杜口

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ブログ https://the-origin-of-sublime.theblog.me/ 現代のエピステーメー、あるいは時間と空間を包摂するモデルを探し、12本に及ぶ批評を連載中。

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  • 終わりなき終わり

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動きすぎてはいけない サメ映画について

スタジオ・システムの転覆 1960s  このサミュエル・フラーの言葉に従うならば、1960年代、映画はさながら収容所かのようなスタジオを失う。サメ映画は、このようなスタジオ・システム崩壊後にあらわれたジャンル映画である。当時、ハリウッドで映画の大量生産を支えていたスタジオ・システムが崩壊の一途をたどる中、西部劇といったジャンル映画は窮地に立たされた。そこで登場するのがサメ映画である。その歴史はゾンビ映画とパラレルにあり、1969年公開のサミュエル・フラーによる『シャーク!』

    • 銀魂の資本主義リアリズム

      資本主義の胎内記憶 53  空知英秋による『銀魂』が連載された時代、それは小泉内閣、そして安倍内閣の時代である。  戦後政治の総決算、戦後レジームからの脱却を唱えた中曽根-小泉-安倍によって新自由主義+新保守主義が形作られる中で、小泉内閣は聖域なき構造改革を掲げ、郵政民営化をはじめとした大規模な改革を断行し、グローバル企業をはじめとした大企業の躍進に貢献した。  こうしてグローバル経済が推し進められ、平等な国際関係が築かれるが、それは唯一非対称な関係、アメリカ-日本をもっ

      • スタートレックと散種

        インターナショナリズムの走馬灯 16  インターナショナリズム。それは国家単位で協調していくことを意味する近代国家を前提とした思想である。それがゆえに近代以降に生まれた概念である。そしてこうした思想を現実に大規模な形で行ったのが1920年に発足した国際連盟である。がしかし国際連盟は国際的平和機構として小規模紛争の解決といった一定の成果を出したものの、第二次世界大戦勃発に際し役目を果たすことができなかった。そのためこうした経緯を踏まえ、戦後1945年に国際連合が発足し、戦

        • よゐこのポストモダンの共産主義

          共産主義の胎内記憶 お笑いにおいて80年代とはダウンタウンの時代であった。それはまさしく近代の完成でもあった。彼らが徒弟制という前近代を超克したNSC、その一期生であることは偶然ではない。だからこそ82年にデビューした2人は、恐るべき速さで関西においてスターとなった。当時、漫才ブームの真っ只中、流行りはB&B、ツービート、島田紳助・松本竜介に代表されるボケが凄まじい速さで喋り倒す芸風で、漫才は爛熟の時を迎えていた。しかしその渦中に現れた2人。その芸風は流行りとは真逆に等しい程

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        • 終わりなき終わり
          7本

        記事

          クリムゾン・キングの宮殿と意味の論理学

          グローバリズムの走馬灯  一八世紀以前、言葉と物は透明な関係で結ばれていた。言い換えれば、世界は、言葉の秩序と物の秩序という二つの要素で成立していた。一九世紀以降、そこに第三の要素が加わる。世界は、言葉(表象するもの)と、物(表象されるもの)と、両者のズレを生み出す何ものか(表象不可能なもの)という、三つの要素の組み合わせとして理解されるようになる。そして、あらゆる学問や芸術は、こぞってこの最後の「表象不可能なもの」を目指すように再編される。それが「近代」と呼ばれる時代であ

          クリムゾン・キングの宮殿と意味の論理学

          黒い脳髄としてのクロール・スペース

          近代の誕生 (前略)ジョナサン・クレーリーは、カメラ・オブスクーラは外部世界と切り離され自立する観察者という地位を、主観に与えたと言う。いわば主観は外部から遮断された、この暗い箱の中にあって、その壁に映像として切り取られ映し出された外部世界だけをひたすら観察している。こうして外部は主観化され、私物化される。視覚の座は世界から切断され、その外に押し出される。  つまりカメラ・オブスクーラは主観に超越的視点としての地位(妄想)を与えたとだけ、クレーリーは言っているようなものだ(

          黒い脳髄としてのクロール・スペース

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          目次黒い脳髄としてのクロールスペース 1986 近代の誕生 窃視と暗い部屋 監視と処罰 監獄のヒューマニズム 無限後退する自由意志 終わりなき近代 イメージの時代におけるクリムゾン・キングの宮殿 1969 グローバリズムの走馬灯 憑在論としての歴史の天使 ロゴスと叫び サンチャイルドを待ちながら イメージの場としての運命の宮殿 よゐこのポストモダンの共産主義 2009 共産主義の胎内記憶 憑在論としてのボケ テレビとゲーム的リアリズム      月の住民を待ちながら 忘却

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