映画感傷記 #0「さようなら、永遠」

戸田真琴です。今は映画をつくっています。
ところが映画というもの、言葉、存在、に向き合うことが毎日怖くて耐えられません。なので、作り終えるまで無理にでも映画というもの、言葉、存在、にまつわることを更新して慣れていこうと思います。
映画という言葉の解釈は人によって違います。わたしにとっても、たくさんあってよいと思います。解釈というものは流動的で、明日にはもう映画を「こういうもの」とは思えなくなっているかもしれません。わたしは感傷的な人間です。毎日感じることが変わります。なので、それを記録します。


はじめは、前作「永遠が通り過ぎていく」の上映用パンフレット用に書いた文章の中で、未公開だったものを掲載します。この映画が映画館にかかったら、もう私は、映画をつくりたいと願うことから手を引こう、と思って書いたものです。当時のものです。


あまりにもすべての感謝を込めて、私は、この世界のことを諦めようと思います。
 
私が生まれたのはついこの間のことで、或いは何光年も昔のことで、友達は一人もいなくて、胸の内にある宇宙の、刺すように光る星々と文通をして暮らしていました。
ですから、学校では日がな一日突っ伏して、話しかけられることさえ嫌い、自転車を引く帰り道、最も夕景が眩しい時間に丘の上まで間に合わず、毎日さめざめ泣きました。
高校に入学してから携帯電話を買ってもらい、めいっぱいズームをしてがさがさになった画面の中に、朝の光と窓辺の埃、鉄塔にずぶりと刺さりゆく陽、見上げた街灯のハレーション、映りはしない星の瞬きを記録して、何にも映っていないことで全てが写ってしまっていたので、やっぱりさめざめ泣きました。
 私は空を飛んだことは飛行機含めありませんでしたが、私以外のすべてのことが、ジオラマを見るように遠い時、確かに私は無知だったけれど、世界でいちばん寂しかったのです。
 
 君は、そんな昼下がりに現れました。
 駅まで続くやたらとまっすぐな道のりで、遠くの風景との間に光の梯子がおりてきて、何も見えず、無数の線が鼻先に今にも触ろうとするように、私は黄色い光の中で、君の声を聞きました。
 
「せめて君は、呼ばれるままにゆきなさい。今眩しくなって見えやしない、具体的な全ての事象に嫌われようとも、いちばん寂しい君の命を、死ぬまで何かを眩しがりながら焼き切れてしまうまで生きなさい。見渡す限りで一番さみしいひとを探して、その人のために生きなさい。あらゆる否定の暗闇を超え、その向こう側へ行きなさい。最初のひとりでもいい。そこに誰もいなくても、君はどこまでもゆきなさい。」
 
 私はすれちがう犬もはっきり見えない涙目に、拡散した太陽を映し込み続けながら、君は、神だろうか。それとも、僕だろうか。と、しばらく考えました。
 ポケットに入れた右手が、携帯電話にぶつかって、そうか、と思いながらカメラを光に向ける時、知ったひとつの答えをもって、これからずっと行くのです。
 
君の名前は、映画。
どんな傷も遂には光の粒に変えてしまうね。
君は映画。わたしの神様は光。愛はすべて失われる、この世に映画さえないのなら。
 
 そう、恋という言葉を使うのは、もうこれで最後にしようと思います。


 
 研究室でカメラをもらった。小さくて、多重露光もできるからきっとぴったりだよ。と言われて、シングル8。君みたいなカメラだね、と、仙人みたいな助手が言う。
 坂をぐんぐんのぼっていって、朝ぼらけの街を見下ろす。ずっと遠くに観覧車が見える。木漏れ日がぼくらを網目状に光らせて、私ほんとうは、光だけが通過するあのレイヤーを生きるはずだった。
 
 暗室の中、僕らはひとり、慎重にフィルムを引き出して、ぬるりとした液につける。鼻の粘膜を溶かすにおい、薬品が染みてやっと知る無数のこまかな傷に、私、恋をしていると知ってしまう。ひりひり痛い、心はゆれて乾いたフィルムも傷だらけ、でもあの傷が、そのまま綺麗だった。先生は馬鹿だって言う。傷だらけかもしれない君をほんとうに守りたいと思うのは、私が君にすべてをわかってもらえるような、そんな甘い期待をしたから。
季節は風と共にめぐる、私は光と君と私を、何度も何度も重ね続けて、ついには真っ白の映画になりたい。それは叶わないと知ったから、これまでの悲しみを全部集めて、あらためて編集してしまおうよ。あれはなんだっけ、あのひどい眩しさ。全部愛の途中なんだ。だけれど最後にはごめんね。ありがとう、さようなら。あいのうたのように繰り返す。私は最後の手紙を書きます。涙でインクが滲んでしまって、名の無い文様みたいになって、わからないまま四季が過ぎるから、この夏こそは、映画を撮ると決めました。弱々しい声で言いました。君はひとを愛したことはありますか?それがわからないなら行きましょう。さようなら、さようなら、かつてここにあったすべて。さようなら、本当は、さよならを言えない夏のすべて。撮りましょう、撮りましょう、映画になってやっとわかった。
 
 私は君に恋をしていました。
 この世界に恋をしていました。
 叶わない恋をしていました。
 この世界は、とてもさみしいところだけれど、最後には美しいのではないか、
 そう言いながら歌ったね。私は下手くそなダンスをして、愛のゆめを信じていました。
 
 明日もしも目が覚めて、外が明るい晴れならば、映画を見に行きましょう。
 少しずつ恋を諦めましょう。また新しく夢を見ましょう。
 ほんとうは最後に勝ちたかったの。すべての苦痛がひるがえり、金色に輝く空想をした。
 だけれどそれは無理だから、せめてこの映画館の中で、撲殺されそうな光に満ちて、反射で見つかる透明なドアを、せーのでいちどに開けましょう。
 
 あの日、瀕死の私が手に取った、誰にも見えない透明のサイコロ。
 私、君よりもこの世界よりもずっと、私の映画を愛しています。
 さようなら、永遠。かつてここにあったすべて。
 


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