盲者

困っている人が目の前にいたら、あなたはどうしますか?

困っている人が目の前にいたら、あなたはどうしますか?

10年前の朝のことだ。 当時小学生の娘を学校に車で送り届けた後の出来事だった。 学校近くの道路で娘を車から下ろし、発進しようとすると、反対車道が渋滞していることに気づいた。 こんなとこで渋滞?おかしいな… と振り返って見ると、その渋滞の先にはおばあさんが歩いていた。 車道の真ん中をおばあさんが白杖をついて歩いているのだ。 さて、どうしよう。 私は悩んだ。 一緒に車に乗っていた息子は 「ママあのおばあさんどうしたの?困ったね。」 と私に問いかけた。 その息子の言葉に

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長谷川貞夫さん「視覚障害者用ワープロ1号機開発の功労者」

長谷川貞夫さん「視覚障害者用ワープロ1号機開発の功労者」

佐藤亮さんが、視覚障害者用ワープロ1号機開発の功労者。 ➀富士通が昭和56年の3月頃FM8(エフエムエイト)発売の発表をした。 私はそれを入手してワープロを作りたかったがどんなに急いでも翌昭和57年にならないと入手出来ないとの事だった。 ➁幸い日本点字図書館で秋葉原のコスモスと言う電気器具販売会社の社長に会い、ようやく昭和56年7月頃までにパソコンを入手出来る見通しが出来た。 ➂そこでこのパソコンを使ってのワープロ開発の技術者が必要となった。運良く私にその技術者を紹介し

長谷川貞夫さん「最初の視覚障害者用ワープロからの初めての反応」

長谷川貞夫さん「最初の視覚障害者用ワープロからの初めての反応」

●最初の視覚障害者用ワープロからの初めての反応、高橋しのぶさん。 この直前まで点キーの便利さについて書いてきましたが、ここで初めての点字ワープロに話を戻します。 1981年12月19日にワープロ第1号機を作りました。 年が明けて1月の事でした。和光小学校四年生で全盲の高橋しのぶさんを連れてお母さんが筑波大学附属盲学校を訪ねてきました。用件は、最初のワープロをしのぶさんに使わせて欲しい、と言う事でした。なぜワープロ第1号機が出来た事を知ったのか?と不思議でした。それはお父さんが

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長谷川貞夫さん「差別語を撤廃して貰う」

長谷川貞夫さん「差別語を撤廃して貰う」

このnoteは長谷川貞夫さんがFacebookに投稿された文章ををまとめたものです。 初めてのワープロで国語審議会に『盲:め〇〇』の差別語を撤廃して貰う。 国立国会図書館のコンピュータで、『この文章は〜』を書いて二年後くらいの事でした。国語審議会が新たに当用漢字表に変わり、新たに常用漢字表を制定する案が出来たとの事でした。 私は漢字に感心があるので、この常用漢字表案を見てみました。 すると、当用漢字表と同じに『盲』の訓に『め〇〇』と言う差別語が残っていました。 私は北区

長谷川貞夫さん「新六点漢字日本語体系」

長谷川貞夫さん「新六点漢字日本語体系」

このnoteは長谷川貞夫さんがFacebookに投稿された文章ををまとめたものです。 視覚障害者などが漢字の形を全く意識しないで分かる『新六点漢字日本語体系』 私は45年間六点漢字を使い、また普及させてきました。しかし45年間も経ってから、初めて漢字の形(部首)を知らないでも漢字を区別出来る方法があると分かりました。 こんなに長時間かかったのが恥ずかしい限りです。 ここまでは漢字に限らず私が知っている書きたい事を述べてきましたが、今日のこれは最も新しいこれからのバリアフ

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長谷川貞夫さん「視読協運動の大功績」

長谷川貞夫さん「視読協運動の大功績」

このnoteは長谷川貞夫さんがFacebookに投稿された文章ををまとめたものです。 知られていない、視読協運動の大功績視読協とは、昭和45年に視覚障害者の情報問題を検討した団体である。そしてこれは、録音や点訳の団体が結集したものである。 この団体は大きな業績をあげながら、平成10年に解散し、今は人々の記憶から消えつつあると思う。 視読協の理念の最も大きな特徴は、視覚障害者の情報は点字図書館などのボランティアに頼るのではなく、国費や自治体などによる公費による情報保障を求めて

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長谷川貞夫さん「PC−Talkerを使うようになった訳」

長谷川貞夫さん「PC−Talkerを使うようになった訳」

このnoteは長谷川貞夫さんがFacebookに投稿された文章ををまとめたものです。 パソコンで視覚障害者の90%が高知システム開発のPC−Talkerを使うようになった訳 最初の視覚障害者用ワープロの前で動けなくなってしまった有光勲さん。 1.全国の盲学校は毎年夏休み中にどこかの学校を会場として、全国盲学校研究大会を開いていた。 昭和57年8月に、会場校の岐阜盲学校で、私は初めての視覚障害者用ワープロの発表をした。 私は研究会が終わってから、希望者に更にワープロの説明

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長谷川貞夫さん「岡崎式紙テープデータタイプライター装置」

長谷川貞夫さん「岡崎式紙テープデータタイプライター装置」

このnoteは長谷川貞夫さんがFacebookに投稿された文章ををまとめたものです。 全く全く偶然に入手出来た、岡崎式紙テープデータタイプライター装置。 1.岡山市に岡山県立盲学校がある。盲学校であるから、亜鉛版による足踏み式点字印刷機があった。この亜鉛版製版機が故障すると、近くにあった日本タイプライター株式会社岡山工場の人に修理を依頼した。 この亜鉛版製版機の修理を担当したのは、発明家の岡崎止郎氏であった。 岡崎氏は、この亜鉛版製版機を紙テープで動かす事を考えた。そうす

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長谷川貞夫さん「発明のヒント」

長谷川貞夫さん「発明のヒント」

このnoteは長谷川貞夫さんがFacebookに投稿された文章ををまとめたものです。 発明のヒント.-自動点訳と点字キーによる日本語ワープロ(自動代筆) ライト兄弟による、1903年の飛行もエンジンによるプロペラの推進力と翼で何秒間か空中に機体が浮いた事に始まる。 1.私は昭和41年(1966年)に埼玉県立盲学校(現塙保己一学園)から、東京教育大学(筑波大学)附属盲学校に転勤した。 転勤して最初に、高等部2年を受け持った。このクラスには、歌手で有名な長谷川きよし(清志)

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長谷川貞夫さん「田中章夫先生」

長谷川貞夫さん「田中章夫先生」

このnoteは長谷川貞夫さんがFacebookに投稿された文章ををまとめたものです。 初めて日本語をコンピュータで全文を仮名文字にした田中章夫先生について。 1.昭和47年頃、田中先生は東京都北区にある、国立国語研究所のコンピュータ部門の責任者でした。 私が田中先生にお会いして、その日本語を全文カナ文字にする紙テープを頂いてそれで実際に点字プリントをしました。 プログラマーは当時、東京大学点訳クラブの点有会に所属していた辻畑好秀さんでした。 2.この田中先生による、カナ

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