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本とのつきあい

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本に埋もれて生きています。2900冊くらいは書評という形で記録に残しているので、ちびちびとご覧になれるように配備していきます。でもあまりに鮮度のなくなったものはご勘弁。
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#神学

『説教と神の言葉の神学』(カール・バルト:加藤常昭・楠原博行訳・教文館)

『説教と神の言葉の神学』(カール・バルト:加藤常昭・楠原博行訳・教文館)

以下は、カール・バルトのよく知られている、1922年に語られた講演「キリスト教会の宣教の困窮と約束」の新しい翻訳である。――ここから「はじめに」が始まる。訳者のひとり、加藤常昭氏の手によるものである。本書の発行後、一か月を待たずして、召されることとなった。
 
主宰する説教塾で必要があって翻訳したものである。それが出版に値するということで、「新訳」として世に問われることとなった。これは、百年後の現

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『説教の神学』(D.リッチュル・関田寛雄訳・日本基督教団出版局)

『説教の神学』(D.リッチュル・関田寛雄訳・日本基督教団出版局)

原書は1960年であるというが、実はその少し後から、翻訳の話があったのだという。だが、訳者が、青山学院大学の神学科廃止の問題に巻き込まれ、翻訳へ力を注ぐことができないまま、20年が経つ。そこでようやく日の目を見るようになった。私たちに、説教に対する力強い思想がもたらされた。
 
リッチュルは、1929年にスイスのバーゼルで生まれた。と聞くと、やはりカール・バルトとの関係がどうか、というところが気に

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『神学でこんなにわかる「村上春樹」』(佐藤優・新潮社)

『神学でこんなにわかる「村上春樹」』(佐藤優・新潮社)

書館でこの本を見つけて、これは読むしかない、とすぐに借りた。佐藤優の本は沢山読んだとは言えないが、その人の経歴やよく言っていることについては、それなりに知るところがある。また、村上春樹は、その多くの作品を読んでいる。このタッグは読まねばならない。そう思って家に帰って開いたら、本書は『騎士団長殺し』のコメンタリーだった。
 
私はそれをまだ読んでいなかった。読む機会がないわけではなかった。読みたがっ

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『八色ヨハネ先生』(三宅威仁・文芸社)

『八色ヨハネ先生』(三宅威仁・文芸社)

同志社大学神学部元教授・八色ヨハネ先生は去る十一月一日に、独り暮らしをしていた大阪市西成区のアパートで死亡しているのが発見された。享年八十八。
 
物語は、この2行から始まる。その扉に「本作はフィクションであり、登場人物や出来事は作者による創作である」と記されているが、「同志社大学神学部」は設定場面であるから、創作ではないということなのだろう。著者は、その同志社大学大学院神学部(研究科)教授である

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『希望の倫理』(ユルゲン・モルトマン著・福嶋揚訳・新教出版社)

『希望の倫理』(ユルゲン・モルトマン著・福嶋揚訳・新教出版社)

なかなかの大部である。キーワードはもちろん「希望」。半世紀前の著書『希望の神学』の続編、あるいは完結編というから驚きである。
 
タイトルの語は「倫理学」とも訳せるし、前著との繋がりからするとそう訳したほうがすっきりしそうでもあるが、堅苦しい印象を与える必要がない内容だとの訳者の判断で、「倫理」で止めることにしたという。
 
前著からの時代は、ひとつには「解放の神学」が大きく話題になった経緯がある

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『生きる勇気』(P.ティリッヒ・大木英夫訳・平凡社ライブラリー102)

『生きる勇気』(P.ティリッヒ・大木英夫訳・平凡社ライブラリー102)

ティリッヒとくれば、20世紀の神学者として、カール・バルトと並び称される偉大な人物であるという定評である。哲学を学んだとあって、その神学は哲学的思考に導かれている。本書も、非常に抽象的で、読むのに骨が折れた。殆ど何も具体的な事例が出てくることなく、比喩のようなものも感じられず、ひたすら抽象的に論じ続けるのである。
 
そのため、ここで感想を述べようにも、実に苦しいものとならざるをえない。内容を辿れ

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『「神の王国」を求めて』(山口希生・ヨベル)

『「神の王国」を求めて』(山口希生・ヨベル)

新刊書が紹介されたときには一応チェックするが、諸事情で後回しにされ、ついに買わなくてもいいか、の世界に閉じ込められていたタイプの本。改めてその紹介を見ると、これは読みたいと思うようになり、発売後1年半してから手に入れた。
 
神の王国。それにカギ括弧がついている。元の語は分かる。いわゆる「神の国」と訳されている語であり、時に「神の支配」の意味だと説明される語である。サブタイトルに、「近代以降の研究

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