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《創作》夢のちからに救われて~肯定する優しい言葉を~



6.12 水曜日の早朝のこと。
明晰夢を見た。

私の姿は高校生。
でも、意識は、今現在の私。
私は放課後、帰宅出来ずに、学校に残っていた。
それはとても悲しかったから。
自分が生まれつき、一般的に発達障害だと言われる特性を持っている事を、しばらく前に、自分自身、前向きに捉えたはずなのに、その時、なぜか再度の悲しさが訪れて、言葉に出来ない何か想いが募っていたからだった。
(現実で、涙し受容出来て、受け入れたと思っていたのに、夢の中で、なぜか再度の辛さがやって来ていた。)


一緒にいた親友2人にその事をなかなか話せない私は、高校の、玄関前に置かれた長椅子に座っていた。
なぜかいきなり中学の時の担任の先生が現れた。
帰らない私の姿を見て怪訝に思った表情で、わざわざこちらへ向かって来る。
元担任の先生の姿を見て、私は、この事を話さなくちゃいけない...と思って立ち上がり、先生の方へ歩いて行った。
先生の顔を見た。
「先生、...私...、発達障害の特性があったよ...。」
そう言おうと思うのに、なかなか言葉に出せない。

話したいのに、言葉は喉で止まってしまう。
目に涙をためて話せないでいる私を見て、先生は察した様子で、私の頭に手を置いて、うんうんと、頷いてくれた。
言わないでもいいよ、わかったから、と言うように。優しさを感じた。


私は先生に、
「先生、今、高校にいるの?」
と聞き、それから、
「先生、先生は...、(私が発達障害だという事を)...わかっていたの...?」
そう聞こうとして、はっ ... と、目が覚めた。
同時に記憶がよみがえった。



﹎  ﹎  ﹎



先生は、私の中学2、3年時の担任だった。
当時、ある日美術の写生の授業中、先生が見回りで来てくれた時、話しかけられた言葉があった。
「僕も、○○(私)と同じなんだ。」と。
自分と、私が、何かよく似た数値だったとか、波形だったとか、そういうような事を言っていた...。
曖昧な表現で、同じとか、数値だとか言われたけれど、当時の私は先生が何の話しをしているのか、さっぱりわからなかった。


それが、この日、夢から目覚めた瞬間に、繋がった。
...先生の、あの時の言葉の意味が...わかった...、と。
あの時の、あの言葉は、先生自身が、私と同じ特性を持っていたという事。きっと、そういう意味だったんだと。
同じ特性を持っている自分は、こうして教師をしている。○○(私)も大丈夫だ。頑張れよ。と。
先生は、そういう事を言おうとしてくれたんじゃないか...。


私は、当時、中学生の頃、本当に何も、
自分の置かれた環境が辛いとか、自分が苦しいという事等も、もちろん発達障害の特性にも、何も、気づいていなかったけれど、
たぶん、先生は、私が1人で内心、何かを抱えているだろうと思って、私の事を気にかけて、心配して、あの時、あんなふうに声をかけてくれたのかもしれない...。
でも、あの時は、私の家庭環境や、私の気持ちを考えて、それ以上言えなかっただろうし、言わないでいてくれた...。
私の閉じていた心に、何か届け、いつか響けと...そんなふうに思っての言葉だったのかもしれない。
きっと、そうだったんだ... ...と。
気づいたのは、その後、約35年も経ってからの、この時だった。


目覚めて、頭の中で色々が繋がって気づいた時、泣き出した。抵抗する事なく、ただ泣いた。
泣きながら言っていた。先生、ありがとう...、ありがとうございました...と。
先生が、私の(親の言う通りにするという)進路選択を気にかけて、くり返し、何度も、私自身の意志を確認してくれていた事も思い出した。
あの頃、先生は、私の将来を本気で心配してくれていたんだ...と、感謝しかなかった。
先生は、今、また私を元気づけて勇気づける為に、夢に出てきてくれた気がした。
時間をかけて、心に作っていたたくさんの思い込みを解き、本当の自分、ニュートラルな自分に戻った事でようやく、先生の言葉が私の心に届いたのかもしれない。
いえ、心に届いていた愛の種が、ようやく芽を出したのかもしれない。

私の潜在意識には、気づけていない本音本心があった。
私は自分の特性にショックを受けて、本当は認めたくなかったと思うし、深い本音本心では辛く悲しく思っていた。
だから、きっと、本当の意味で、本当の自分を受け入れられる自分になるのに、時間が必要だった。
それは、誰かと比べて自分が劣っていると思っての悲しみではなくて、自分が自分を悲しく捉えて、感じた辛さ。
表現に戸惑うけれど、自分の脳には、欠陥とでも言うような、そういう機能的に足らない部分があるという事なの...?と、まず、その事実を受け入れる事が容易ではなかった、その辛さ。
そして、その持って生まれた特性を、欠陥だと、少しでもそんなふうに捉えてしまった自分自身だ(だった)という事の、ダブルのショック。


