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テニス上達メモ047.完璧主義の人の「自己肯定感が著しく低い理由」と、テニスも仕事も家事も創作活動も「パフォーマンスが上がるとっておきの方法」

今週末の試合に自信がない。
 
不安だという人がいます。
 
ええ、みんなそうでしょう。
 
自信たっぷりで、一抹の不安もないという人は、なかなかいません。
 
もしそういう人がいるとしたら、その人は不安がないのではなく、緊張感が足りていないのであり、リラックスできているのではなく、気持ちが緩んでいたりする
 
挑戦するシーンにおいて、だれにだって一抹の不安はある、というのが前提。
 
その上で、不安で心配だという人の何が問題になりやすいかというと、「不安をなくして、完璧なテニスをプレーしたい!」と考えてしまうこと。
 
何事もそうですが、そりゃ、完璧がいいに決まっています。
 
だけどそう願ったからといって、必ずしも完璧にできるわけではありません。
 
テニスだけではなく、後述しますけれども、こうやって私がnoteに投稿する内容もそう。
 
完璧を期すると、余計に不安になって、自信(自身)がなくなります
 
そして、自身(の価値)が(感じられ)ないから、完璧を目指してしまうという心理的構図です。
 
どうして、完璧主義になってしまうのか?
 
それは「自己肯定感が低い」からです。
 
ややもすれば、逆の印象かもしれません。
 
「自己肯定感が高い=完璧」だと。
 
「自分が完璧になれば、自己肯定できる」と。
 
でも、そうじゃないのです。
 
ありのままの自分でいると「価値がない」と感じるからこそ、せめてテニスのパフォーマンス、あるいは仕事や、家事、育児も、完璧に仕上げたくなるのです
 

 
ありのままの自分では「受け入れられない(自分でも、こんな自分は受け入れ難い)」と感じられるからこそ、自分の価値を高めようと腐心せずにはいられないのです。
 
一方、自己肯定感が高い人は、テニスのパフォーマンス、あるいは仕事や、家事、育児が完璧じゃなくても「自分には価値がある」と思えるから、特段完璧じゃなくても、構わない
 
やっぱり、逆の印象ではありませんでしたか?
 
自己肯定感が高い人は、完璧である。
 
自己肯定感が低い人は、テキトー。
 
そのイメージこそ、「逆だった」のです。
 
自己肯定感が高い人は、テキトー(ちょうどいい意味の適当)で、十分だろうと感じられる。
 
どうせ自分には価値があるから。

半面、自己肯定感が低い人は、完璧にしないと「自分には価値がない!」と、焦りを感じてしまう
 
自分には価値がないから、せめてテニスのパフォーマンス、あるいは仕事や、家事、育児も、完璧に仕上げたくなる
 
そうしてありのままの自分だと価値が低いと、心の奥底で感じているからこそ、躍起になって高めたくなるのです。
 
あまつさえそういう人ほど、自分には価値がないと本心では感じているからこそ、表面的には「自分は価値がある素晴らしい人間なんだ!」などと、思い込もうとしたり、他人にも、押し付けようとしたりしがちです。
 
創作物なども、そうではないでしょうか?
 
完璧に仕上げたくなりがちです。
 
私もこのnoteに投稿する際、なるべく完成度を高めたいのはもちろんですけれども、完璧を目指すと、ひとつも投稿できやしません。
 
あとからいくらでもやり直し(書き直し)はできるのですから、完成度は60%ぐらいでいいでしょう。
 
100パーセントを目指さずにはいられない完璧主義になると、この「いくらでもやり直せる」 柔軟な発想が、スッ飛びます
 
一発で決めたくなる(やり直しなど避けたい)頑なな態度を、取るようになる。
 
「やり直しなど一切必要としない、完璧な人間なのであーる!」などと、思い込みたいのです。
 
そういう人は、プライドが高いから本当は苦しいのです。
 
逆に完璧じゃなくてもいいと考えると、すごく気楽になるのではないでしょうか?
 
完璧じゃなくていいんだ~。
 
これを日常生活を含め、いろんな場面に当てはめてみるというご提案。
 
振る舞う料理の味は、完璧じゃなくていい。
 
拭き掃除は、完璧じゃなくていい。
 
スケジュールも、完璧じゃなくていい。
 
会話も、完璧じゃなくていい。
 
失敗して相手とモメたって、あとからいくらでもやり直し(仲直り)はできるのだし、したくないならしなくていいという、非完璧ぶり
 
「絶対、仲良しじゃないとダメ!」という完璧からのエスケープ。

あ~気楽です(笑)。
 
適度な緊張感を保ちつつ、気楽でいられると、テニスも、仕事も、家事も、育児も、パフォーマンスが上がりやすくなります
 
そもそも最初から完璧を期すると、結果がどうなるのか怖くなって、料理を振る舞うのも、計画を立てるのも、相手に電話するのも、ためらいがちになりはしないでしょうか
 
完璧を求めて頑張ろうとする姿勢は、尊いのではなく、自分の価値を信頼していない深層心理の表れ
 
しかもテニスの試合では、完璧を期するあまり、過緊張を招く原因になります。
 
そればかりかご自身だけではなく、周りの人にも負担を強いてしまう
 
「不安はあるんだ」「緊張もするんだ」とありのままの自分を受け入れるようになったとき、自己肯定感が高まって、プレッシャーも味方になってくれるでしょう。
 
最後に、まとめます。
 
「他人は変えられないけど、自分が変わると世界が変わる」などと、よく言われます。
 
私はこの「自分が変わると」の部分に関して、「自分の何が変わると?」なのかを、自分自身を実験台にして研究、実践してみました。
 
その結果、「自分の自己肯定感が変わると」なのだと確信するに至りました。
 
つまり、「自分の自己肯定感が変わる」と、他人が変わり、世界が変わります
 
ただし自己肯定感というのは、繰り返しになりますが、真逆の印象になりがちです。
 
「自己肯定感を高めるために、完璧を目指す!」といった具合に。
 
「自分が完璧になれば、自己肯定できるはずだ!」と言った具合に。
 
それだとむしろ、非完璧になるというパラドクス
 
もちろん自己肯定感が高まったからといって、いつもテニスの試合に勝てるわけではありません
 
負けることもある。
 
だけど負けたとしても、「まあこんなこともあるさ」と、納得できるようになるのです。
 
自己肯定感が低いと、「こんな自分のままじゃダメだ!」などと責めてしまいがちです。
 
もちろん、テニスの試合に限った話ではありません。
 
人生全般で、失敗することもある。
 
だけど失敗したとしても、「まあこんなこともあるさ」と、納得できるようになる。
 
失敗から、そこに意味や価値を見出して、むしろ自分を大切にできるようになったりもします
 
失敗して自分を責めるのと、自分を大切にできるのとでは、真逆の反応
 
他人にも負担を強いないし、他人に振り回されなくもなります(逆に自己肯定感が低いと、他人に認めさせたい負担を強い、なおかつ自分を大切にできないから、無暗やたら遠慮ばかりして、他人の言動に振り回されてしまうのです)。
 
ですから自己肯定感が高まると、世界がドラマチックに変わるのです。

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero