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土鍋で秋を炊く① 秋の枝豆はせつなくて
人の言葉に浸かり、ことんと眠りたい。なにを知ったふりして、人に作品や料理を紹介しているのだろうか。無意識に残るよそからの情報をあたかも自らのもののように紹介していないだろうか。そんなもやもやを少しでもクリアにするために「旅する土鍋イタリア」は旅に出かける。
ガヤついた喧騒と言葉。
セミの声しか聴こえない静寂と言葉。
天に顔を向けながら、オリジナルな言葉が湧き上がるのは、その場の風や香りのおかげだ
土鍋で秋を炊く⑧ 「秋ごぼうの鶏ごはん」
秋の根っこ「ごぼう」を食べよう!
さて、根っこといえば。個展まで秒読みなので、作品に隠れている「あしあと」と「根っこ」のヒミツをお教えしよう。イタリアに長く住んだものの、かの地に根を張るということが、どんなに難しいものであるかわかったからこその「根っこ」と、それとは反対に、確実に残してきた「あしあと」。この20年あまり、作品に残しつづけているシンボル。
映画「ショコラ」(ラッセ・ハルストレム監
土鍋で秋を炊く⑩ 「さわらのトマトスープ」
日本のおいしい秋の旬を煮込もう。八百屋に並びはじめた露地物の秋白菜とさつまいも、そこに、脂と旨味たっぷりな鰆(サワラ)を加える。出汁なんかいらない。土鍋の蓄熱効果で、食べ終わるまで熱々だ。
春の魚と書いて「鰆」(サワラ)。春になると卵を抱えて瀬戸内海に入ってきて「春を告げる」ということから、春の季語でもあるが、脂がのった鰆はこれからが美味しい。
イタリアの魚屋で魚を選ぶのはむずかしいけれど楽し
秋を炊く⑪ 「でこぼこ道の新しょうがごはん」
人は自分の道をあるくのだけれど。そこにある仕事や遊びや、食べることや寝ることを自分なりに整備したり趣向をこらすのだけれど。
子育てや介護や、動物や虫や花や農作物を育てたり、どの道にもほかの生きものの息吹がまざり凸凹になる。
理想ばかり語りながらコツコツすてきな靴で歩くより、凸凹をのりこえる運動靴が必要で。その泥まみれ、埃まみれの靴をながめるたびに、自分の道をあるく勇気が出るのかもしれない。
秋を炊く⑫「秋のえごま塩のふりかけと玄米ごはん」
蓼科のギャラリーに行く道すがら、直売所で「あぶらえ」を買った。この名前に親しみがなく、えごまに似ているな?と思って手に取る。その場で調べると、やはり「あぶらえ」とは「えごま」。昔から飛騨や茅野で盛んに育てられているようだ。お肉を巻いて食べたりする「えごまの葉」は各地で流通しているが、「えごまの種」は東京であまり見かけない。
春蒔きは、夏に葉が出て収穫。葉がおちた秋に種を収穫するそうで、この時期な
パカっと!あけてとじる幕
銀座での個展 –秋を炊く− 閉幕しました。写真は我が家のミニミニ土鍋でつくる「めだまやき」です。
学生時代から考えると、30年以上の陶芸道を歩んで参りましたが、わたしのこの道まだまだ草むらです。今回の銀座ギャラリー企画展は、イタリア帰国後13年前から、ほか横浜も同時期から定期的に開催していただいていますが、作家一人では決して舞台をつくれません。
note記事やコトバにはみえないもののひとつに「
ちょっとブレイク なぜえんえん嗚咽するくらい心の中で喜びの涙を流すのか
今回の個展で展示即売させていただいた数百点のうつわは、おかげさまでみなさまにお選びいただき手元から笑顔でさよならしていった。息子や娘が手から離れていく気分。育てた育てた!という達成感に近い。
生んで育てて(デザインして成型して)、いい子もわるい子も(いいものもわるいものも)ないんだよ「これが個性だよ」と育てる(つくる)ことは、時間や対価に代えられない。
太陽や月がない世界なんて
全日満員御礼