溢れてくる涙を止めないで、
私は...心深くの本音本心では、そんなふうに思ってしまっていたんだな...と。
... ...私... ...自覚していた以上に... ...ショックだったんだ... ...
...そうだったんだ... ...と。自分を否定せずに。
横になったまま、ただただ、そのまま全部を肯定して、静かに受け止めた。
この夢を見た事で、大事な、大切なその事に、気づいた。気づけた。


潜在意識から、夢になり、顕在意識で気づく事が出来て、素直に感じて、感じるままに涙を流して、感情を感じきれた事で、思い込んでいた事がはらりとめくれて溶けていった(解けていった)。
そうして、そう、この、私が、ありのままの私なんだ...と、受け入れられた。
この時、以前よりもより深く受容出来て、私は心が救われた。
先生のあの時の言葉があったから、
あの時、私を肯定してくれた言葉があったから、私は、気づいた時に救われた...。そう思った。
私、...これで、大丈夫だと思う...。そう思った。

顕在意識的に気づかない、覚えていない夢の場合でも、何かの夢を見た事と、目覚めた時の感覚を、なるべく肯定的に捉える事で、何度も心が落ち着き、安定した。
(私は、目に見えない、何か大きな存在のちからを信じて心から感謝しているからこそ、(誰もが)、1番優先して大切に感じて、頼り信じるのは、(それぞれ)自分自身の直感・体感覚で、それを当てはめて考えるのは、今、目の前にある現実のはず。という気持ちがあったので、夢の詳細な意味までは、深くは考え過ぎなかった。)
夢は不思議で、眠っている間に、心を優しく修復してくれているように思った。

発達障害は、持って生まれた特性。私の個性。
それが、例え欠陥や不足のように思えても、その欠陥や不足、まるまる全部含めて、大切な自分の、大切な特性個性。私のチャームポイント。
もしも、また、何か悲しみが訪れても、その都度丁寧に向き合って、受け入れて、私はこの私と一生一緒に生きていこうと、今また心からそう思える。
この、完璧じゃない私が愛しい。
完璧じゃない私で、まるっと完璧。
何も出来ない(と思う)私でも、大好き。
これでいい。これが、いい。
同じ特性を持っている方も、持っていない方も、
違う特性を持っている方も、持っていない方も、
誰もが、それぞれが、そのままで大切な1人1人。
SMAPも、槇原敬之さんも歌っていたように、
別の誰かじゃない、1人しかいない、大事な存在。
オンリーワン。


そして、ほんの少しの、本音本心からの優しい思いやりの言葉かけが、愛の種になって心に植えられて、先々に芽が出て、何年も何十年も経ってから、その人を救う事もあると知ったから。
まずは自分に優しく。そう出来る事に感謝。
そして、それから、
短い言葉でもいいから、いつもじゃなくてもいいから出来る時に、まわりの人に、目の前の人に、隣の人に、子供達に、その人を肯定する、優しい言葉をかけられる自分になりたい。
オンリーワン同士、優しい言葉をかけ合えるお互いになりたい。


優しい世界と反対の世界が確かにあると、
先生は、そういう世界で将来私が生きていく事を、当時の進路指導時に、言葉を選び教えつつ、心配してくれていた。
その事もわかって、わかった上で、私は1人1人それぞれにとっての、優しい世界がある事。ありのままの個々に寄り添い、肯定して尊重する世界がある事を信じたいし目指したい。
ジャッジするよりも愛したい。
全部、表裏一体で隣り合っていて、色々なほどあいで融合してる。
だから、その中で、自分はどう自分の心を満たして、深呼吸しつつ生きたいのかを、自分で選んで、自分で決めて歩みたい。心の筋力を育てて、柔軟に保ちながら。


不安や恐れの気持ちがよぎる時こそ、向かうのは外側にある情報ではなくて、自分の内側。
自分はなぜ不安になったり、怖いと思うのだろう...。その理由は、自分の内側に必ずあるから、内側の自分と優しく対話を繰り返す。いつも何度でも。
本当にちっぽけで何の力もなくても、何の術もなくても、私は、今の私に出来る事をするだけ。その積み重ね。そう思って、今日もただ咲く。



Dear/Mrs. GREEN APPLE




いつもお読みくださっている皆様、初めてお読みくださった皆様、本当に、ありがとうございます。
初めて創作という形でのチャレンジで、稚拙ですが、文体を変えて執筆してみました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
心より、感謝いたします。








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