長谷川貞夫さん「視覚障害者用ワープロ1号機開発の功労者」
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長谷川貞夫さん「視覚障害者用ワープロ1号機開発の功労者」

佐藤亮さんが、視覚障害者用ワープロ1号機開発の功労者。

➀富士通が昭和56年の3月頃FM8(エフエムエイト)発売の発表をした。
私はそれを入手してワープロを作りたかったがどんなに急いでも翌昭和57年にならないと入手出来ないとの事だった。

➁幸い日本点字図書館で秋葉原のコスモスと言う電気器具販売会社の社長に会い、ようやく昭和56年7月頃までにパソコンを入手出来る見通しが出来た。

➂そこでこのパソコンを使ってのワープロ開発の技術者が必要となった。運良く私にその技術者を紹介してくれる人があり、佐藤亮さんと知り合いになった。
佐藤亮さんは、パナファコムと言うワークステーションなどを開発する会社に勤めていた。そして、当時確かC120を開発しているように覚えている。

➃私は7月頃FM8を預けてワープロ開発をお願いした。佐藤さんは会社の寮に帰ってから毎日ソフトウェアと六点キーボードの試作をしていた。
昭和56年の12月19日の事である。
佐藤さんは手作りの六点キーボードとFM8を持参して文京区護国寺駅の近くにある筑波大学附属盲学校を訪ねてきてくれた。
ワープロの初めての運転は、3階の放送室のスタジオで行われた。

●初めての視覚障害者用ワープロ試運転の実際

➀ワープロはFM8本体と、テレビを小さくしたようなディスプレイ画面、それから英字などをプリントするワイヤードットプリンター、それに佐藤さん手作りの点字キーボードだった。
点字キーボードは幅約40センチ、高さ5センチで点字キーが6個とスペースキーが通常の点字タイプライターの様に付いていた。
私はそのキーボードに更に親指で操作できる6個のキーを付け足した。

➁FM8は幅約40センチ、縦30センチ、高さ8センチくらいであった。上部にファンクションキー約10個があり、その手前に英字のフルキーが並んでいた。
特徴の1つは右寄りに12センチ×7センチくらいのプラスティックの蓋が手前から向こう側に開く様になっていた。この空間にはバブルメモリーと言う3センチ×4センチ、厚さ1センチの物が左右2個差し込めるようになっていた。左側が0番、右側が1番であった。
バブルメモリーは一個32KBとの事であり、今のSDメモリーの最も最初の物であったと言える。価格は1個3万5千円くらいであった。また、FM8には漢字メモリーが無いので新たに第1水準漢字メモリーを挿入してディスプレイに漢字が表示出来るようにした。

➂実際の操作は次のようであった。
RUN 0:P エンター
RUNは実行であり、0はバブルメモリーの指定であり、Pはプログラムの名前であったかと思う。
この操作で15秒くらいでピーと言う音がした。そこで点字キーを操作すると漢字を含め、文字がディスプレイに描かれた。このようにして画面が6行くらいでいっぱいになると、自動的に文章がセーブされたようである。
これをプリンターで印刷する場合は、ファンクションキーの1を押すと英字のプリンターが動き出し最初の1行で日本語の文字の上半分が印刷され、残る下半分は次の印字で書かれた。
つまり、英字プリンターはワイヤーが8本のプリンターであるから2度の操作で日本語の16ビットの文字が書けた訳である。

とにかくこれが、初めての日本語ワープロの試運転の実際であった。
私は非常に非常に嬉しかった。そして佐藤さんに感謝した。
これが、その後における視覚障害者文字処理の原点となった。
そのそれぞれについては、今後順に紹介する。

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