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経済的相互依存と戦争の意外な関係を説明する『経済的相互依存と戦争』(2015)の紹介

国際政治学では貿易や投資を通じて経済的相互依存が強化された場合に、戦争のリスクにどのように影響を及ぼすのか議論が積み重ねられてきました。経済的相互依存関係にある相手国を標的とした武力行使に踏み切ると、自国が貿易や投資から得られる収益は悪化すると見込まれるため、経済的相互依存は戦争のリスクを軽減するという見方がありましたが、実証的な裏付けが十分ではないことも研究者から指摘されてきました。

バージニア大学のデール・C・コープランド(Dale C. Copeland)准教授は著作『経済的相互依存と戦争(Economic Interdependence and War)』(2015)の中で、各国の指導層が貿易や投資の将来性をどのように評価しているかによって、経済的相互依存が戦争のリスクに及ぼす効果は変化するという貿易期待論(trade expectation theory)を提案しています。これによれば、各国の指導層が貿易や投資の先行きを悲観するようになるほど、武力に訴える傾向を強めると考えられます。

Copeland, D. C. (2015). Economic Interdependence and War. Princeton: Princeton University Press.

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著者は以前から将来の見通しが国家の行動を形成する上で大きな役割を演じていることを主張してきました。国際政治は長い時間にわたって続くゲームであり、国家間で勢力関係が変化し始めると、各国はそれが数か月後、さらに数年後にどのような事態となるかを見通した上で行動を選択することになります。例えば、それまで軍事的な優勢だった国家が、将来的に劣勢に追いやられる可能性があることを認識したならば、たとえ現時点で実質的に軍事的な脅威ではない国家に対して予防戦争(preventive war)を仕掛けることも想定できます。

この視点を使うことによって、著者は国家間の経済的相互依存が戦争のリスクに及ぼす影響について独特な考察を展開しています。国家が軍隊を維持、拡大するためには、経済も維持、拡大させることが必要であり、そのためには貿易や投資を拡大していく政策が有効です。つまり、経済的相互依存は安全保障にとって好ましい影響をもたらします。しかし、貿易や投資が将来的に縮小する状況が予測される場合、経済的相互依存は他国が自国に経済制裁や経済封鎖を行う手段を与えることになるため、安全保障にとって好ましくない影響をもたらすかもしれません。

これまでの国際政治学、特にリベラリズムの理論では、経済的相互依存が常に戦争を抑制する効果を持つことを想定していましたが、著者は貿易期待論の立場から経済的相互依存の効果は各国の指導部の状況認識という心理的要因に依存していることに注意を払う必要があると主張しています。たとえ、現時点で貿易や投資から莫大な収益を獲得していたとしても、それが近い将来に途絶する確率が高いのであれば、経済的相互依存が戦争という選択肢を抑制する上で有効とは限らず、むしろ戦争を急ぐ可能性さえ想定することができます。経済制裁で他国に依存する物資や原料が入手できなくなり、経済力と軍事力が低下する前の段階で武力侵攻を仕掛ければ、必要な物資や原料を安定的に確保することが期待できます。

著者はリアリズムの中でも、特に攻撃的リアリズムの見方に反対しています。攻撃的リアリズムによれば、国家の根本的な関心事が安全保障であり、そのために自国の能力を最大化する対外政策を選択するはずです。しかし、これは国家が貿易や投資から大きな利益を得ることが見込まれる場合に、経済的相互依存を積極的に受け入れてきたことを無視しています。もし国家が常に安全保障のことだけを考えているのであれば、他国と経済的相互依存になることは避けなければならないはずです。著者は、攻撃的リアリズムではなく、国際政治経済学と安全保障学を組み合わせた経済的リアリズムの立場に立ち、国家がどこまで攻撃的に振舞うようになるかは、その国家が経済的相互依存に対して抱いている将来的な見通しと、それに伴って予想される自国の脆弱性の大きさに依存していると考えています。

19世紀のヨーロッパの国際政治史を調べると、貿易や投資が大国間の戦争の重要な争点であったことが分かります。ナポレオン戦争でフランス皇帝ナポレオン一世がロシアに侵攻したのは、1806年に発令したベルリン勅令によって、敵国であるイギリスとの貿易を禁止したにもかかわらず、ロシアがイギリスと貿易を再開したためでした。1840年にイギリスと清との間でアヘン戦争が勃発したのは、清がアヘンを全面的に禁輸として、イギリスの商業的権益を損なったためでした。イタリア統一戦争や、ドイツ統一戦争のように、経済的相互依存と直接的な関係がない事例もあったので、著者自身が一つの理論ですべての事象を説明することは難しいことを認めています。それでも、貿易期待論は戦争の発生メカニズムの重要な側面を捉えていると考えられています。

日本の読者にとって興味深いのは、おそらく近代における日本の戦争が経済的リアリズム、貿易期待論で上手く説明できることを示している点でしょう。特に1941年の日米開戦の経緯においてアメリカが石油の禁輸措置に踏み切ったことは、日本の首脳部の状況判断、戦略策定に重大な影響を及ぼしたことが指摘されています。ドイツがソ連に対して侵攻した理由に関しても、著者は貿易期待論に基づく説明を裏付ける根拠が存在することを示しています。国際政治学の理論に関心がある読者だけでなく、戦争の歴史を経済の視点で捉え直してみたい読者にも有益な一冊です。

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