戸田真琴
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僕の文章は常に僕が未熟であるという一点を避けて綴られている
日記(2022.4.11)
欲しいものが一つもないのにつまらなそうな顔をしている自分に気がついたとき、本当はなにか欲しいものがあるんじゃないか?と訪ねてみる。
応答はない。なにもいらないよ。と言い切る。だけどその目って君の、すっごく生きてるって感じのときとぜんぜん違うじゃないか。慣れているはずなのに、鏡に写った自分と会話するのは未だ難しい。こいついみわかんない。目をそらすのも終えるのも眼球の位
涙を凍らせてひかるつららで
※詩 三篇
そうだね
その子は 私より脆いから
あなたが守ってあげなきゃね
そうだね
その子は 私より気楽だから
あなたは楽しいんだろうね
そうだね
そこは ここより寒くも
暑くも眩しくも暗くもないから
眠ったり明日を迎えたりするよね
泣いたり出来ていいな
怒ったりジェラシーも
ふざけたりしていいな
鮮やかさだけ添え合って
誰も傷つけないようになんて
がんばれていいな
あの声が聞こえなくて
2022年の8月31日
日付はただの数字。
季節は途方もない昔からずっと巡り続けているもの。
今が世界の終わりじゃないし、日付が変わる瞬間に決定的な何かが変わることは無い。やり損ねた夏の課題はそのまま君の人生になだらかに続くもので、少しずつ駒を進めればいいし、花火もプールも夏祭りも行く友達も恋人もいなかったとか全部どうでも良くなった大人の頃に逆に余裕であたらしく青春をはじめるのだ。
人生は長い。その長さをわすれて今この手
傷はあとから滲み出す/なんでも失うときが美しいね
久しぶりにAV業界の話をする。わたしは来年の一月に引退を決めていて、それを発表した時点ではちょうどそこから数えて12本、月に一本ずつ作品をリリースし終わったら引退する、という流れにすることを決めていた。不信感の募っていた場所から離れることを決め、今は別のメーカーにて、毎回作品内容を決めるところから意見を尊重してもらいながら、面白がりながら、共につくらせてもらっている。担当してくれているプロデューサ
もっとみるまこりん定期集会のお知らせ
こんにちは!映画の上映も一度おちついて、使い尽くした胆力を回復するためにたくさん眠ったりしています。戸田です。
たくさん眠ったらみなさんとお話したくなったので、少し急ですが、
今夜4/29(金) 22:00-23:00に、
久々のnote購読者様限定のツイキャスをやろうとおもいます。
ご都合よろしければぜひご参加ください~!
いつも、いろいろ、突然ですみません!
ばたばたな4月の打ち上げ気分で
賛歌/上映最終日の夜に
2019年に監督した、『永遠が通り過ぎていく』という映画が、昨日まで吉祥寺の映画館でかかっていた。3週間。もともと仕事が入っていた日以外は毎日劇場に行って、ゲストを招いて、話した。そのあと物販を買った人にサインをして、ひとりひとりと更に話した。人と出会って対話をすることは、自分の銀河とは別の銀河を覗き込む行為だから、ずっと脳がチカチカした。みんなぜんぜん違うんだ。しかも、それがそれぞれすごくよくて
もっとみる映画『永遠が通り過ぎていく』に寄せて
あらゆる再生への道のりは構造が似ている。
小さな破壊を繰り返し、プロセスなら幾度となく知っていた。たとえこれが命の質を変えてしまうような悲しみでも、目だけは見えている。空気を読まずにラメ入りの、この糸を正しく辿りさえすれば、たった一瞬、叶うことがある。
それは億千光年の片想いが一度だけ、届いたような朝だった。
君の目は黒く、君以外のすべては最悪で眩しい。あと何度傷付いたら神様の気持ちがわかるの
私のエピソード・ゼロが終わった──映画『永遠が通り過ぎていく』監督・戸田真琴と振り返る3年間
2022年4月1日より、映画『永遠が通り過ぎていく』が、東京・アップリンク吉祥寺のほか全国の劇場でロードショーされます。上映を前に振り返る、制作スタートからの約3年間。幾度も編集が施されてきたのは、作品だけではありませんでした。監督を務めた戸田真琴も、一時は自信をうしない、また再生しつつある心で、次なる光を手にしつつあります。
「これまでが、私のエピソード・ゼロでした」──“戸田真琴”の変化を今