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テニス上達メモ101.テニス上達ワクワク・エンジョイ大作戦!


▶「否定形」は否定できない


梅干を思い浮かべないでください。
 
あの、ジッと眺めているだけでじゅるりとよだれが出てきそうになる梅干です。
 
しその十分漬かった、果肉のとろけそうな梅干。
 
その梅干を、絶対に思い浮かべないでください!
 
というと実際によだれが出てきそうになるのは、私の口の締りが悪いから?
 
というわけではないと思うのですけれども、きっとたいていの人(全員)が、「絶対に思い浮かべないでください」とお願いしたにも関わらず、梅干のイメージを描いてしまったと思います。
 
否定形は、否定できないのです。
 

▶「ミスするイメージ」の強化


ということはたとえば、「絶対にミスしないぞ!」と思うとどうなるでしょうか?
 
絶対にミスするイメージが、完璧に描かれます。
 
ですから、「ミスの原因はなんだったのか?」
 
「なぜ、ミスしたのか?」
 
「どうすればミスしなかったのか?」
 
「次にミスしないようにするためには何が必要か?」

完璧主義の人ほど、考えがちです(※関連記事:完璧主義の人の「自己肯定感が著しく低い理由」と、テニスも仕事も家事も創作活動も「パフォーマンスが上がるとっておきの方法」)。

しかしこういったことを振り返ったり気をつけたりするのは、特に試合中は危険。
 
ミスするイメージを強化するのです。
 

▶成功したら「どうしよう」


ではどうすればいいでしょうか?
 
「ショートケーキを思い浮かべてください」
 
これです。
 
甘い甘いイチゴの乗った、おいしそうなショートケーキ。
 
しっとりふんわりのスポンジに、なめらか口溶け生クリームがてんこ盛りです。
 
これを思い浮かべ、頭の中をいっぱいにすれば、酸っぱいイメージは吹き飛びます。
 
「絶対にミスしないぞ」と険しく、厳しく思うのではなくて、むしろ「成功したらどうしよう!」などとワクワクする
 

▶「世界を目指す」と言っていい


こちらにも書きましたけれども、どうもテニスは「簡単に世界を目指すなんて口にするな!」などど、厳しすぎるきらいがあります。
 
それは、努力して頑張って強くなった者だけが言える特権なのでしょうか?
 
言論の自由を封殺する違憲と言ったら言いすぎかもしれませんけれども、哲学者ヴォルテール(諸説あるそう)の言葉を改めて噛み締めたいのです。
 
「私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」
 

▶「それでいい」の自己肯定


そして何も、世界を目指すだけがテニスではありません。
 
田舎の部活で汗を流すのも、テニスはテニス。
 
「それでいい」と納得できるのが自己肯定です。
 
もちろん日本以外の海外には砂入り人工芝テニスコートがほとんどないから、それで上手くなっても世界で通用しないなどという主張はもっともです。
 
とはいえそこで楽しむのも、テニスはテニス。
 
足腰の負担が少なくて、天候に左右されにくく、ボールスピードとバウンドが緩やかだから、オープンスキル系の競技でありながら老若男女が一緒になってプレーできる稀有なスポーツがテニスです(※参考記事:テニスは「生涯スポーツ」であるとともに「自己肯定感」も高める
 
「砂入り人工芝コートによる恩恵」も大きいに違いありません。
 
そこは、それぞれのニーズに応じたハードやクレーコートなどとの棲み分けしだいではないでしょうか。
 
※ちなみに「砂入り人工芝コート」の呼称として多用される「オムニコート」は、一般名詞の「宅配便」に対してクロネコヤマトのヤマト運輸が「宅急便」サービスを展開するのと同様の、住友ゴム工業株式会社による商標です。
 

▶「オリンピックの舞台を楽しみたい」が白眼視されるわけ

 
青山学院大学陸上競技部・原晋監督の「ワクワク大作戦」でいいのではないでしょうか?
 
2023年夏の甲子園を制した慶應義塾高校野球部・森林貴彦監督による「エンジョイ・ベースボール」で、いいのではないでしょうか?
 
それを許さないのは、努力して頑張って挫折を乗り越えて勝たないと、やっかまれるから?
 
