勝負的に捉えるならば完全勝利だったのだと思います。お客様の誰もが、香りを辿って僕の作品に訪れて行くんです。広い館内がある意味で香りという大きな見えない作品の空間になっていたのですから、今思えば、よく美術館側が許してくれたなぁと、感謝ですね。

私は、さすがに毎日の在廊は、出来なかったですが、期間中のうちの3日か、4日くらいは、自身の作品の横に備えていることができたんです。

実はこの期間、あまり誰にも言ってませんが、かなり多忙だったんですよね。遠方まで行ったり来たりとてもハードで、まだまだ若い小僧でしたので、精神的には、少しだけ辛い時期でしたね。

来ていただけることがわかっている友人等と会う為、また東京に戻り、坂道を上ったり下ったりして、六本木に汗をかいてやってくるわけです。

そんな、ある日のこと。作品の横にたまたま居たら、ある男女の二人組が展示品を順番に観て、ひとつひとつの全ての作品の前で留まり、二人は会話をしているのが、目に留まりました。

はじめは気がつかなかったのですが、こちらに近づくにつれてよく見ると、男性は盲目で片手に杖を持ち。女性が腕を組みリードして、ひとつひとつの作品を言葉で説明して伝えているのでした。


僕は、ずっとその様子を見ていました。そして、程なくして順番に、徐々に私の作品まで辿り着いたのです。

「こんにちは」

「こんにちは」

「こんにちは」

3人は、挨拶を交わしました。


「あなたの作品なのですか?」

「はい。僕の作品です。」

「よかったわねぇ~!作者さんが、いらしたわよ~!!!」

「どのような作品なんですか?」と、男性は、私の作品の真正面に立ち、微妙に方向のずれた方を向いて、私に聞いてきた。

私は、彼のサングラスを見つめて「はい」と続けて、自分の作品説明をした。彼と彼女は、とても興味深そうに、時に笑いながら、私の説明を聞いてくれていた。


そしてふと思いつき「どうぞ!」と、私は彼に触って見てください。と言った。彼は、驚きの表情を見せて「いいの?」と聞き返す。「いいんですよ!」「やってみてください!!」と、私は答えた。

そして、彼の手をとり、私は解説を加えた。

ひとつひとつに大袈裟なくらいのオーバーリアクションで彼は驚き、そして感嘆の声をあげる。時に大声で笑っては「あぁ~」「おぉ~!」と、母音で何度も頷く。

そして、シューッと霧が出たら、霧にもその手は触れる。そして、自分の手の匂いを嗅ぎ「あぁ~君だったのかぁ!!入口に入ったときから、何の匂いかと不思議に思ってたんだ」と、とっても楽しそうに話してくれた。

彼が、どうなってるのか?と聞いてきたので、私は台座の蓋を開けて、中身の装置にも触ってもらいながらもう一度実演をして、歯車やモーターなどの動きと、連結された動力と作用について、装置の説明もした。彼は、本当に感動して楽しんでくれた。


その一部始終を見ていた彼女も、満面の笑みでとても嬉しそうだった。そして、こんなに心から楽しんでくれる方を見て、私も嬉しかった。

その後、彼は私に言った。「こんなに楽しい展覧会に来たのは、始めてだよ!」

私が訊ねてみると、二人は美術や芸術が好きで、展覧会にも博物館や美術館にもよく行くのだそうだ。しかし、いつも彼女が説明をして、彼は想像して作品を楽しんでいるそうなのだった。

「普通、触れないからね」と、彼は言った。「君の作品は音もあるし、匂いまでこんなに広がってるしね。形も触れることが出来て、本当にとっても楽しかったよ」

「ありがとう!」「ありがとう!」「ありがとう!」「ありがとう!」「ありがとう!」を何回も言ってくれた。

「今日は来て、本当によかった。ありがとう。どうか是非こういう作品も続けてね。」と、最後に言われた。


作品の動機は真っ当とは言えないが、私は、このとき本気で「この作品を作ってよかった。そして自分が、こういう発想の人間でよかった」と思っていた。

ありがとう。


——— 確かに美術展などで、こんなに楽しんでる笑顔は、他に見たことがない。


あれから、10年や20年の歳月が過ぎて… 随分と、遠回りばかり続けてはいるが、今でもあの時に感じた思いと感動と、私の中に芽生えた目標は、なにも変わってはいない。

いまは、流れ着いて全く別のこともしている私がいるのも事実だが、しかし、その根幹にある感覚や、やろうとしていることは、なにも変わっていないと常々実感しています。

20091009 5:02(20180809編集)





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