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#無意識

「虚」のデザイン 老荘思想の画期性

老荘思想は役に立たない、荒唐無稽な庶民向けの信仰でしかない、と見なされていた時代が長かったらしい。そんな中で福永光司氏は老荘思想を中心に研究したものだから、変わり者扱いされたようだ。しかし農業研究者としては、老荘思想ほど役に立つものはなかなか見当たらないなあ、という印象。

私は微生物の研究をしているのだけど、微生物は人間の言う事など聞いてくれない。こんなに言うことを聞いてくれない生き物に、どうや

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自分「が」主語になると、不器用になる

最近どうしたわけか、教育系雑誌から取材をよく受ける。私が教育者というわけではなく、農業研究者であることを知ったうえで。なんとも不思議な気分。
たぶん、私の表現も悪かったのだろうけれど、取材を受け始めた当初、上がってきた原稿で気になる傾向があった。

「先生が~してあげる」「先生は~すべきである」「先生は~であるべきである」あるいは、先生が親に置き換わっていたり。これらの表現の何が気に入らないかとい

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よい上司、よい親という呪い

よい上司になろう、よい親になろうとすると、なぜか私たちの言動はチグハグでぎこちないものになる。よい上司とは、を論じてる記事や本を読み、それをその通りまねようと「よい上司変身パーツ」を装着してスーパー上司になろうとするが、ことごとく的外れな言動になる。なぜだろう?

それはおそらく、自分ばかり見ているから。自分が周囲から、部下からどう見えるか、その外面的な見え方ばかり気にするからだ。これは無理もない

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身体(無意識)を信頼する

私は生来、創意工夫、臨機応変といったものが大の苦手だった。正解のあることなら丸暗記して実行あるのみだから、なんとかできた。受験勉強も愚直に、教科書や過去問を丸暗記して対応した。
女性との当意即妙なやりとり?んなもん無理に決まっていた。不器用極まりない人間だった。

変わるきっかけとなったのが、教育実習での「実験」。それについては前に書いたから繰り返さないけれど、この実験の前と後とで大きな違いがある

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無意識に委ねること

学校の勉強はまあまあ得意(あるいはものすごく得意)だが、スポーツが苦手、人付き合いも苦手、というタイプの人が結構いる。マジメで不器用なタイプ。こうした人はなぜ不器用なのだろう?ずっと観察してきた結果、「意識ですべてを制御しようとし過ぎ」ではないかということに気がついた。

こうした不器用タイプの人たちを見事に指導する人がいる。「新インナーゲーム」の著者。テニスの壁打ちがとても下手な生徒がいた。ボー

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