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記事一覧
目次と読むための地図
目次黒い脳髄としてのクロールスペース 1986
近代の誕生
窃視と暗い部屋
監視と処罰
監獄のヒューマニズム
無限後退する自由意志
終わりなき近代
イメージの時代におけるクリムゾン・キングの宮殿 1969
グローバリズムの走馬灯
憑在論としての歴史の天使
ロゴスと叫び
サンチャイルドを待ちながら
イメージの場としての運命の宮殿
よゐこのポストモダンの共産主義 2009
共産主義の胎内記憶
憑在
黒い脳髄としてのクロール・スペース
近代の誕生
(前略)ジョナサン・クレーリーは、カメラ・オブスクーラは外部世界と切り離され自立する観察者という地位を、主観に与えたと言う。いわば主観は外部から遮断された、この暗い箱の中にあって、その壁に映像として切り取られ映し出された外部世界だけをひたすら観察している。こうして外部は主観化され、私物化される。視覚の座は世界から切断され、その外に押し出される。
つまりカメラ・オブスクーラは主観に超
クリムゾン・キングの宮殿と意味の論理学
グローバリズムの走馬灯
一八世紀以前、言葉と物は透明な関係で結ばれていた。言い換えれば、世界は、言葉の秩序と物の秩序という二つの要素で成立していた。一九世紀以降、そこに第三の要素が加わる。世界は、言葉(表象するもの)と、物(表象されるもの)と、両者のズレを生み出す何ものか(表象不可能なもの)という、三つの要素の組み合わせとして理解されるようになる。そして、あらゆる学問や芸術は、こぞってこの最後
動きすぎてはいけない サメ映画について
スタジオ・システムの転覆
1960s
このサミュエル・フラーの言葉に従うならば、1960年代、映画はさながら収容所かのようなスタジオを失う。サメ映画は、このようなスタジオ・システム崩壊後にあらわれたジャンル映画である。当時、ハリウッドで映画の大量生産を支えていたスタジオ・システムが崩壊の一途をたどる中、西部劇といったジャンル映画は窮地に立たされた。そこで登場するのがサメ映画である。その歴史はゾ