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episode3:人付き合いが苦しい

大学生活は、スポーツに打ち込み
割と自分の時間を充実させることができていました。

ただ、どうしても飲み会とかは苦手で。
お酒が弱いのもあったのですが、
「何のために?」と思ってしまうことが多く、
きっと一緒に飲んでていても周りは楽しくなかったと思います。笑

でも、3年生のとき、気づいたんです。
「あ、人付き合いが苦手なんだ…」

特に、人の話を心を傾けて聴くというのが苦手で。
就職を目前にした面接練習で
「あなたの短所を教えてください」と言われ
「傾聴が苦手なことです」と言うと
「絶対にそれは言わないほうがいい」と断言されました。笑

人には聴いてもらいたいのに、人の話は聴けない。
もう致命的ですよね。

でもここにも根深い何かを感じます…。

そして就職。憧れの教職に。

大学を卒業して、憧れの教職に就きました。
運よく同窓生として勤務することができ、職場には恩師が。
泣くほど悔しいことも、意味がわからないことも
たくさん経験しましたが、
「絶対に職場では泣くな」という父の言葉を胸に
ただひたすら「先生らしく」ふるまってきました。

私は、先生という職業は聖職だと思っています。
そして、私は先生しかできないと思っています(いました)。
ただ、理不尽さを目の当たりにしたり
年功序列の古臭い伝統を押し付けられたり
(もちろん年配の方を敬うのは必要)
私の頭ではとうてい理解できないこともありました。

なんだかんだ続けてきた10年間。

疑うことを知らず、言われたことは丁寧にやる。
子どもを大切に、仲間を大切に。
どんなに身を削っても、
それは「全体の奉仕者」であるからこそ。
私は先生。利益よりもサービス。
全ては子どもたちのために。

10年間、私は私自身を誇りに思っていたし
「いい先生」と言われるために時間もお金も費やしてきました。
「子どもたちのために」が感じられない先生には
強くあたったりもしました。(ごめんなさい…)
そして、案の定、「いい先生」を演じ、
土日も休むことなくここまで走ってきました。
「よくやるね」と同僚には言われ
「死に急いでいる」とまで言われたこともありました。
でもそれは、私がやっていることが周りに伝わっている証拠で
一方で「やってる自分」を認めることができたのも正直なところです。

ただ、途中途中休憩を挟まないと稼働しないようになり、
朝起きれなかったり、吐き気がしたりすることもありました。
「行きたくないな…」
「やりたくないな…」
「しんどいな…」
それでも心の声に蓋をしつつ、
感情を殺して働くようになっていきました。
自分の弱みを見せたくない。
人付き合いが苦手だからこそ、強くそう思っていました。

このあと、この10年間、信じてやまなかったことが
崩れ始めるのですが、何がきっかけというよりは
時間が経つにつれ、じわじわ感じるようになった、という感じです。
そこで変わった価値観が現在地でもがきの要因にもなっています。

心に素直になること、それは自分を認めるということ。

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