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統合失調症-病棟記録

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私は、統合失調症です。その発症・入院・退院までの記憶と、精神科病棟の中で出会った人々のことを綴ったマガジンです。
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#精神科

【閉鎖病棟】⑦ただ、飯を食う!という特別な思い

【閉鎖病棟】⑦ただ、飯を食う!という特別な思い

1日3度の食事。
薬とラジオ体操と病棟散歩。

時々、風呂。

ここは、退屈で仕方がないな…。
小さな心の余裕が生まれた時。
閉鎖病棟の中。

毎日の健康チェック、食事、服薬。
ただ、それだけ。

ラジオ体操と風呂は、自由。
ただ、その時間に行くか、行かないか、それだけ。

外へ出たいなら行けばいい。
ただしその許可があるなら。

煙草は、時々吸えばいい。

トイレは、行きたくない。

まだ、保護

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【閉鎖病棟】④毎朝パンを食べる方法

【閉鎖病棟】④毎朝パンを食べる方法

朝食は、コメ派?パン派?

私は、パンが好き。
だけど、ここの朝食は毎日コメだ。

閉鎖病棟での生活も、ひと月位すれば慣れたものです。ここでの生活は、悪くもなく。
しかし、決して快適でもなく。

そういうものだ。

という意味での「慣れ」かもしれません。

治療は順調。

初期は、薬の副作用が酷く出る時もありました。
ピタリとくる薬に出会うまでは、ストレスの日々でした。
(このことは、また別の機会

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【閉鎖病棟】③断捨離みたいなもの

【閉鎖病棟】③断捨離みたいなもの

入院してること、
ちゃんと話してないけれど。

そんなの、誰も気にしてない?

ちょっと体調を崩して、入院してるんだ。お見舞いなんて、いらないから。
閉鎖鎖病棟の扉は常に施錠されています。
誰も自由に外へ出る事はできません。

例え、医師から外出許可が出ている場合でも。
外出時の施錠管理は全て看護師が行います。

だから、精神科病院に入院している患者に会いに行く場合は、「お見舞い」というよりも「面

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【閉鎖病棟】②寝床と風呂場と公衆電話…

【閉鎖病棟】②寝床と風呂場と公衆電話…

人生初の入院。

それが、精神科病院だなんて。
ちっとも想像していなかった。

4人部屋。
カーテンで仕切られた、私だけの空間。
私が入院することになった精神科病院は、少し前に建て替えを済ませたばかりのようでした。

他の病院と何ら変わりのない外観。
広々と、新しい匂いのするロビー。
一見すると、精神科病院だとは誰も気付きそうにない。

そんな、印象を受けました。

病室にある全てのベッドが窓に

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【閉鎖病棟】⓪保護室で過ごす日のこと

【閉鎖病棟】⓪保護室で過ごす日のこと

わかったのは、私は、生きているということ。

よかった。
今は、それだけでいい。

そう言えば、病院へ向かうタクシーの中。とても寒くて、酷く喉が渇いていたのは、こんな妄想があったから。
私は、さっき死んだのよ。
今から、お墓に入るわ。

だから、

綺麗にお化粧をして頂戴ね。
沢山お水をかけて頂戴ね。

「自分」について、
とても冷静に、不思議と心穏やかでした。

既に、どこまでが現実なのか、

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私が統合失調症で入院するまで。①日常がストレスに変化した時

私が統合失調症で入院するまで。①日常がストレスに変化した時

発症のきっかけ?

きっと、
本心を悟られぬよう、笑って過ごすのが辛かったんです。

それまで、私の生活の中心は仕事でした。職場へは電車で30分程。

とにかく毎日が忙しくて、
終電が終わった後に、タクシーで帰宅する日が多くありました。
出張も頻繁で、しばらく家に帰れない事もありました。

ロクに寝ず、また仕事。
ロクに食べず、また仕事。

そんな毎日がちょっと格好いい。
だって、仕事は楽しかった

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私の統合失調症の治療について。寛解へのステップは、思えばここが始まりでした。

私の統合失調症の治療について。寛解へのステップは、思えばここが始まりでした。

寛解は限りなく回復に近づくもの。

例えば、
私の場合はこんな感じ。

統合失調症には、「完治」という概念がない。だけど、それは絶望的という意味ではありません。
自分の病気について。
私が、きちんと理解できるようになるまでには、少し時間がかかりました。

精神科病院に入院することになった私は、しばらく保護室で過ごしていました。
ここは、とても不思議な空間で、その時の感覚は今でもよく記憶しています。

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