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私は100年生きるのだから


今、私のインタビューが少しバズっている。
(と、書いている間にあまり跳ねないまま忘れられているかもしれないけれど)

宗教3世とか、毒親とか、そんな感じの生い立ちを語る内容だけれど、正直そんなことはどうでもいい。
近しい境遇の人がいたらその人に届くといいなと思うし、想像すらしたことない人が読んで他者への想像の一助になればいいなと思うけれど、そんなことは実際、今の私の人生の本題ではない。

無邪気な人が、「壮絶な経験をしたことがあなたの創造性を育んだのだろうか?」と聞いてくる。

逆だよ。私が持っていた創造性や自由さ、息を呑む様な素晴らしい世界の見え方、それを何にもとらわれず自由に咀嚼し、好きなときに好きなように編んでみるあの軽やかな指の動きを、あなたの言う「壮絶な経験」が奪った。
(そもそも、他人の経験を『壮絶』と言って大袈裟な悲劇のような切り離す手法も好かない。デフォルメが雑すぎるし、すべての悲劇はあなたが直面したことのある「まだ壮絶と呼ぶほどではない」ありふれた違和感の地続きにある。さらに、あなたが出会ったことがないだけで同じような事例がこの世には山程ある。)

大人になって思うのは、「選択肢がない」のは、惨めなことだということ。
そして、大人がこどもから選択肢を奪うことは、あまりにも容易だということ、そしてこどもがそれを取り返すことはほどんど不可能だということ。
こどもは、自分が選択肢を奪われているということ自体に気づくことさえできない。見ている世界は自分の足で行ける範囲に限られ、雛が親鳥を慕うように、自分に唯一餌をくれるその親鳥が自分の尊厳をなじっていたとしても、それに気がつくことは難しい。あれ?なんかおかしいな、と思った頃にはすでに、その歪んだ環境に適応するために、小鳥の思考回路や自己犠牲のありかたは、大きな影響を受けている。

大抵の人は、普通と違って見える人に対して「理由があるのだろう」と考えるようで、私が”AV女優のくせに”長文を書いて載せるたびに、アンチめいた誰かが「ゴーストライターがいる」と言い、味方のつもりの誰かも「書くことが大好きで、それだけたくさん本を読んできたのだろう」と言った。
「厳格な両親の元育った」なんてAVデビュー時に大人が決めた設定とは似ても似つかない、父の不良漫画と母のインチキ医療本と新興宗教の分厚い本ばかりの家で育った私は、家で賢治やテグジュペリを読もうとするとそんなわけのわからないものを読むのかと笑われていたので、読書をコンスタントにするのは難しかったし、金曜ロードショーも何故か毛嫌いされていたので実家のテレビで映画を見たことはほとんどなかった。
だから、一人暮らしのために引っ越してきてダンボールも開けないままでTSUTAYAに行って借りたバグダット・カフェや2001年宇宙の旅を見たときに、この世界がもっともっと美しくてやばいはずなんだって、思っていたのは私だけじゃないんだって思って、嬉しかった。父や母がわたしにくりかえし「どうせそんなことできない」「どうせお前はまともに生きられない」「私の娘のくせに私がわからないようなことを言うな」と言っていたのは、やっぱり変だったんだ、と思った。
家に帰るまでのほんの少しの夕景に果てしない美が垣間見えること、それを汲み取るわたしの網膜の有り様も、両親が語る「この世」「人生」のつまらなさとまったく釣り合っていないから、変だと思ったんだった。

わたしの感受性は、空気を読んで自分の意見を殺して振る舞わないといけない環境によって、潰されていたのだと思った。その後遺症は激しく残り、人付き合いや、ものづくりの際の意見交換のたびに、私を苦しめた。「私は本当はこうしたい」が言えずに、帰ってからできる範囲でなんとかする。撮影時に言えなかったことを、編集という一人でできる作業のときに血眼で取り戻そうとする。視界の中に他人がいると、その人の機嫌を損ねていないかと不安になり、自分の本来考えるべきことに脳のリソースを割けなくなる。ふつうの人は、少し意見が異なるくらいでその日一日中無視してきたりはしないのにね。

