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ロシアの小説家 リュドミラ・ウリツカヤの短編集「女が嘘をつくとき」

連休中にロシアの小説家 リュドミラ・ウリツカヤの短編集『女が嘘をつくとき』(沼野恭子訳) を読んだ。とても良かった。

6つの短編にはさまざまに嘘をつく女性が登場する。
その人物と嘘はそれぞれに異なるが、全話には共通のつながりがあり、6つで一つの話であるとも云える。

訳者のあとがきによると短編集の原題は

貫く線

『女が嘘をつくとき』リュドミラ・ウリツカヤ(沼野恭子訳)
あとがき

という意味らしい。納得のいく題だ。

女のたわいのない嘘と男の大がかりな虚言とを同列に並べて考えることは、はたしてできるだろうか。男たちは太古の昔からはかりごとめいた建設的な嘘をついてきた。カインの言葉がそのいい例だろう。ところが女たちのつく嘘ときたら、何の意味も企みもないどころか、何の得にさえならない。

『女が嘘をつくとき』リュドミラ・ウリツカヤ(沼野恭子訳)

こんな言葉で、短編集は始まる。

作者が女性であることを考えると、この言葉もたわいのない嘘なのかもしれない。すると女性たちのつく嘘は、決して「たわいのない」で片付けられるものではないのかもしれない。そして小説こそ嘘 (フィクション) であることを考え合わせると、いったい何が本当で何が嘘なのか分からなくなる。

5話目の短編「幸せなケース」では、ドキュメンタリーという編集された事実 (建設的な嘘) の裏側を描いている。
このような事をからめ手から描けるのはおそらく
フィクションだけだろう。そこにはフィクションだけがもつ強いリアリティがあるように思う。

この作品群に現れた嘘とまこと断片だんぺんは、それぞれ全く違うようでもあるし、マトリョーシカのように似かよった顔をしているようでもある。
そこから織り成される模様の見え方は、読まれるごとに変わるのではないかと感じる。またおりを見て読み直してみようと思う。


女が嘘をつくときリュドミラ・ウリツカヤ
(沼野恭子訳)
発行: 2012.5.30.(新潮社) 、原作2002年(6話目「生きる術」は2004年に追加された。)



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