メディアが、お涙頂戴の、ドラマ仕立てにしにくいから?
 
代表選手が「オリンピックの舞台を楽しみたい」などと壮行会で口にすると、「お国のために頑張れ!」などという空気が支配的にもなるお国柄です。
 
空気は、読めなくていいのです。
 
なぜスポーツを楽しむのに、頑張って努力して、それでは足りないといって挫折しなければならないのでしょうか?
 
何のためにやっているのか、ますます分からなくなります。
 
どうやって打ったらいいのかも、分からなくなる
 
「何のために生きてるのか解らなくなるよ」と歌ったのは尾崎豊でした。
 
『17歳の地図』に描かれる夢は「自己否定」だけなのでしょうか?
 

▶失敗を「想定」しておく?


「いや、梅干しを思い浮かべておけば、たとえ苦手なピーマンが出てきたとしても、心理的なダメージを抑えられる」
 
そういって私たちは「失敗するかもしれないから、ショックを受けないように最悪の事態を想定しておく」ということを、よくやりがちです。
 
そうすれば、「ほぅら、やっぱり失敗したでしょ」などと納得できる心理的リスクヘッジになるからです。
 
失敗を想定して、失敗を確認して、失敗に納得する。
 
しかし、そこに何の利があるでしょうか?
 
むしろ先に確認したとおり、実害を招く危険性のほうが高いと言えます。
 
失敗がイメージされるからです。
 
しかもどれだけヘッジしておいても、やっぱり最悪とまではいかないまでも、望まない結果になった場合はショックを受けるもの。
 
ですから、失敗を失敗とは決めつけず、フィラメントが燃え尽きたのは電球に使えないことを「発見」したとイメージを書き換えるのです。
 

▶結果について考えても「どうにもならない」


私たちは結果について、自分の意志でコントロールできません。
 
仮にできるとしたら、「自分はウインブルドンで優勝する」と意思で決めてしまえば、優勝できることになってしまいます。
 
東京大学に合格すると意志を固めれば、合格できてしまいます。
 
しかしそうはなりません。
 
つまり、結果について考えても、何の実利もありません
 

▶結果を意識しても「やる気」は出ない


ややもすると、結果を意識すれば、練習や勉強を頑張れる「やる気」が出るとも考えるかもしれません。
 
しかしそれは、得策ではありません。
 
「やる気を出す唯一の方法」は、心理学者ウィリアム・ジェームズが提唱した「アズイフの法則」に従い、行動や体験が先で、感情があとです。
 
目標を設定して自分に厳しくするのではなく、自分にもっと、甘く甘く!

ハードルを下げるのです。

よく言われます。

なかなか勉強のやる気が出ないときは、「ノートを開くだけ」を、やってみる。

すると目に飛び込んできた文字を見て何か気になり出し、調べているうちに勉強が始まっていたというふうに勢い(やる気)が出てきます
  

▶「ポジティブシンキング」は自己肯定感を損なう

 
「人事を尽くして天命を待つ」というフレーズがあります。
 
その意味について辞書を紐解くと「人間ができることはすべてやった上で、あとは運命にまかせる」とあります。
 
その人事を尽くす内容が「失敗するかもしれないから、ショックを受けないように最悪の事態を想定しておく」だとすると、運命は開かれません。
 
「ショートケーキを思い浮かべる」
 
これに人事を尽くすのです
 
もちろん結果は意にそぐわないかもしれないけれど、結果は天命が下します。
 
そのプロセスをワクワクする気持ちで楽しめれば、それで十分だし、結果も伴いやすいのではないでしょうか?
 
何も「ネガティブな状況に対して無理やりポジティブシンキングをしましょう」などと、推奨しているわけではありません。
 
「無理やり」は、嫌われるのが怖いのに「嫌われる勇気」を発動するから、自己肯定感を損なうのでしたね。
 
「素直(素のまま真っ直ぐ)」な気持ちの否定になるのです。
 
ただ、ショートケーキを思い浮かべて、自分の機嫌は自分で取ればいいだけ
 
両監督にあやかって、本稿は「テニス上達ワクワク・エンジョイ大作戦!」と名づけてみました。
 
なぜなら「集中は楽しい」からです。

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero