見出し画像

第一次世界大戦の勃発に至る英独関係の歴史を記したThe Rise of the Anglo-German Antagonism(1980)の紹介

歴史学者ポール・ケネディは1980年の著作『英独対立の高まり(The Rise of the Anglo-German Antagonism)』の中でドイツとイギリスが敵対するに至ったことが必然であったという解釈を打ち出しています。彼の叙述の起点となるのは1860年であり、第一次世界大戦が勃発する1914年までの間に生じた英独関係の政治的、経済的、社会的な変化が多面的に検討されています。伝統的な外交史の方法だけに頼っておらず、ケネディの歴史解釈の奥深さが分かる研究です。

彼の説で重視されているのは、ドイツ国民から支持を集めるために、反イギリス感情を政治的に利用しようとしたオットー・フォン・ビスマルク宰相の政策がもたらした長期的影響であり、特に1884年の植民地政策の転換がその後の英独関係に長く影を落としたことが示されています。

Kennedy, P. (1980). The rise of the Anglo-German antagonism, 1860-1914. London: Allen & Unwin.

ケネディの研究によれば、戦争に至るまでの英独関係の悪化は、さまざまな要因が重なり合って生じた事象であり、強い必然性がありました。根本的な要因として特に重要だったのはドイツの国内政治の事情です。ビスマルクが伝統的な支持層であるユンカーの社会的、経済的な地位を守るために、ひいては君主制を基礎とする現体制を維持するため、国内で勢力を増していた民主化の動きを抑制する必要に迫られました。このときのビスマルクが用いた手法は、国民の注意を国内の政治改革ではなく、植民地の獲得へと誘導するものでした。

19世紀の後半に世界各地でヨーロッパの列強は植民地の獲得競争を繰り広げていましたが、ビスマルクはベルリン会議(1884)を開催し植民地分割の原則の明確化に成功しました。この原則では、沿岸部を実効支配した国家が、内陸部も支配する権利を有することが認められるようになり、ドイツはイギリスやフランスに後れを取ったものの、海外に植民地を求める政策を推進する姿勢に転じています。ケネディの視点は、こうしたドイツの動きを理解するために、国際政治と国内政治の相互作用を両面的に考える必要があることを巧みに示しています。

ビスマルクの植民地政策は、もともと限定的な範囲でとどまっていましたが、ドイツで新しい皇帝に即位したヴィルヘルム二世は、この政策を徹底的に拡張し、ドイツの勢力を世界規模に広げる世界政策(Weltpolitik)を強く支持しました。新たに宰相に就任したベルンハルト・フォン・ビューローは、ヴィルヘルム二世の考えを受け入れ、その積極的な政策を具体化しましたが、その一環として実施されたのがドイツ海軍の拡張でした。これはイギリスとの戦争を抑止するための手段として位置づけられていたものであり、必ずしも攻撃的な意図があったわけではありませんが、結果として逆効果となりました。

イギリスは、ヴィルヘルム二世との新しい関係を構築するための外交努力を行っており、1899年から1902年にかけては同盟関係を模索する動きさえありました。しかし、ビューローは世界中に植民地を保有しているイギリスと同盟関係を持てば、ドイツが植民地を拡張する余地が狭まると判断し、イギリスの申し出を拒絶しました。さらに、1902年までにはイギリス海軍の関係者の間でドイツ海軍の拡張がイギリスの脅威になりつつあることが議論されるようになっており、ドイツが世界的に植民地の拡大を意図しているという認識が広がっていました。ケネディは、ドイツが植民地の拡大を通じて経済的な利益と政治的な安定を求めていたこと、またヴィルヘルム二世がイギリスとの戦争を望んでいなかったことについて理解を示していますが、その具体的な手段として採用された政策は英独関係を決定的に損なったとして、かなり厳しい評価を与えています。こうした政策の間違いは解消されず、テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェークのような政治家は英独関係の将来の見通しについて危機感を募らせていましたが、必要な調整は行われませんでした。

イギリスの側では、対ドイツ関係をどのように処理すべきかという争点をめぐって強硬派と穏健派の論争が生じましたが、結局は中間的な選択肢が採用されることになりました。つまり、ドイツと正面から衝突する事態は避けつつも、フランスとロシアをドイツが軍事的に打倒し、ドイツがヨーロッパ大陸を支配下に収めることは武力を行使してでも断固として防止するという姿勢がとられました。このようなイギリスの政策は当時の英独関係の特性を踏まえれば論理的なものであったというのがケネディの評価です。第一次世界大戦でドイツがフランスに対する武力攻撃に踏み切ったとき、イギリスが参戦を決めたのは、以上のような歴史的な経緯でした。

個人的にケネディの分析が優れていると思うのは、イギリスとドイツの経済関係の変化に関する分析です。ビスマルクは、ドイツ国内の産業を保護するため、高い関税を課しました。この保護措置を通じて工業の基盤を整え、技術開発を後押しし、世界市場におけるイギリスの競争優位に対抗しました。ヴィルヘルム二世の植民地政策は、この経済政策との関連で理解することができるものであり、1910年にドイツは世界の製造業市場でイギリスのシェアを凌ぐまでになりました。ケネディは、ヴィルヘルム二世が英独関係を顧みずに植民地拡大を推進したことを批判的に見ていますが、ドイツの勢力の急成長が国際政治の勢力均衡を不安定化させるような構造的要因をもたらした可能性に関しても併せて考慮する必要があると私は考えます。

関連記事


調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。