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私が統合失調症で入院するまで。①日常がストレスに変化した時

発症のきっかけ?

きっと、
本心を悟られぬよう、笑って過ごすのが辛かったんです。

それまで、私の生活の中心は仕事でした。

職場へは電車で30分程。

とにかく毎日が忙しくて、
終電が終わった後に、タクシーで帰宅する日が多くありました。
出張も頻繁で、しばらく家に帰れない事もありました。

ロクに寝ず、また仕事。
ロクに食べず、また仕事。


そんな毎日がちょっと格好いい。
だって、仕事は楽しかったし、年下の彼は優しかった。

仕事もプライベートも充実していると思っていました。

当時、私は2つ下の男性とお付き合いをしていました。
彼は、少し変わった性格で、音楽や映画、漫画、服の好みも私とは全く違いました。
同じなのは、食の好みだけ。
好きなものがまるで違う。
お互い干渉なんてしない。

彼は彼。
私は私。

ちょっと寂しい?

でも、それが何だか妙にとっても楽でした。
そのうち私の部屋が、彼の住処となりました。

いつの間にか5年。
彼の転職もうまくいった。

そろそろ落ち着いてみたら?

ただ何となく、私は仕事を辞めました。

それまで凄く疲れていたと思うので。
それまで凄く頑張っていたと思うので。

少し、休ませてもらおう。

パートで週に3日だけ。自分の小遣いには丁度いい。

新しい職場は、とにかく楽で面倒なことがないところ。
家からも近くて、ランチの時間をきちんと楽しめて、定時にタイムカードを押せる。

そんなところを選びました。

しかし、その半年後、
私は統合失調症を発症することになります。

きっと、私が思っていた以上に、
環境が変わり過ぎたのでしょう。
立場が変わり過ぎたのでしょう。
遠慮や我慢をし過ぎたのでしょう。
自分以外の人のためにと考え過ぎたのでしょう。

それまで、
前へ、前へ、と進んできた仕事。
上へ、上へ、と目指してきた目標。

少し疲れたから。
ちょっとだけ離れてみようと思ったんです。
だから、週に3日のパートは、私にとって都合がよかったんです。

ただ何となく。
少し楽に仕事ができて、少しお給料をもらえれば、それでいい。
もらったお給料で、好きな洋服を買って、美味しいものを食べて。

だから職場では、
トラブルを起こさぬよう、うまくやろう。
特に人間関係は、慎重になろう。

この職場は楽でいい。

そう思っていたのに。

もし、あの時にもっと上手に伝えることが出来ていたら…。

職場の方々は本当に良い方ばかりで、パートの私にも大変よくして下さいました。
「社員になって、もっと一緒に仕事をしてみない?」そう声をかけてもらえた時は、嬉しかった。

だから、
「ありがとうございます」と笑顔で返答をした。

私は、ここで嘘をつきました。

週に3日のパートがいいのに…。
期待されても困るのに…。
ここにいるのは、ただ都合がいいだけなの…。

それを、悟られぬよう。
このまま、何とかやり過ごそう。
曖昧な態度で、彼らの期待に応えることもなく。
いつも通りに笑っていよう。


仕事は続けよう。

小遣い稼ぎには、丁度いい。
そのうち、こんな話をしたことなど、忘れてくれるだろうから。

それからどれくらい経った頃でしょう。
それまで過ごせていた日常を、辛く、苦しく感じるようになってきたのは。

ある日突然。頭がゾワゾワと痒くなって、考える方法が分からなくなりました。

私の頭の中が、おかしい。
考えがまとまらない。

その感覚を、今はもう忘れてしまいましたが、
とても嫌なもので、明らかに異常で、このまま放っておいたらいけないと、感じたのでしょう。

このような場合に、どこへ行けばよいのか迷いました。
このような悩みを、誰へ打ち明ければよいのか迷いました。


母を心配させぬよう、電話をするのはやめておこう。
かかりつけの内科医は、当てにならないからやめておこう。

そして、私は自宅から少し離れた心療内科を受診しました。
きっとここなら、少しくらい変な話をしても大丈夫。

「後日、カウンセリングを受けるように」

そんなに簡単なこと?

違う。
そうじゃない。


自分の頭の中に起きていることは、こんなことでは解決できない。
もっと別の、きっと何か大変なことが起きている。

期待外れ。

処方された薬。
翌週のウンセリング予約。
こんなものに、果たして意味があるのかと。
そう思いながら帰宅をしました。

翌日には、いつも通り出勤。
職場では、また笑顔で過ごしました。

案の定。

頭のゾワゾワはより強く、はっきりと感じられるようになりました。

間もなくして、
私は、自分の顔を鏡で見ることができなくなりました。
職場でも、意味不明な発言や行動をとるようになりました。

もうその頃に、何を叫んで、何を訴えていたのか、覚えていません。

ただ、行動は明らかに異常だったこと。
それは、不思議と今も覚えています。

「少し休んだ方がいいね?今日はもう帰っていいよ。」

職場で言われた最後の言葉も、です。

後に、職場への退職手続きなどは、全て母が行ってくれたそうです。
そして、私が職場の方々と再びお会いすることは、なくなりました。


処方されていた1週間分の薬を飲み切ることも。
カウンセリングを受けることも。
できないままでした。

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