わたしはこれまで書いた作品で、そんな両親(とくに、家は母親が専業主婦で、こどもといる時間が長かったため母の影響が強い)のことを頭に過ぎらせながら書いたシーンも多くある。
映画「永遠が通り過ぎていく」にはカルト宗教の影響で娘の行動を強く制限しようとする母親が出てくるし、短編小説にも似たような母親や、こどもに「俺をばかにしてるのか」と怒鳴る父親が登場する。実際にあった出来事をモチーフにしている。
映画の挿入歌には「AV女優」としての経験と心情を事細かに書いた歌詞が登場するし、一見、私自身が自分の「特殊」と言われるだろう経験を「糧」に、「テーマ」として据え置いて創作をしているように見えると思う。そう見てもらってぜんぜん構わないのだけれど、それは、そうせざるを得ないからそうしたに過ぎないことであって、描きたくて自ら選び取ったテーマではない。
書かないと前に進めないから、書く。この地に立って、フラットに「自分の描きたいこと」をいちから探せる状態を「ゼロ」とするのなら、私がその頃いたのはマイナス500くらいの場所で、そこからまず自分をマイナスにおいている500のことを描いてからでないと、フラットに自分のテーマを探すことなど到底できない、そういう状況だったというだけだった。
だから、これまでつくったすべてのものを、つくれてよかったと思う。つくればつくるほど、自分がましになっていく感じがした。自分の輪郭がくっきりとした。

AVをやめようかな、とはっきりと思ったのは、作った映画が段々と人に見られるようになってきた頃で、それから約一年後、わたしは引退作品を撮り終えた。AV女優というと未だにセンセーショナルな職業として取り沙汰されるし、たしかに私がこの職業を選んだのは自分自身を守ることに意義を感じられない状態だったこと、ある種の自傷行為という面もあったことは事実なのだけれど、それでも私がそれまでにしたどのバイトよりもましで、長続きした。
普通のカフェバーという触れ込みで募集していたのにもかかわらず出勤してみたらドレスを着せられて男性客の隣に座らされることもなかったし、大将の機嫌が悪い日に仲居の誰か一人が一日中説教をされているなんてこともないし、同僚のデートの誘いを断ると気まずくなるとか、私と付き合えるかどうかが原因で同僚同士が険悪になったりもしないし、客にストーカーまがいのことをされたり深夜にタクシーに乗ったら運転手にナンパされOKと言うまでドアを開けてもらえなくなるなどの危険も減った。マネージャーが送り迎えをしてくれたし、どうしても嫌なことを言ってくるお客さんは出入り禁止にできた。未払いもなく、お金もちゃんともらえた。

最後の撮影が終わって、少し名残惜しい気持ちの中、シャワーを浴びながら、「わたしの人生はこれから始まるんだ」と思った。29歳がもうすぐ終わろうとしていた。
映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキーは現在94歳で、今も映画を撮り続けている。私が100歳まで生きるとしたら、あと70年ある。人生はとても長い。

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私小説というジャンルの本を、昨日出版した。
私小説とは、私-の、小説。「わたしは、」で語り始める小説。イッヒ-ロマン。

ノンフィクションとして事実をその通りに羅列するよりも、私の心がどう感じたか、世界がどう見えたかのほうを書きたくて、このジャンルをやろうという編集の言葉に賛同した。
人の人生というのは、何かを成すから意味があるのではない。「生きているだけで意味がある」といい切れる理屈は、こうだ。
見てきたすべてのことと、見てみたいすべてのことと、今この瞬間の風と、香りと、空気の冷たさやぬるさ、気圧や湿度、ふと思い出す何か、思い出しもしなかった何か、あらゆるものが、ちょうどこの感じで交差する場所がわたしの中にしか無いから。
人は交差点のようなものだと思う。たまたま内臓が有るだけで。もしも透き通っていたら、その中に今入っている物自体が、偶然の積み重ねであっても、そこにしか無いものだとわかると思う。

「わたしというのは、この世界がどのように見えているかということ、そのもののことだとわかったの。」

私小説『そっちにいかないで』の中の一節。
「書いてもいいんだ」と、望むことさえもしてはいけないと思っていたたくさんの景色を、もういいや、と思って書いた。ちょっと、書きすぎだろうと思うくらい書いた。誰かを敵に回すかもしれないけれど書いた。悲しくて、美しくすら無いことも、美しくすらなかったということを書いた。悲しくて、きれいだったことは、きれいだったんだよな、と語りかけるように書いた。どうなっても知らないし、きっとべつに、どうにもならない。
私は100年生きるのだから。




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